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石原なんでも通信No.10をお届けします

今回は、江戸時代の大名、茶人、作庭家である小堀遠州についてです。(タイトル画像は頼久寺所蔵の「小堀遠州像」)

小堀遠州(こぼりえんしゅう)って誰? もしかしたら歴史の教科書に名前が出てきたかも?って程度ですよね。
学生時代はほとんど気にも留めなかった名前ですが、江戸時代初期の庭園を見学して、小堀遠州作って書かれているを見るにつけ、気になりだしていました。小堀遠州、大名でありながら、実は作庭家としては知る人ぞ知る  カリスマ、そして茶人としても時代のリーダーでした。
 
実はこの小堀遠州、我が高松の栗林公園への作庭にも関与したとも言われています。
その根拠としては、、
 
 ✔小堀遠州の作庭した事実が確認されている京都の「仙洞御所」
 「桂離宮」といった庭園の特徴が「栗林公園」にも多く現れていること。
 ✔栗林公園の作庭が開始された生駒時代、第三代藩主生駒正俊及び小堀
  遠州の正妻は何れも、のちに第四代生駒高俊の後見役となる藤堂高虎
  の娘(養女)でした。
  また、高虎により高松に派遣され、満濃池、香東川の改良工事などを
  主導し、栗林公園の整備にも関与した可能性がある西嶋八兵衛の妻も
  高虎の姪でした。
  即ち、藤堂高虎を通じて、生駒家、小堀遠州、西島八兵衛は繋がって
  おり、結果として「栗林公園」に小堀遠州が関わっていたという推測
  に繋がっています。
 
1.  小堀遠州とは?
 
小堀 政一(こぼり まさかず)=小堀遠州は、安土桃山時代から江戸時代 前期にかけての大名であり、茶人、建築家、作庭家、書家です。     安土桃山時代から江戸時代前期の主役はもちろん信長、秀吉であり家康  ですが、小堀遠州はその時代、特に徳川政権成立以降の「太平時代」を  支えたスーパー官僚であり、超一流文化人でした。 
                                                 最近令和8年度の大河ドラマが発表されましたが、タイトルは     「豊臣兄弟」、主役は秀吉の弟の秀長、これまでも準主役として描かれて ことはあるものの、主役は初めて。秀吉政権を支えた優秀な人物で彼が  もう少し長生きしていれば、秀吉の朝鮮侵略もなく、短期間の豊臣政権の 崩壊もなかったと言われています。

この秀長の部下でその薫陶をうけた人物として、以前ご紹介した藤堂高虎(1556-1630)、そしてこの小堀遠州(1579-1647)がいます。この二人は次の 徳川政権で非常に重要な 役割を果たします。今の社会になぞらえれば、  ライバル会社の理想のNo.2 (ナンバーツー)=副社長 秀長の薫陶を受けた 2人はライバル会社からの途中入社でありながら徳川株式会社の企画部長、広報部長として生涯、会社の中枢にいました
 
2、 小堀遠州の生涯

小堀家は元々北近江の浅井氏の家来でしたが、1573年の浅井氏滅亡後羽柴 秀吉の弟・秀長の家臣となります。
秀長は千利休に師事するなどし、その城下町大和郡山は京・堺・南都  (奈良)と並んで茶の湯の盛んな土地となっていました。小姓だった政一は、秀吉接待の際の給仕を務め、利休や黒田如水(官兵衛)、長政父子とも出会い、親交を深めていきました。
秀長の死後、1595年に秀吉直参となって伏見に移ることになります。ここで政一は古田織部(1543-1615, 千利休の後継者として茶の湯を大成)に茶の湯を学ぶことになります。
伏見奉行、上方郡代と江戸幕府成立期の京都伏見にて、畿内近国支配に重要な役目を果たしました。官位は従五位下遠江守。茶道の遠州流の祖。  (遠江守なので“遠州”)
 
3.  小堀遠州の庭①(桂離宮)

小堀遠州作の京都との庭園と言えば、何といっても「桂離宮」です。

「庭園ガイド」より

江戸時代初に皇族の八条宮家の別邸として創設されました。
 回廊式庭園の全体の雰囲気はもちろんのこと、桂離宮の「月波楼」からの
景色は栗林公園の「掬月亭」 からの景色にもよく似ていますね。
 

「庭園ガイド」より


「掬月亭」HPより

4. 小堀遠州の庭 ② (行ってみたい、近くにもある名庭)

岡山県高梁市の「頼久寺」
(らいきゅうじ)の国指定名勝の庭園は俗に「鶴亀の庭」と呼ばれる
名園です。
小堀遠州が備中国奉行を務めていた1605年頃の作庭と言われています。
はるかに望む愛宕山の借景に鶴亀二島、大海の波を表すサツキの大刈込が
美しいですね。


頼久寺 HPより

香川県丸亀市の「妙法寺」
JR丸亀駅からすぐの京極家ゆかりの寺
俳人、画家の与謝蕪村が滞在し、絵と句を残したことからも別名「蕪村寺」とも呼ばれています。
 
お庭は小堀遠州作と言われています。石が山から自然に崩れ落ちるよう配されていることより「崩れ石の庭」とも言われています。
 
 

「庭園ガイド」より

信長、秀吉、家康といったヒーローを支えた バイプレイヤー(名脇役)
の存在は非常に面白いです。その生き方は現在社会での身の処し方の
手本にもなります。ただ、この小堀遠州、政治の世界ではバイプレイヤー
ですが、作庭、茶道の世界では主役ですね。


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