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天皇を神格化した近代国家の根本矛盾(後編)

【断わり】 「本稿(後編)」は昨日,2023年11月26日に前編を公表していたので,できればそちらからさきに読んでもらえることを期待したい。住所は以下のものである。

 ⇒  https://note.com/brainy_turntable/n/nf8b4c602ef5a

 なお,「本稿(後編)」が初出されたのは,2010年1月26日であり,いまからすでに14年近くも時間が経過している。しかし,この記述は明治以来に「創られてきた日本の天皇・天皇制」をめぐる考察ゆえ,その中身じたいがただちに陳腐化する事情にはなかった。もちろんその間に関連する研究は数多く生産されており,これを無視することはできない。

 以上,あまりにも当然の前提に関した贅言を述べてから,本日の本論である「天皇を神格化した近代国家の根本矛盾(後編)」の記述に入ることになる。

 またここでは,明治以来の天皇・天皇制問題とは直結していた歴史問題に関して,数日前に報道されていた旧大日本帝国時代の遺産のひとつに関する記事を画像資料にして,以下に並べておくことにした。

 まずつぎの2点。2日前と1日前の報道から切りとった。

かつては一視同仁の「国」同士
もちろん帝国と植民地の間柄だったが
ベンチがアホやからといわれる
両国の監督か

 さらに,以上のように「画像として記事」の全体はかかげないが,『毎日新聞』2023年11月24日朝刊2面に掲載されたある記事は,こういった見出し付けて報道されていた。

  「元慰安婦訴訟 日本逆転敗訴 ソウル高裁 主権免除認めず

 この見出し文句はなんのことやらすぐには判りにくいが,韓国・朝鮮が旧大日本帝国の植民地であった時代の出来事に関して,それも韓国側でいまとなって出された裁判所の判決である。

 日本政府はもちろん,この判決を「断じて受け入れられない」と反撥していた。だが,なにせかつては帝国臣民でもあった「彼女らからの提訴」を受けての,韓国の裁判所が下した判決である。

 いまさらむげに「オマエたちはただの他国の老婆たちだ」といってのけ,いまでは完全に無縁だといいかえしたところで,両国間が歴史に記録してきた「苦渋の因果」の残存物は,これを一気に否定するために吹き出してみたその意気ごみで,そう簡単に消せるものではなかった。

 つぎの本の表紙は,みてのとおりの地図が描かれている。かもがわ出版,2011年発行のブックレットから複写したものである。

従軍慰安婦でなければなんの慰安婦だったのか

 さらに,類似の地図がこれ。

前掲の地図は実はこちらを参照していたと推察される

  つぎに4日前になるが,関東大震災直後における朝鮮人虐殺事件関連の記事。「否定するために否定する政府」の口調が興味深い。

朝鮮人虐殺の証拠ならばいくらでもある
政府が認めたがらないだけのこと

 本日 2023年11月26日に,以上のごとき前文を書き足してから以下の「本稿(後編)」に進む。

 ※-1 鈴木正幸『国民国家と天皇制』校倉書房,2000年に学ぶ「明治維新」の「坂の上の雲」の向こう側で鳴り響くようになった,その後の「雷鳴」を意識する議論,つまり「近代国家体制に神権的権威をもちこんだ愚策の顛末(続編)」として本稿は論及される

 「本稿(後編)」はまず「戦前と戦後の天皇・天皇制の絶対矛盾的な基本性格」に注目した議論から始める。

 「本稿(前編)」において参照した山折哲雄『天皇の宗教的権威とは何か』河出書房新社,1990年,および,鈴木正幸『国民国家と天皇制』校倉書房,2000年にくわしく聞いたのは,

 明治型から大正型を経て昭和型・平成型へと変遷してきた「日本の天皇・天皇制」の政治的機構,ならびにその国家イデオロギー的な特性であった。別にたとえば,明治政治体制に関する説明は,井上寛司『日本の神社と「神道」』校倉書房,2006年がつぎのように記述している。なお「・・・」の箇所は中略である。

 「国家神道」の理解をめぐっては,これを広義・狭義のいずれかに理解するかを初めとして,今日になお多くの議論の存するところであるが,・・・つぎのように理解するのが妥当といえる。

 すなわち,国家(天皇)への国民の一元的な統合と天皇の統治権を正当化する,国家的イデオロギーとしての本質をもつ「神道」教説(=国家イデオロギー)にもとづく「復古神道」論を,日本固有の宗教施設である神社と結び合わせ,それを媒介とすることによって天皇制ナショナリズムを「日本国民」のなかに注入し,もってその思想的・精神的一元化を推進しようとした,近代日本に特有な神社と「神道」の理論的・制度的再編成としての国家的宗教システム,これである。

 註記)井上寛司『日本の神社と「神道」』校倉書房,2006年,256頁。

 この指摘は,1945〔昭和20〕年8月〔9月〕敗戦までの話となるが,鈴木正幸『国民国家と天皇制』2000年もつぎのようにも表現した「天皇家=皇室」の「ありかたとしての対外姿勢」の特長,いいかえれば,その絶対的な至高性をアジア全体にまで誇示しようとしてきた姿勢を,的確に説明している。

 しかも,敗戦を契機に与えられた新憲法「日本国」における天皇・天皇制の姿容が,そうした過去の性格との縁を完全に切らないまま,21世紀の現段階にまで進展したところにこそ,これから論述する「問題の根源」が残置されていたことになる。

 「帝国憲法体制と国体論は,植民地領有を前提とせず構築されたものであった」けれども,「日清戦争後」は「帝国主義が価値肯定的なものとして高らかに叫ばれ,日本主義が語られ」て,「アジアに対する優越感が『文明』における優位を基礎として成立した」

 しかし,「三国干渉によって欧米物質文明の力の前に屈した」日本帝国は「別種の日本民族優秀性論が求められることとなった」。「その機能を果たしたのが」「家秩序的国体論であった」

 註記)鈴木正幸『国民国家と天皇制』校倉書房,2000年,151頁,158頁。

 明治体制下,このような日本の至高のシンボルとして天皇が位置づけられ意識され,天皇は日本国民の「国民的利益」を象徴するものへと変態・発展した。そして,この天皇を超える価値は存在しえなくなった。

 註記)同書,158頁。

 すなわち,19世紀後半期にもなっての出来事だったが,はるか古代史から呼び起こされたかっこうで政治の舞台に再登場させられた天皇・天皇制は,全面的に改装させられたゆえに,その基本性格においてはもとより「時代錯誤の妥協的産物」としてであったにせよ,それこそ満艦飾の体裁をとってデビューさせられた。

 つまり,その原型はいちおう「古代に求められていた天皇(大王)」にあって,これを大々的に再設計したうえで,近代的な天皇制の仕組として活用する政治的な創作がなされた。
 
 明治時代が準備・開拓していった政治・外交の舞台において天皇睦仁が演ずるべき任務・役割は,つぎつぎと新しく提供されるにしたがい,それなりに蓄積される内実も豊富になった。日本帝国は当初,一国体制を前提する国家イデオロギーのなかで明治天皇を利用していた。

 だが,アジア侵略路線へと政治・外交を軍事的に拡大させていく過程のなかで,明治天皇はさらに,日本帝国の膨張に対応できる立憲君主としての役目・機能も国家イデオロギー的に具有させられるほかなくなった。そうした歴史過程のなかでは,日本国民の「国民的利益」を象徴する天皇の立場は,天皇個人を超える価値の存在を否定できなくなってきた。

 「こう〔そう〕なれば,議会勢力も国民も自らの利益の,天皇・皇室の利益との無矛盾性,あるいは積極的一致性を主張することによって自己の正当性を確保することが,正当性確保の最良の方法となる。そのための主要な手段の一つとして “開発” されたのが,“累を皇室に及ぼさず” の至高の政治道徳化であった」

 註記)鈴木,前掲書,158頁。

 以上のごときに,鈴木正幸『国民国家と天皇制』校倉書房,2000年を読んでみた本編の記述,その趣旨に照らして議論するとしたらどうなるか? 以下の記述の関心事となる。


 ※-2 明治体制の天皇機構を21世紀においても使いまわしている国家的な愚策,その顛末

 1)「中国要人との天皇会見」という問題-2009年12月-

  a) 明治憲法下におけるような明治型の,そして大正型=昭和戦前型とでもいうべき天皇・天皇制のありかたは,現行憲法下における「昭和戦後型」とでもいうべき「象徴天皇制」〔典型的には平成天皇型のそれ〕にまで変遷・移行してきた。

 なお,ここではその後に天皇位に就いた令和天皇徳仁の存在までは考慮していない議論となるが,論旨に支障はないという点を,途中に断わっておきたい。

 明治以来,「日本帝国」時代の「皇室の血筋」を引き継ぐ人物が依然,「日本国」新憲法のなかに生き残り,「象徴」といういかにも〈不可思議な政治的存在〉に化けかわって活躍している。

 「日本国の国家イデオロギー」の問題としていえば,彼とその一族が「象徴天皇の立場」からではあっても敗戦後も,直接と間接とを問わず依然〈なんらかの存在意義〉を発揮してきていることは歴史的な事実である。

  b) さて2009年12月中旬,中国要人との「天皇特例会見」という出来事を介してあらためて問題化していたのが,「天皇・天皇制の基本的な問題性」に潜む「戦後政治体制的な困難=無理」であった。

【参考画像】 -この段落・記述のための参考画像2点-

この写真では下の画像がつぎの画像と同じ日のもの
である
習 近平が主席になったのは2012年11月15日であるが
その箔付けのために日本の天皇が「政治利用」された
この会見が実現するまでには宮内庁と政府間で
一悶着があった
 

 日本国憲法においては明確な規定のない,天皇の「政治的な利用」のありかたが問題となっていた。天皇・天皇制という制度的存在をめぐって現実に発生している「日本国にとってのその利害得失」は,まさしく政治的にどのように利用されているのか,もっと冷静な視線を向けて議論しなければならない。

  c)『象徴天皇制に関する基礎的資料』2003年という「国会における象徴天皇に関する討議」をまとめた資料集がある。

 この資料集は,「象徴などとはとうてい,いいえない実態になっている天皇の諸行為」,つまり,日本国やこの国民を統合的に「象徴するとされた天皇」が,あたかも国家主体・代表者であるかのように「振る舞わせている現状」は,天皇・天皇制の問題に淵源する矛盾が集約的に表現しているのではないか。その点から,日本国憲法のもとにおける「政治機構の真相」を討議するうえで有益な材料を提供している。

 現憲法は「生きている人間:天皇」が「日本国や国民を統合的に〈象徴する〉」と規定している。この現憲法の,いわば「法律以前」ともいっていいような馬鹿げた概念規定,そしてそのアクロバット的な取扱・解釈による「象徴概念の〈運営・操作の危うさ〉」をもろに露呈させた事件が,2009年12月中旬に起きた「天皇会見」問題であった。

 当時,中国要人〔副首席であった習 近平〕が平成天皇に会見するにさいして,「特例」などという用語を付けて説明したり議論したりするこの日本社会の政治事情をみて,この〈ありかた=現象〉そのものにあえて疑問を抱く者はいなかったのか(?),という問題意識となる。

 「天皇特例会見」の問題は当時,突如浮上したかのように世間を騒がせるに至っていた。しかし,この事情はけっして偶然の現象ではなく,出るべくして出てきたともいえる。先日〔1月24日〕の日本経済新聞は「中外時評」欄で「侃々諤々を繰り返せ 緊張と危うさの中の天皇制」と題名を付して,論説委員の小林省太がこれまでの経過を踏まえた議論を披露している。

  d) 2009年12月29日の『朝日新聞』朝刊は「象徴天皇制 越えた一線,中立担保こそ内閣の責任,特例会見問題」「外交への『利用』自制必要,皇室,公平に不審」などの見出しを出した〈解説記事〉が組んでいた。そこには「2008年度における天皇夫妻の活動一覧」を表にした資料も作成されていた。

 補注)その天皇夫妻の活動一覧(平成天皇の時期における年度分の実例)については,その10年後の参考数値となるが,宮内庁ホームページはこう報告していた。2018年度における天皇〔夫婦〕の「ひとまず憲法にもとづくとされた諸行為」に関した解説である。

 ⇒ https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/01/activity01.html

〔記事に戻る→〕 2010年1月21日衆議院予算委員会で,自民党の谷垣禎一総裁が「天皇の公的行為」などをめぐる憲法解釈についてとりあげたところ,「従来の政府見解が存在する」ことすら理解していなかった平野博文官房長官が「答弁に窮する一幕」もあった。

 当時,2009年9月に発足していた民主党〔など連立〕政権は,国会の審議においては官僚に答弁をさせない方針としたために,内閣法制局長官であれば難なく答弁できる「天皇の公的行為」などに関する質問が出ても,ろくすっぽ答弁できないというみっともない姿をさらけだしていた。

 2) 天皇の国事行為と公的行為など

 筆者が「2008年度における天皇夫妻の活動一覧」と呼んだ「天皇・皇后両陛下の活動(2008年度)」に関しては,天皇夫妻の行事・仕事がつぎのように区分されていた。なお念のために断わっておくが,これは2008年度にかぎった説明ではなく,通年していえる既定の事項であった。

 これらの区分に含まれている行事や仕事は,憲法に規定されている「国事行為」をはるかに超えでた「公的行為」までを一覧している。

 国事行為・関連--宮中の儀式・行事,→国事行為に関するもの
 公的行為・関連--宮中の儀式・行事,→恒例的な儀式・拝謁など
     外国交際,→外国賓客・ 駐日大使
     行幸啓(旅行・外出)
    内奏・進講・説明など

 園部逸夫『皇室法概論-皇室制度の法理と運用-』第一法規出版, 平成14年は,天皇およびその一家がどのような「象徴としての政治的活動」をおこなっているか,詳細に考察している。園部のばあい「天皇の各種行為」を,以下のように整理している。

 「天皇の行為に関する従来の政府見解は,天皇の行為を国事行為,公的行為,その他の行為に3分類し,さらに小分類としてその他の行為の中に公的性格ないし公的色彩のある行為と純然たる私的行為とがあるとしている」

 「一方,学界の通説は,国事行為,私的行為の外に公的行為を認める3分説となっている」。しかし,園部は「こうした従来の行為分類を前提に,天皇の地位と国家との関係を軸に天皇の行為を

 (1)国事行為, (2)公人行為, (3)社会的行為,
 (4)皇室行為, (5)私的単独行為

の5つに分類し,併せて価値概念としての「象徴」から導かれる価値との関係において生ずる行為の規範を解説する」

 補注)園部『皇室法概論-皇室制度の法理と運用-』108頁。

 以上の園部逸夫の説明には,つぎの図解が添えられていたので,理解の一助として観ておきたい。

天皇の行為(図解)

 敗戦後,1946年元旦に「人間宣言」をした天皇裕仁の息子明仁が,1989年に天皇の地位を継承した。日本国憲法第1条から第8条までの規定全体を踏まえたうえでの諸行為であるのかきわめてあやしいのであるが,平成天皇は「国事行為」以外の「公的行為・私的行為」などを,みずからも努めて拡延・増大させてきた。

 その事実史は,けっして,ないがしろにはできない「明仁が記録してきた行動の実録」であった。

 憲法「第1章」「天皇の関係」条文は,第3条で「天皇の国事行為に対する内閣の助言と承認」のもとに「天皇の国事に関するすべての行為には,内閣の助言と承認を必要とし,内閣が,その責任を負ふ」ことになっている。

 だが,敗戦後における父の裕仁天皇は終生,戦前・戦中体制の君主意識ままであって,〈天皇聖帝の意識〉を捨て去ることができなかった。彼は「立憲君主」時代における自分自身の天皇像に拘泥しつづけてきた。

 前掲のごとき「2008年度における天皇夫妻の活動一覧」についても,その「公的行為・関連」のなかにある「内奏」という項目に注意したい。

 敗戦後においても事実として実際に,その「内奏」がなされてきた。ときどき問題にもなるこの内奏という天皇の行為が〈臣下たちからの報告〉にとどまらず,実質において〈陛下の意見を臣下が聞く性格〉すら含まれている点を,完全に否定する憲法学者はいない。

 敗戦後,新憲法の精神を厳格に遵守するならば「張りぼて」にならねばならないと,昭和天皇自身がぼやいた話は有名である。彼は結局,日本国憲法の基本理念を理解できておらず-あるいは理解しようとせず,つまり受容することをせず-,晩年は渋々その法精神を遵守していた。

 要は,憲法第1条「天皇の地位・国民主権」が「天皇は,日本国の象徴であり国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く」と規定しているにもかかわらず,人間であるこの天皇がロボットでないかぎり,ここに規定されているように「日本国民の総意に基く」行為だけに「純粋に制限させうる」「実際的な制約」はないにひとしいのである。


 ※-3 明治以来の国家的な矛盾:天皇と天皇制

 平成天皇夫婦はとうの昔から,第4条 [天皇の機能の限界,天皇の国事行為の委任」で規定された「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有しない」という限界を,はるかに超えて各種の行為を実行してきた。

 前出の園部逸夫『皇室法概論』が分類した範疇をもちだしていえば,「公人行為」「社会的行為」「皇室行為」の形式に乗せることによって,「国事行為」ではない「公的行為」や「私的行為」であっても,これらとしてはいくらでもと形容できるくらい,換言すれば,その節制の度合を慎重に抑えながらであれば,相当程度にまで恣意的におこないえた。

 第7条「天皇の国事行為」は「天皇は,内閣の助言と承認により,国民のために,左〔下〕の国事に関する行為を行ふ」と規定されている。

  1 憲法改正,法律,政令及び条約を公布する。
  2 国会を召集すること。
  3 衆議院を解散すること。
  4 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
  5 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

  6 大赦,特赦,減刑,刑の執行の免除及び復権を認証すること。
  7 栄典を授与すること。
  8 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
  9 外国の大使及び公使を接受すること。
  10 儀式を行ふこと。

 園部が(1)国事行為,(2)公人行為,(3)社会的行為,(4)皇室行為,(5)私的単独行為と分類・整理したこの5つの「天皇の行為」のうち,(1)国事行為はさておき,これ以外はすべて,文字どおりにごく単純にかつ厳密にいえば「国事行為」などではない。

 戦前・戦中体制であれば,皇室の公的と私的との区分など,もともと問われないかたちで執りおこなってきたところの「天皇の政治的な諸行為」でありえた。

 ところが,敗戦後もなまじ天皇家が残存させられたために,しかも占領軍による日本統治の都合という最大の傘の影がかかっていたために,憲法第9条との作為的な〈矛盾の均衡〉がとられるなかで存続させられてきた天皇・天皇制=皇室のありかたは,日本国憲法において一番説明しにくい暗点であるほかなかった。

 その意味でも「明治期の近代天皇制国家建設は」,もともと「大きな歪みをはらんでいた」註記)わけである。

 註記)石部正志・西田孝司・藤田友治『続・天皇陵を発掘せよ』三一書房,1995年,66頁。

 そうはいっても,古代史を近代に無理やりはめこむかっこうで復活させ成立・発足させた明治国家体制は,これが発足以来ずっと溜めこんできた「古代史的な積年の汚汁」を洗浄すらしないまま,なおこの「21世紀日本の政治体制」のなかに中途半端に引きずりこまれていた。それでも,今後においてもなお「天皇体制を冠に戴く民主主義」(?)を継続・維持していくつもりなのか。

 渡邊幾治郎『皇室と社会問題』文泉社,大正14〔1925〕年は,当時であったから,それなりに本気でこう語っていた。

 「我が国民が平和国民である如く,我が皇室も亦平和皇室である」

 「外国が我が国を以て侵略的軍国主義といふは武勇を貴ぶ,国俗の一端を見て平和を愛好する皇室,国民の本体を見ない」

 註記)渡邊,同書,142頁。

 渡邊のこの本は,ロシア革命以後,世界中を風靡した社会主義思想に影響が醸しだしていた「当時のきびしい内外情勢」を意識する反論を陳述していた。だが,そのまさに20年後において,明治体制の顛末は,いったいどのようになっていたか。

 「明治以来戦争を連続させてきた」日本帝国が「平和皇室」であると強弁した渡邊幾治郎は,いつものとおり「皇室御用の歴史」観を披露していたに過ぎない。

 しかし,その平和皇室は,日本大帝国が大敗北する第2次大戦の集結まで戦いを止めなえかった責任者:大元帥を家長にしていた。この「平和」皇室の代表者である「戦争」天皇,とくに明治天皇と昭和天皇に,なにも責任はなかったといえるのか?

 天皇裕仁は,A級戦犯が背負いきれないほどに大きな,あの戦争をめぐる責任を根本のところから有していたはずであり,この事実を否定するわけにはいくまい。

 敗戦直後,1945年9月27日だったが,彼がアメリカ大使館の公邸でマッカーサーに会えたとき,あの戦争の責任はすべて自分にあるという具合に,のちにマッカーサーが自分の回想録のなかで書いてくれたような「作り話=虚説」とは違っていて,結局,戦争の責任をとらなかった。

 彼が担うべきであったその〈戦責〉問題までが,絞首刑に処されたA級戦犯で東條英機などのほうに,全面的に転嫁させられていた。といった経緯がしこまれ生まれていたがために,そのうえ,この肝心カナメの当人がそのまま「象徴天皇」になりかわっていたとなれば,それまでの責任は彼におっかぶせない措置とあいなっていた。

 その意味ではなんといっても,彼を免訴・免罪してくれていた「アメリカ様々」であった。より具体的にいえば,まったきに「マッカーサー閣下のおかげ」でもあった。

 敗戦後に公布された新憲法下では,天皇の国事行為はすべて内閣の監督下にあるから,天皇個人が責任を問われない形式でこの「国事行為」などを担当しているのかといえば,まったくそうではない。

 彼ら一族は「公的行為」「私的行為」などとも称される「天皇〔夫婦〕家の私的な活動」までもそのほとんどを,「象徴」の名目を最大限に拡張させてとりこむかたちで,すなわち「国事行為」的におこなってきている。この事実をあらためていえば,日本政府は天皇・天皇家を政治的に利用した為政をおこなっている。

 もちろんそこには,天皇家側とときどきの政府側との綱引きに相当する駆け引きが,隠微なかたちでコトひそかな角逐となって,しかも庶民の目線には全然不可視のまま,そちらの柵内での応酬としてのみ勝手に展開されている。

 この国はもしかすると,そもそもの「民主主義のありかた」「国家運営の方途」じたいを,根底から考えなおす気持がないのかもしれない。ただし,その推定は,安倍晋三の第2次政権が2012年12月26日に登場する以前における話題であった。

 安倍晋三という「世襲3代目の政治屋」は,2度目に首相になってからというもの,この国を根幹から腐朽・溶融・破綻させた。いまや,難破したまま,ただ漂流に身を任せるほかなくなったこの国は,この4流世襲政治屋のおかげで,観るも無惨な姿にまで落ちぼれた。

 そうした2023年11月時点におけるこの国になっているが,天皇・天皇制の今後・未来がどうなっていきそうか,この問題をまともに議論する「天皇問題の専門家」がいないとみるほかない「関連学界の事情」もまた,実に裏さみしい光景に映る。

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