第n回一人反省会

またこの感覚が来た。久々に来た。
10年以上前から付き合いのある感覚。

きっかけは彼とのデート。決定打は、別れ際の挨拶。
彼は一方的にこちらにお礼を言って、立ち去ってしまった。こちらがお礼を言う隙もなかった。

映画を見に行った後のカフェに行った時から、彼の疲れたような様子が気になっていた。
客観的に考えれば、前日の仕事の疲れや、早朝の集まり故の疲れなど、考えられる理由はいくらでもある。
「疲れてる?」「余計なお世話かもだけど、無理しないで寝ても良いからね」
2、3言葉を掛けたが、どれも「大丈夫」と一刀両断。

ここで、心の片隅に現れた不合理の小さなシミ、「私といるのが嫌なのではないか」という主観的な妄想。
頭で不合理だと分かっていても、一旦現れた小さなシミは、じわじわと心に広がっていった。

せっかくのデートを楽しみたかったし、歪んだ主観に気を取られて時間を台無しにしたくなかったこともあり、過去に読んだ心のメソッド本の知恵などを借りながら、目の前の彼との時間に集中した。

そして最後。最後の最後にして最も打ちのめされた瞬間。こんな終わり方をしていなければ、私は一人反省会をしていなかったかもしれない。
驚くべき早さにして、一方的なお礼と会話の断ち切り方。
ここでも、彼は(私も)胃が弱いし、先程も「大丈夫じゃない」と言っていたから、ずっとずっと我慢していたのかもしれない。
でも、だとしても何故我慢していたのか。付き合って1年以上経つし、お互いの身体の事情も知っているのに、今更隠すことがあるか。
そこで現れた、新たな歪みのシミ「浮気してる?」。

今文章にしているからこそ思えたが、一人悶々と考えると、ここまで思考がバグるのかと思った。しかし、その時の自分は半ば本気で疑っていた。
そして、カフェでした政治や宗教の話(お互いに歴史好きで、特に彼はその手の話が好きなので、彼から切り出された話)が脳内で勝手にフラッシュバックされながら、自分は思想の強い話などをしていなかったか、侮辱と取れるようなことを言っていなかったか、そもそも自分は話しすぎていなかったか、勝手な行動をしていなかったかなど、自分の欠陥を無意識に洗い出そうとしていた。過去をくよくよしても、何も変わらないというのに。
疑い、血迷いながらも、過去に読んだ本や、恋愛に悩んだ時に参考にしたブログの知恵が、私をそれ以上の愚考にして愚行を制止してくれた。

帰ってきて(最近ようやく始められた一人暮らし、自分だけの部屋に)、血迷って買ったパック寿司と暖かいお茶を飲んで、ほっとした。
暖かい部屋にいると、安心して、迷走した自分の意識が帰ってくる気がした。
そして、つい最近知ったこのnoteの便利な機能を使って、負の感情を具現化した次第である。

本は24時間366日、必ず私の味方をしてくれる唯一の存在である。
しかし、本が与えてくれる心のアドバイスを、私は未だに上手く活用出来ない。このような心の迷いが現れた時の対処法を、色んな本たちから教わったのに、どれも上手く出来ていない気がする。いや、「上手くやろうとする」こと自体が、既に自分を縛り付けているのだろうか。
自分自身を飼い慣らすことの、なんと難しいこと。

少しだけ落ちついて思うのは、やはり1人は落ち着くし(一人反省会はなるべくしたくないが)、彼がやはり好きだということ。
あの場で言えなかったので、ここでも書かせて貰いたい。
いつもありがとう。

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