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私が結婚指輪をしない理由

「先生の結婚指輪見たら、先生には旦那さんがいて、
子どもにはお父さんがいるんやって思うねん。
授業中でも思う。どうでもいいねんけど。」

今から15年前、K中学校での勤務中に私は結婚しました。

8月に婚姻届けを出して、
9月の新学期に担任をしていたクラスで
「結婚をしたので名前が変わります」
とアナウンスをして、
呼び方は旧姓でもどちらでもいいよ。
と話をしました。


『結婚したら、結婚指輪をするもの』
何も疑わずに結婚指輪を左手薬指にして勤務しました。

妊娠して、
お腹のふくらみが目立ち始めたころ、
被服実習の授業中に、生徒のN田さんが私に言いました。

「結婚指輪、あんまり見たくないねん。」

どうしてと聞くと、

「私のお母さん、あれ?結婚指輪してないなって思って、
それからちょっとしたら、”離婚する”って言われて、
ああ結婚指輪してないの、そういうことかって思って。
それで、先生の結婚指輪見たら、先生には旦那さんがいて、
子どもにはお父さんがいるんやって思うねん。
授業中でも思う。どうでもいいねんけど。」


教室にユニバーサルデザインの視点を取り入れて、
子どもたちが教室で安心して過ごすことができ、
学習に集中して取り組む環境を整える配慮をすることが
当たり前になっています。

たくさんの掲示物を貼ることは、
子どもの学習の集中を妨げる刺激となるので、
『視界に入りやすい黒板の周りにはできるだけ必要な掲示のみする』
など、視覚的な刺激をできるだけ減らすようなことは
多くの先生が取り組まれていることだと思います。

私の『指輪』が視覚的な刺激となって、
一人の生徒の気持ちを、意識を、
授業以外のところに持って行っていってしまっていたなんて。

昔から何でも考えすぎるところがあるとよく言われます。

でもこれは立ち止まって考えるべきことと思いました。

結婚指輪は必要なのか?
そもそも今まで結婚指輪について、
しっかり考えたことがなかったのではないか?


私自身、
20代後半、大好きな彼氏に振られた時には、
誰かの左手薬指に光る結婚指輪を見るたび、
「私は選ばれない人間」なんて自分を情けなく思い、
落ち込んだことがあったことを思い出します。

結婚指輪とは違うけれど、
二人目がなかなか授からない時に、
バッグにマタニティマークがぶら下がっているのを見て、
「私は赤ちゃんからも選ばれない人間」なんて、
人をうらやんで、
自分を卑下するマインドからなかなか抜け出せず、
しんどかったです。

さらに、信号で停止中の前の車に
”Baby in car”
ステッカーが貼ってあるのを目にしても、
焦って泣きそうになることもあったと思い出します。

「私は結婚している」
「私は妊娠している」
「私には子どもがいる」

その情報を必要とする人、場面があることは理解できます。
でも、見たくない人もいるし、
時にはその情報で、深く思い悩む人がいるということを
立ち止まって考える必要があると思います。


私は私以外の人の結婚指輪を否定しません。
でも、私自身は
もし誰かの心を震わす可能性があるなら、
もう結婚指輪はしないでおこうと思って、
ケースにしまいました。

実はN田さんの言葉を聞いてからも
産休・育休に入るまでは、
結婚指輪はしたままだったのですが、
育休中にN田さんの言葉を反芻して、
1年半の育休が終わるころには、
「結婚指輪はしないスタイルで仕事する」と決めて、
復帰しました。

N田さんの言葉を聞いたのは、
N田さんが中学2年生の時。
復帰した時には、N田さんは中学校を卒業して、
高校生になっていたので、
『結婚指輪について考える機会を与えてくれてありがとう』
と伝えることは叶わなかったのですが、
感謝しています。

H中学校から、
勤務校が変わり、
生徒が「結婚してるの?」
「結婚してるならどうして指輪をしないの?」
と聞かれることがあります。
同僚からも「結婚指輪、しないんですね」
と言われます。

なんて答えたらいいか、
オシャレな答え方が何かないかなと模索中ですが、
「ちょっと考えがあって。」
と答えています。

素敵な答え方があったら教えてください。

『結婚したら左手に薬指』
してもいいし、しなくてもいい。

もっと言うなら、
『結婚した』ということも
言ってもいいし、言わなくてもよかった。
今はそう思います。


自分が言いたいこと、
言いたくないこと。

誰かが知りたいこと、
知りたくないこと。

どうでもいいこと。

思いはいろいろあって、
いろいろでいい。

令和の時代。
家庭科の授業では
「新しい素敵な文化や時代を創っていきたいよね」
って伝えています。






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