親にも彼氏にも背中を押して貰えなかったが、そんな駄目な自分を好きでいたい
昨日、未だに立ち直れない事案が発生しました。
超ありきたりに説明すると、彼に「(私の人生は)計画性がない」と言われました。
「もう付き合って2年になるんだから…」とか「おちゃわんちゃんのやってることを否定する訳じゃないけど、(非正規で)保障もないのはこの先どうかと思う」とか色々言われました。ちょっと私が引き出したところもあるけど。
「気にしないでね」と言われました。気にするに決まってるだろ。
とはいえ、自分自身、なかなかやりたい放題やってる自覚はあるので、強気な態度は出来ません。
心が限界で転職と一人暮らしを同時にする→貯金が尽きかける→お金がないのにやってみたかった非正規手取り15万の仕事に転職→家計が厳しいので色々無茶やろうとして周りに心配かける+「また1年以内に転職するかもしれない」なんてぶっちゃけ話をする
これで、「私の生き方を認めて欲しい」って言うのは、少しわがままかもとは思っております。
ただ、やっぱり悲しい。
実はだいぶ前に、親にも否定とまでは行かずとも、肯定はしていない旨の話を堂々とされたので、それとの蓄積で、未だに立ち直り切れていません。
もっと話しちゃえば、そんなことを言われた後のデートでホテルに誘ってくる彼の無神経さに呆れたショックもあるのですがね…(´`;)(下の話失礼しました)
長々と愚痴を失礼しました。
そんなことがあり、私は「何が正しいのか」なんて考えても仕方ないことのループに一旦陥りまして、やっぱり世間は「正社員で1つの会社でずっと働き、貯金と投資をして、結婚などの計画も立てて行く」から外れると許されないんだなと思いました。これがしっくりくる!やりたい!そして出来る人生なら私もそうしたかったです。
私のやってみたかったことは、たまたま非正規の薄給でした。しかも「やってみたかったこと」であり、やってみるまで本当にそれが私の欲するものなのかは、分かりませんでした。
だからやってみました。その状況で一人暮らしを守る為に、お金の使い方を工夫する必要がありました。
そういう意味で、身近な人にも、例えば遊ぶ場所を私の家にしてもらったり、協力してもらったことも度々あり、感謝の念に絶えません(但し借金や、奢ってもらうことは一切していません)。
覚悟を決めて飛び込んだ仕事は、私の気質には合ってないかもしれないと、この頃ずっと思っています。ただ、正直まだ真髄を理解していないので、もう少しだけ頑張りたい思いがあり、再転職を実行するまでには至っていないです。
この通り、文章化してもグダグダな歩き方だと思いますが、自分で選んで吟味する人生を歩む自分を好きになりたいと思っています。
私に「世間の物差し」が合っていないことは、ずっと前から痛感しています。
やりたいことやるのは醜いか?転職を繰り返すのは醜いか?非正規は醜いか?そんなの現代日本という、宇宙から見たら瞬きレベルで一瞬の、ほんの豆粒サイズの世界の風潮じゃないか。
現に正社員は救われてるか?金持ちは救われてるか?既婚者は救われてるか?同じ場所に勤める人は救われてるか?(決してこれらの方々を貶す意図はありません。)
私が最近、ある方の影響を受けてハマってるひろさちやの本に、「ホトケのモノサシ」が登場する。
「人間万事塞翁が馬」という言葉があるように、一見良い悪いように見えることでも、どう転ぶか分からない。だから全て「有難い」。この「有難い」は良いという偏った意味ではなく、むしろ善し悪しがないことをいう。
怒られるのも有難い。病気になるのも有難い。
何が良い、何が悪いというのは、人間が作った不確定要素塗れの世俗の価値観である。
この本を読んでいたから、私は彼の話を聞いた時に感情が暴走せずに済んだ。
今はその善し悪しなどについて悩み、膝をついてしまっているけど、「自分の人生を地道に紡ごうとする自分の在り方」を愛してあげたいと思った。
「誰に認められなくったって、自分の人生を歩め」と否定した本人(親)に言われたけど、それは全くその通りだと思いました。
私の人生の責任と保障を取ってくれるのは、私だけだし、人生で最期まで添い遂げるのも、私自身なのだから。
大体自分で自分の家計のやり繰りをしたことが無い人にこの先の保障云々とか言われたくない、という長い愚痴でした。
お目汚し失礼しましたm(*_ _)m