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トノバン

トノバンの愛称で親しまれ、
日本のミュージックシーンを牽引した加藤和彦。
『帰って来たヨッパライ』で日本人の音楽観に風穴を開け、
公称280万枚の大ヒットを樹立。
その印税で、
当時日本に無かったP.A.(コンサートなどで使用する大音響機器)の
会社を興し、欧米との音楽的ハンディを払拭した。
彼のこの行動がなければ、日本の音楽業界は、
欧米から大きく引き離されることになったはずだ。
元メンバーの高橋幸宏が
「トノバンがいなければ日本の音楽は世界から10年遅れていた」
と生前語っていたのを思い出す。

1971年に『あの素晴しい愛をもう一度』が大ヒット。
名曲だ。
70年代前半は“フォーク全盛”の時代だったが、
1973年にサディスティック・ミカ・バンドを結成。
10年先の音楽を先取りしたグループだったため、
海外での評価が高く、
“逆輸入”という形で日本でも人気に火が点いた。
2枚目のアルバム『黒船』は名盤で、
海外でも“Black Ship”の名でリリースされている。
1975年10月には、あのブライアン・フェリー率いる
Roxy Musicのライブアクト(前座)として
イギリス公演を敢行している。
1975年というのが何とも驚きだ。
日本では、風の『22才の別れ』、
キャンディーズの『年下の男の子』、
沢田研二の『時の過ぎゆくままに』が流行っていたころだ。
トノバン、実に28歳。
メンバーの高中正義はまだ22歳だった・・・。

英国をこよなく愛し、
英国オーダーメイド・スーツは100着を超えた。
ビンテージのアストンマーチンで颯爽と街を駆った。
ロンドンブーツを日本に初めて持ち込んだのもトノバンだ。
長身で洗練された身のこなしは、音楽にも共通していた。
えらぶることなく、
誰にでも優しく、
人懐っこい笑顔も魅力的だった。
 
トノバン、あなたは今、英国にいるのですか?

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