ド田舎から早稲田へ

こんにちは!ごまりんごです!

今回は、東北のド田舎から早稲田大学に合格した僕が、簡単な受験勉強の軌跡をたどっていこうと思います。

田舎からの難関大受験に不安を抱えている人が一人でも、この記事を見て勇気を持ってくれたらうれしいです。

中学時代

まずは僕の中学時代から振り返っていきましょう。

僕は地元の公立小学校から、そのまま地元の公立中学校に進みました。小学校や中学校も町に実質1つしかなかったため、そこしか選択肢がない、という状況でした。

中学校での成績は、学年約80人中、大体のテストで10番以内には入っていました。ただ、トップ2が抜きんでていたため、僕は良くても3番といった感じでした。

普段の勉強の様子はどうだったかというと、基本的に真面目な性格だったため「宿題は必ず提出する」ということを徹底することを意識していました。そのため、授業以外にどんな勉強をしたかといえば、宿題と、2~3週間前からのテスト勉強が主なものとして挙げられます。

今思えば、この日々の宿題で授業内容の復習をある程普こなし、テスト勉強によって内容を完璧に頭に叩き込む、といったサイクルをこなせていたと思います。

部活も陸上部に入っていたため、文武両道にはそれなりの労力が必要でしたが、真面目な性格が功を奏し何とかやっていけました。部活では中3で初めて県大会の決勝に進出することができ、とても充実していたと思います。

こうして勉強も部活も頑張り、部活引退後は地区では進学校と言われている(後に自称進学校と判明しましたが)高校への合格を目指して勉強に集中し、晴れて進学することができました。

高校1年生時代

僕は高校入学時点で早稲田大学に行きたいと強く思っていたので、高校では勉強を本当に頑張ろうということを考えていました。

しかし、僕の高校から早稲田大学に行く人は、1年に1人いるかいないかといった状況だったため、自分はどれくらい勉強すればよいのか、どのような勉強をすればいいのかといったことなどは、自分でネットを使って調べて実践して、を繰り返し、日々手探りしながら勉強していました。

このころは手探りしながらの受験勉強だったので、自分の中で勉強法が確立していませんでした。継続してやっていたこととしては英単語の暗記くらいでしょうか。あとはテスト勉強を、各教科90点をとれるように勉強していくことで、1年生の内容はある程度身につけて、といった感じです。

このようにふらつきながらの勉強をしていた僕ですが、成績はどうだったかというと、定期テストでは学年200人中、10番以内には入っているかなといったものでした。模試に関しては、6月?の進研模試で偏差値55、11月の進研模試で偏差値68といった程度でした。ちなみに高校の偏差値は64ほどで、よくある田舎の自称進学校です。

部活は陸上部に入ったのですが、月曜日以外休みがなく、土日は半日は練習で潰れてしまうので、とても忙しかったことを覚えています。また、家から学校まで電車で1時間半かかり、朝は5時半に家を出なければいけなかったこともあり、勉強時間の確保も難しかったです。

まあこんな感じで、1年生のころは部活を頑張りながら、勉強もおろそかにせず、といった生活を送っていました。

高校2年生時代

高校2年生になると、新型コロナウイルスがいよいよ日本にも蔓延してきて、学校も半日に短縮されたり、部活も休止になったりと、自由に使える時間が増えました。

僕はこの時期に英語の文法の参考書をやりこみ、6月の時点で高校の英文法はほぼ完璧というような状態まで仕上げました。

7月あたりからは徐々に通常スケジュールに移行していったのですが、僕は「早慶は高2の夏から本気を出さないと間に合わない」と思っていたため、夏休みは1日5時間以上は勉強していました。

この時期から国語や世界史といった英語以外の受験科目も参考書を使って勉強し始めましたが、あくまでメインは英語でした。

この時期から受験勉強を本格化したかいもあってか、7月以降の模試では常に早稲田はD判定をとることができ、偏差値的にも70以上を安定して出すことができるようになりました(進研模試でしたが)。

もしかしたらこの成績は早慶志望者の中ではかなり下のほうだったかもしれませんが、僕は「早慶はD判定以上であれば受かる」という謎の情報を信じていたので、慢心は決してしていませんでしたが、日々の成果をより感じることができ、自信をつけていきました。

部活のほうもコロナの規制が緩和されてからは忙しいスケジュールに戻ったのですが、コツコツ練習を積み上げてきたかいあってか、秋の県の新人戦で2回目の決勝進出を果たすことができ、高校の部活にある程度満足感を覚えました。

そのため、特に12月以降の冬場は、僕自身も今まで以上に勉強にシフトするようになり、1日7時間以上は勉強に充てるようになり、本気の「受験勉強」が始まりました。

この頃から、ようやく自分にとっての勉強法が確立されてきたため、高3の後半になって急激に成績が伸びることとなります。

高校3年生時代(夏休み前まで)

高3になり、部活を5月下旬に県大会を終えたので、勉強時間は格段に増えました。平日7時間、休日10時間はマストにしていたと思います。

ちなみに、僕は学校のカリキュラムでは、早慶にたどり着くには非効率だと自分で判断したため、授業内でためになるなと判断した部分を除き、内職をしていたため、平日の勉強時間はその分も含めています。

計画として、夏休みまでにはMARCHに合格できるだけの実力をつける、基礎固めを終わらせる、完璧にするといった目標を立てていたので、英語であれば英単語に加え英熟語や英文解釈の基礎、国語であれば古文単語や古典文法などを徹底的にやりこみました。

後から振り返っても、この時期に下手に応用に走らず、基礎の仕上げに注力したことは、後の直前期の計画上の余裕に繋がったなと感じています。

成績としては、高2の頃と変わらずD判定を取り続けていました。

高校3年生時代(夏休み)

夏休みは学校もないため、受験生はこの期間の頑張り次第で大きく運命が変わります。もちろん僕もそれに倣い、勉強時間は1日10時間以上、12時間目標としていました。

この期間は早稲田大学の過去問に挑めるだけの実力をつけることを目標とし、主に応用的な内容に取り組んでいました。具体的には、英語ではポレポレやポラリス3、国語では古文読解などをやっていました。

1回だけ初めての河合模試を受けたのですが、相変わらずD判定でした(笑)。

この時期は学校の友達ともなかなか会えず、日々勉強に打ち込まなければいけなかったので、なかなかきつかったです。しかしこの時期しか莫大な勉強時間は取れないため、息抜きもしながら日々修行僧のように過ごしていました。

高校3年生時代(共通テストまで)

僕の高校は夏休みが8月の初旬から中旬までの2週間しかなかったため、すぐに2学期へと入りました。

2学期では9月にはMARCHの過去問で合格点、10月から早稲田の過去問に取り組み、過去問を中心としながら基礎の復習、足りない分野の補強といった勉強にシフトしていきました。

夏休み終わりまでに過去問に取り組めるだけの力はついたので、成績が一気に伸びました。9月の進研マーク模試で偏差値79、早稲田B判定、10月の河合記述模試で偏差値72、早稲田B判定と立て続けに好成績を収めることができました。「早稲田に本当に受かるかもしれない」という手ごたえを感じ始めたのがこの頃です。

しかし、早稲田の過去問に取り組んでみても、この時期は5~6割しか取れていなかったので、「まだまだだな」と思いながら、「過去問で合格点を超えるためにはどうすべきか」ということを常に考えながら勉強に取り組んでいました。

実はこの後、10月下旬の早慶オープンで2000人中1500位と全く太刀打ちできなかったのを皮切りに、模試では偏差値70どころか60にぎりぎり届くかといった成績しかおさめられない状況が共通テスト直前まで続いてしまったのですが、過去問を基準に勉強していたおかげで、「過去問は順調に解けているから大丈夫だ」と落ち着いて過ごせていました。

共通テスト本番

私大受験生にとってはあまり関係ない共通テストですが、僕もあまり共通テストは重視していませんでした。

しかし、やはり滑り止めの大学は欲しかったので、立教大学文学部英米文学科の共通テスト利用を受けることにしていました(他にも2~3校受けました)。

これは英検準1級相当の英検スコアをもっていれば、配点が半分を占める英語が満点換算され、しかも歴史と国語の配点が同じでした。僕は基準スコアを上回るスコアをもっていましたし、国語がとても苦手だったので、僕にとって有利すぎる受験だったと思います。

本番は程よい緊張感の中、落ち着いて試験に臨むことができ、てごたえも十分ありました。点数としては、英語158/200、国語145/200、世界史94/100でした。

滑り止めを抑えられた手ごたえがあったので、ここからは本命の早稲田の受験に向けて突き進んでいくこととなります。

早稲田大学受験まで

僕の受験スケジュールとしては、2月上旬に明治大学の全学部日程で文学部ドイツ文学と情報コミュニケーション学部、一般受験で明治大学の情報コミュニケーション学部、2月中旬に一般受験で早稲田大学の文化構想学部、文学部、教育学部英語英文学科を受けるといった感じでした。

この時期は過去問を中心に試験をイメージしつつ、怪しい部分の復習、基礎の徹底といったところを重視して、各試験、特に第1志望であった早稲田大学文学部の試験で自分の力を出し切れるように、体調管理等含め、集中して過ごしていました。

明治の全学部日程は世界史が超難化して2つとも手ごたえがなく、合格の望みはないだろうなと感じていたのですが、明治の情コミュは同じように世界史が超難化した中でも、ギリギリ受かっただろうといった手ごたえを感じることができました。

そして本命、憧れの早稲田大学への合格をかけた試験に向かっていきました。

早稲田大学受験本番

最初に受けたのは文化構想学部でした。

文化構想学部は国語の試験において明治期の文語文が扱われているため、個人的には解きづらさを感じていました。過去問にいても1度も合格点を超えることはできませんでした。

そのため、この試験は「早稲田の試験に慣れる」という目的をもっていました。試験の流れ、雰囲気、疲労度などを実際に感じつつ、プレッシャーも特になかったため落ち着いて解くことができたと思います。

しかし、国語も英語もある程度よくできた中で、世界史が明治と同じように難化しており、全く手ごたえなく試験を終えることとなってしまいました。

しかし、早稲田の試験にはある程度慣れた感覚はあったので、ぼちぼちといった感じでした。

そして1週間後に、第1志望の文学部の入試に臨みました。

前日は十分な睡眠をとることができ、体調面は万全な状態で試験会場へと向かいました。緊張も程よくありながらも、「今まで積み上げてきたことを全て出し切るだけだ」という気持ちで、集中して試験を解くことができました。

これまでの私大入試はすべて世界史が難化しており、今回もこのパターンかなと少し懸念していたのですが、英語、国語は例年通りの難易度で、世界史は逆に少し易化していました。

体調・心共に万全な状態で試験に臨めたこと、そして試験自体は過去問通りの難易度であったことなどが重なり、試験は個人的に過去最高の手ごたえを得ることができました。

実は文学部も1度も合格最低点を超えることができていなかったのですが、この時は「いったかもしれない」と感じていました。

しかし、2日後に最後、教育学部の入試があったので、採点や答え合わせは一切せず、すぐに気持ちを切り替えて最後の追い込みをかけていきました。

教育学部に関しては、12月ごろからずっと合格最低点を上回っていたため、自信をもって試験に臨みました。

しかし、英語英文学科を受ける自分にとっては1番重要な英語が激難化しており、全く太刀打ちできないまま英語を終えてしまいました。一応気持ちは立て直して他の試験に臨みはしましたが、少し空回りするような感覚があり、正直合格は厳しいかなと感じました。

それでも、3年間にも及んだ努力の日々がようやく終わりを迎えたということで、試験終了後大学を出る際には、やりきったという達成感に包まれていました。

合格発表

試験終了後は一切勉強せず、友達と遊んだり、好きな漫画を読んだりして、ゆっくり落ち着いて過ごしていました。

それでもやはり合否結果は気になり、どこか落ち着かない部分も少しありました。

まず明治の全学部入試の結果については、実は早稲田の文化構想学部を受けた日に発表されていました。元々手ごたえはなかったのですが、予想通り2学部とも不合格でした。この時は一喜一憂している暇はなかった、というより次の文学部の試験に向けて本当に集中していたので、あまり気にはしていませんでした。

同じように、共通テストの立教大学の文学部、明治の一般入試で受けた情報コミュニケーション学部についても、早稲田の文学部を受ける3日前に合格発表がされていました。この2つは見事合格することができ、とりあえず一安心しました。ここで合格をいただけたことによって、その後の試験に余裕をもって臨めた面もありました。

そして早稲田の教育学部の入試が終わった1週間後あたりに、文学部と教育学部の合格発表が行われました。

文学部の合格発表の前日は「気が気でない」といった感じで、時間が凄く長く感じました。当日の朝も「今日が合格発表か」と考えるとすぐに目が冴え、午前10時の発表までとてつもない緊張感を持ちながら待っていました。

そして午前10時00分、早稲田大学の合格発表サイトにアクセスし、自分の氏名や受験番号等を入力して、「合否を確認する」のボタンを押すだけのところまできました。1度深呼吸し、目をつぶりながら、ゆっくりボタンを押しました。そして目を開け結果を見ると……

補欠でした。

合格でもなく、不合格でもなく、1番中途半端な結果が出できたので、しばらく理解が追いつきませんでしたが、とりあえず僕の最終的な合否結果は1か月後に発表されることがわかり、また合否結果を待つ時間が始まるのか…」という気持ちになりましたね(笑)。

教育学部も2日後あたりに合否発表があったのですが、予想通り不合格でした。もはや落ちることはわかっていたので落ち込みもせず、学校の教室で友達とみていました。

その後は卒業式等のイベントがありつつも、やはり落ち着かない気持ちのまま1か月を過ごしていました。補欠合否の発表の1週間前からはずっと気が気でなく、本当にしんどかったのを覚えています。

そして運命の補欠合否の発表当日。これで本当にすべてが決まってしまうので、緊張感は過去最大級だったと思います。

発表の1時間前からは本当に生きた心地がしなくて、好きなYoutuberの動画を見て気を紛らわそうとしたのですが、内容は全く頭に入ってこなくて、ひたすら時計を確認しては「あと〇分で発表か…」と緊張感がどんどん増していく、といった感じでした。

そうこうしているうちに時計が10時00分を指し、本当に最後の、文字通り「運命が決まる」補欠合格発表が行われました。

今回も必要事項の入力を済ませ、「合否を確認する」のボタンにカーソルを合わせ、目を閉じ、深呼吸を数回繰り返しました。

そして覚悟を決め、ゆっくりとクリックをし、ゆっくりと目を開けました。高校3年間をかけた僕の早稲田大学受験の結果は……

見事合格でした!!!

「合格です」の文字が見えた瞬間、嬉しすぎて飛び上がり、喜びのあまり何度も何度も床を拳で叩きつけました(笑)。

3年間の努力が報われたということ、夢が叶ったこと、いろいろな感情が一気にこみ上げてきて、しばらくは動くことができませんでした。

しばらくして我に返ったあと、まずは家族に合格を報告しました。みんな本当に喜んでくれて、1番近くで応援してくれた人たちに最高の報告をすることができたことに、受験を頑張った意味を感じることができました。

家族に報告をした後は、小学校からの親友の家まで突っ走り、玄関を開けて飛び込んで、彼が出てきた瞬間にダイブしました(笑)。高校は違いましたが、毎日同じ電車の同じ座席で通学し、お互いの悩みなども相談してきたので、彼にも最高の報告をできて本当に良かったです。

その後も他の友達にも合格報告をしましたが、みんなにおめでとうの言葉をもらえて幸せでいっぱいでした。あの合格発表の日は一生忘れないと思います。

受験を終えて

憧れの早稲田大学に合格という、最高の結末で僕の受験は幕を閉じましたが、今振り返ってみて、大きく2つのことが、自分を合格へと導いてくれたと感じています。

1つ目は、「合格への強い意志を持ち続けること」です。

僕は早稲田大学への強い憧れがあり、「何が何でも早稲田に行きたい!」という思いを高校1年生の頃から持ち続けていました。だからこそ、常に早稲田に合格するために必要なことを考え、必死に勉強することができたのです。

皆さんの中には、これを根性論だと批判する人もいるかもしれません。しかし、僕は何事においても「意志」が1番大事だと考えています。自分がどうありたいか、どこに行きたいのか。勉強することは1つの手段でしかありません。自分が最終的に目指すものを常に意識し、努力を積み上げることが、夢を叶える1番の近道ではないでしょうか。

2つ目は、「周囲の人に恵まれたこと」です。

前述の通り、僕は東北地方の人口6000人以下のド田舎出身です。正直大学受験を真剣に考える風潮があるとは言えないし、そういった意味では環境面で大きなビハインドがあったと思います。

しかし、僕は「人」という面では大きく恵まれていました。

親は参考書を何冊も買ってくれたり、受験のことはほとんど聞かず、そばでサポートしてくれましたし、友達も僕の受験を否定してくる人は1人もいませんでした。

他にも部活の仲間や同じ町から通っている友達に、医学部や難関大学を志望していた友達がいたりと、競争する環境があったことも大きかったです。

予備校がある、名門校に通っているといった、一部の限られた人しか享受できない環境に目を向けるのではなく、自分にベクトルを向け続け、努力を怠らなければ、自分を助ける力になってくれる「人」が必ず現れます。そのような人への感謝は絶対に忘れないようにしましょう。

現在は晴れて早大生として日々早稲田に通っていますが、この日々を実現させた自分自身の努力や思い、家族や友達のことを胸に留めながら、また次の目標に向かって、真っすぐ走っていきたいと思います。

長々と書き連ねてしまいましたが、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!



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