一方その頃(もう一つのストーリー)3

人の記憶というのは、いい加減なものだなぁと改めて思います。

これまでに幾度かAC克服などを目的として、過去を思い出すワークをしたことがありますが、思いだす記憶はその度に微妙に異なっていたりもします。*AC=アダルトチルドレン

母と映画に行っていた記憶など、すっかり忘れていました。

現在の私は、とても愛のパワーの強い方たちに囲まれているためか、

とても幸せな日々を過ごしています。

だからかなぁ、母と映画を観た事を思い出せたのは。

今回noteをやってみて嬉しかった事の一つです。

***

4~5歳頃、『お父さん』というのは名前ではなくて、

何かの役割の人なのだと思い始めました。

母親のお腹がどんどん大きくなり、

お腹の中には、『お父さん』と母との子どもがいて、

その子どもは、私の妹であると聞かされていました。

その頃の写真が数枚残っていますが、母のお腹を撫でて幸せそうに笑う私がいます。

きっと、妹が生まれてくるのをワクワクして待ち望んでいたんだと思います。

妹が無事生まれてくると、私はとても感動してとても愛おしく感じました。

母は当時ラウンジで働き、『お父さん』は母と同じお店でボーイをしていたので、夜になると私が妹の面倒をみながらお留守番をしていました。

おしめを変えたり、ミルクを作ったり、自分でいうのも何ですが、なんでもこなせていました。

お腹をとんとんしてあげて、

あやすのも、寝かしつけるのも上手だったと思います。


しばらくして、

とても優しかった『お父さん』は、少しずつ私に対して厳しくなってきました。

妹が何かを口に運ぼうとした時に、「め!あかんよ!」と取り上げると、

「何、妹いじめてんねん!」と、細長いもので叩かれるようになりました。

何か尋ねられて、「え?なに?」と返事をすると、

「はい!やろうが!」と言われ、また叩かれるので、敬語で話すようになりました。

その頃、母はどうしていたのか・・何も思い出せません。

いつも怯えている私のところに、はいはいでやってきて、

ニコニコ笑う妹だけが、私にとっての宝物でした。


そして私が6歳ぐらいの時の、ほんとうに微かな記憶ですが、

暗い玄関に、男性と男の子が立っている姿を1枚の写真のように覚えています。

男の子は、半ズボンを履いていたと思います。

「あんたのお兄ちゃんやで」と、母が言いました。

つづく・・



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