更級日記(あこがれ・門出)の作者は”夢みる天才”!内容と解説&夢を叶える「3つの条件」【現役ライターの古典授業07】
お久しぶりです!
不定期更新の「現役ライターの古典授業」シリーズです。
今回は、『更級日記』。(※以前アップした話を、加筆修正してお送りします)
作者は、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。
すがわら・・・って、聞いたことありますか?
そう、菅原道真。あの学問の神様。
道真は、この作者のひいひいおじいちゃんです。
ちなみに叔母さんは『蜻蛉日記』の作者、藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)。エリートかつ文学家系。
『更級日記』は、彼女が13歳から50歳ぐらいまでの半生をつづったエッセイです。
高校教科書には、冒頭として「あこがれ」「門出」「東路の道の果て」といったサブタイトルの部分や、本好きな彼女が『源氏物語』を手に入れる通称「源氏の五十余巻」の段が載っていることが多いです。
(この2大エピソードのチョイスはさすが!教科書編集者グッジョブ!と個人的には思ってます)
学校によっては「時間がないから最初だけ」とか、簡単な紹介だけで端折ることもあるでしょうが、私はこの2つのエピソードこそ、高校生にはまとめて読んでほしいと思ってます。
というのも、この序盤から五十余巻までの中に夢を叶えるヒントがめっちゃ詰まってる!と思うからです。
「え?古文でそんな、意識高い系のこと言う?」
「そんな切り口アリなん?」
はいはいはい! それは聞いてからにしてください!
では、本日も参りましょう!
~例によってエセ関西弁でお送りします~
はーい。ええか。
今日は『更級日記』や。
これ、タイトルの通り、古典の「日記シリーズ」の一種やな。◯◯日記、って名前のやつ。正確には日記文学っていう。
一番有名な『土佐日記』はこないだやったよな。これが一番古い。次は『蜻蛉日記』。その次が『和泉式部日記』『紫式部日記』で、この『更級日記』がくる。
え、難しいからゴロ合わせ? そやな~いろいろあるけど、「トカゲイズム、さらさぬ、いざ!」って呪文でも唱えとけ。
要はな、「土佐日記(ト)→蜻蛉日記(カゲ)→和泉式部日記(イズ)→紫式部日記(ム)→更級日記(さら)→讃岐典侍日記(さぬ)→十六夜日記(いざ!)」ってことや。成立年代順やで。
あ?意味不明やて? そんなら自分で作れ! ゴロ合わせっちゅうのはな、教えられるより自分で作る方が忘れへんよ。
んで、この『更級日記』。出だしはこうや。
あづま路の道のはてよりも、なほ奥つ方に生ひ出たる人、いかばかりかはあやしかりけむを・・・
「あづま路」ってわかるか?
生徒A「東のみち・・・」
そうそう。東の道。昔でいう、”東の道”って言ったら?
生徒A「・・・あっ、東海道?」
そう!正解。東海道。その果てよりも「なほ奥つ方」、つまり「もっと奥の方」で生まれた人、っていう意味。
これ、別に今なら「ふーん。東海道ね」って感じかもしれへんけど、当時の都人が読むことを想定したら、かなりの衝撃を与えたんちゃうかな。
昔の都は京都や。京都がすべての中心。京都市内でも、都からちょっとでも離れたら田舎と思われてた。
そこから国をどんどん行って、遠い遠い東海道の、しかも果ての、もっと奥。
世界観が「日本国内が世界のすべて、せいぜい他の国は中国ぐらい」までしかない時代で、「都からずーーーっと離れた、東海道のところの、その果てに住む少女」っちゅうことは、想像を絶するんちゃう?
めちゃめちゃな例やけど「南半球より、もっと先の、アマゾンの奥地で生まれ育った人で・・・」から始まる本があったら、相当ヤバない?
どんな人が出てくるか想像できへんよな。
やから、続くのは「いかばかりかはあやしかりけむ」って言葉。
これ、「あやし」は「怪しい奴」って意味ちゃうからな!
基本、昔の人は不思議なことを「あや?」って表現するんやけど、「あや?って思う感じ」やから「不思議に思う」っていうのが原義。
そこから、貴人からみて理解できない相手→身分の低い人、みすぼらしい、粗末な、っていう意味が派生したんや。
ここでは「どんなにか田舎じみていただろうに」ぐらいの意味。
で、この「東海道の果てより、もっと奥で生まれ育って、相当田舎じみた人」が作者、つまり主人公の女の子や。
この子は何を思ったか、
「世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばや。」
(この世の中に物語ってものがあるそうだから、どうにかして見たい!)
"物語”に、熱烈な興味を抱く。特に、当時大人気の『源氏物語』な。
当時の本は貴重やで~。グーテンベルクが印刷機を発明する前やからな。写本、って言って、字がきれいな人がせっせと書き写すしかない。
やから、本は貴族か裕福な家庭にしかない。まして田舎になんかあるわけない。都会に行かな、手に入れるどころか、実物を見るチャンスもないわけや。
でも、この「源氏物語が読みたい!」が、いわば彼女の夢やったんや。
この夢、実は叶うねん。
夢を実現するために、彼女は何をしたか。
その1。行動したんや。
等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、ひとまにみそかに入りつつ、
「京にとく上げたまひて、物語の多く候ふなる、ある限り見せたまへ。」
身を捨てて額をつき、祈りまうすほどに・・・
わかる? これ、自分と同じ背丈の仏様を造って、めっちゃ祈ったんや。
今で言うと、彼女は小6か中1。当時の子どもにできることなんて限られてる。
でも昔は「祈れば病気も治る!」って時代やから、祈りは現実的にチカラがあり、効力が高いものやと考えられてたはずや。
つまり「今の自分に、考えられるだけの、できる限りの行動をする」ってことや。
しかも単に祈るんやなしに、仏様作って、自分と同じ背丈のでっっっかいやつ作るんやで。本気度伝わるなぁ。
夢の実現に、年齢なんて関係ない。
小さかろうが、年寄りだろうが、夢を叶えるにはまず、行動せなあかん。
で、夢を叶えるヒント、その2。
このとき、何をお祈りしたかっていうと
「はやく、京都に行かせてください!それで世の中の物語を片っ端から読ませてください!!」
ってこと。
これは夢の具体化や。「どうにかして見たい!」から、「まずは京都に行くことで、物語を手に入れる」って、具体的に考えたんやな。
これもかなり現実的なことや。作者のお父ちゃんは受領、要は公務員。任期が終われば都に帰ることもできる。やから、そのタイミングが早くくることを願ったんやな。
ちなみに目標を立てるときも「いつかやる」やなしに、「○日まで、これくらいやる!」って、具体化したらええよ。
「今日は英語を1単元やる」「今から30分だけ古文単語やる」とか、小さな目標を具体的に立てるとやりやすい。
漠然と生きたら、漠然と時間は過ぎてくで。人生なんてあっという間や。
ま、そうして実際、京都行きが決定するんや。
大きすぎる薬師仏さんは泣く泣く置いてって、念願の京都暮らしが始まる。
で、京都で早速、お母ちゃんに「本が読みたい読みたい読みたーい!!」って言ったら、動いてくれたんや。
そしたら優しい人が、何冊か本を送ってくれた。
【原文】
「物語もとめて見せよ、物語もとめて見せよ」と、母をせむれば・・・(中略)・・・わざとめでたき冊子ども、硯のはこの蓋に入れておこせたり。
うれしくいみじくて、夜昼これを見るよりうちはじめ、またまたも見まほしきに、ありもつかぬ都のほとりに、たれかは物語もとめ見する人のあらむ。
【現代語訳(意訳多)】
「物語読みたい読みたい読みたーい!」と母にせがむと・・・特に立派な本何冊かを、硯箱に入れて送ってくれた!
めちゃめちゃ嬉しくて、夜も昼もひたすら読んで「ああ・・・まだまだ読みたい」と思うけれど、こんな都の端っこで、読ませてくれる人がいるはずもない・・・。
なー。これ、笑えるぐらい、共感できるやつ、いるんちゃう?
やっとの思いで手に入れた新刊を一日中読んだり、お気に入りのアーティストのCDをエンドレスで聞いたり、「好き」なもんや「あこがれ」に対する想いは今も昔も変わらんなぁって思う。
とにかく、ここから分かるんは何かわかるか?
その3。夢を周りに言うってことや。
「自分はこれがしたい!」「これが好き!」ってことを、周りに言いふらす。そしたら、周りの方から夢に近づけてくれる、そんなチャンスが訪れるんや。
この子は、母親に「本が読みたい!本がほしい!」ってひたすら言ってたんやな。
それが一番よくわかるんが、この先の「源氏の五十余巻」のシーンや。
【原文】
をばなる人の田舎より上りたる所にわたいたれば(中略)かへるに「何をかたてまつらむ。まめまめしき物は、まさなかりなむ。ゆかしくたまふなる物をたてまつらむ」とて、源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将、とほぎみ、せり河、しらら、あさうづなどいふ物語ども、一ふくろとり入れて、得てかへる心地のうれしさぞいみじきや。
【現代語訳(意訳多)】
叔母が田舎から上京している家を訪ねたところ(中略)帰り際に「何をさしあげましょうか。実用向きのものは、あなたには合わないわよね。読みたがっていらっしゃるものを差し上げましょう」といって、源氏の物語五十余巻、木箱に入れたまま『伊勢物語』『とほぎみ』『せり河』『しらら』『あさうづ』・・・などの物語もどーんと袋に入れてもらって帰るうれしさと言ったらハンパない!!
すごいで。
『源氏物語』、全巻。
しかも木箱パック!オマケ本も数冊ついて!
この叔母何もんや。菅原一族おそるべしや。
あ、ちなみに『蜻蛉日記』の作者もこの子の叔母やけど、別の人やから念のため。
この「ゆかしくたまふなる」の「ゆかし」は、「~したい!」っちゅう気持ちを表す。
もともと「行く(ゆく)」って言葉は、どっかに移動することやろ?それが「どこかに行く感じ」のニュアンスで、形容詞化したのが「ゆかし」って言われてるんや。
やから「見たい」「聞きたい」「知りたい」と、文脈によって訳が変わるんやけど、この場合は完全に「読みたい!」やな。
それを叔母さん、話に聞いてたんやな。聞いてたから、「たまふなる」の「なる」は伝聞の助動詞。
これ、もし自分が「読みたい読みたい!」って常日頃言いふらしてなかったら、叔母さんの耳まで届いてへんで。
きっと全く違う展開が待ってたと思う。
更級日記の作者は、『浜松中納言物語』『夜半の寝覚』の作者の可能性も高いと言われてるけど、この2作品、めちゃめちゃ『源氏物語』の影響強いねん。「源氏物語オマージュ」と言われるレベル。
ここでもし、叔母さんから全巻もらってへんかったら、こういう作品も生まれてなかったかもしれん。まぁ作者かどうかわからんけどな。
さて、復習すると。
自分のしたいこと、やりたいこと、夢を叶えるためには、
その1。行動する。
その2。具体化する。
その3。周りに言う。
この3つ。これをやってみたらええよ。
そしたら、同じ叶うんでも、叶うのが早くなるかもしれへん。
人生はな、ホンマあっっっという間やねん。
もちろん、どんなことも、いつ始めてもいいんやで。
でも、早ければ早い方がいい。若ければ若いほどいい。
なんでかって?
だって、若い方が周りが助けてくれるやん?
「こいつ、よう頑張ってる」
「この子、いつも夢に向かってチャレンジしてるわ」
そういうことを周りが分かってくれたら、自然と助けたくなるもんや。特にこれまでの人生を頑張ってきた大人はな。
んで、夢の『源氏物語』全巻を手に入れた作者は、こんな感じ。
【原文】
はしるはしる、わづかに見つつ、心も得ず、心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人もまじらず几帳の中にうち伏して昼は日ぐらし、夜は目のさめたるかぎり、火を近くともしてこれを見るよりほかのことなければ・・・
【現代語訳(意訳多)】
もうドキドキしながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ見て、もうずーっと読みたかった『源氏物語』を一巻から順番に、誰にも邪魔されずに布団の中に入って、昼は一日中、夜は起きていられる限り、明かりをつけて読んでばっかりいて・・・
こんなやつ、おるやろ?先生怒らんから手ぇ挙げてみ?
おい、ホンマに挙げんなや!笑
まぁ、そら嬉しいわなぁ。朝も昼も夜も、ずーーーーっと読みまくってる。
個人的にこの部分は、1000年前とは思えんくらい、瑞々しい文やと思う。
はしる、はしる。
わづかに見つつ。
心も得ず、心もとなく思う、光源氏。
けど、漫画ばっかり読んでても、漫画みたいな展開は起こらんからな。
現に『更級日記』の作者は、その後も物語にハマりまくって、宮中の仕事についても「光源氏みたいな人はこの世にいないのね・・・!」とうちひしがれてる。
無邪気な子ども時代、空想にふけったあの頃と、大人になってからの現実とのギャップはあるもんかもしれへんな。
でも、そんなんも全部、赤裸々につづってくれてんのが、この『更級日記』の魅力や。
普通の本好きの女の子が、物語に憧れて、喜んだり悲しんだり、それからお仕事して、結婚して子ども産んで。
平凡やけど、等身大。
それが『更級日記』や。
夢やあこがれに向かっていく姿は、ホンマにキラキラしてる。
それはみんなを惹きつける。渦みたいなパワーになってな。
夢を引き寄せるんは、自分自身や。
自分が動けば、きっと夢の方から近づいてくれるで。
(キーンコーンカーンコーン)
ええか!さっきの3つ!次のテストに出るで!(笑)
この先役に立つから、絶対、覚えときや!
「おもしろかった」「役に立った」など、ちょっとでも思っていただけたらハートをお願いします(励みになります!)。コメント・サポートもお待ちしております。