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『能率読本』1926年の21世紀における含意,能率増進の目標と観光立国の問題

 この記述が主に議論しようとする論点。

 ♠-1 『能率読本』大正15(1926)年と現代日本の「観光立国」

 ♠-2 能率増進が叫ばれた時代の経営啓蒙書であった『能率読本』

 ♠-3 昔,経済大国になるための礎が能率問題を介して準備された

 ♠-4 「観光立国」をめざす日本の可能性

 付記)冒頭の画像は本文中に出所を指示してあるものから借りた。


【 前 文 】

 最近にまですでに,「失われた10年」を3周回分もこなし(!),さらにその4周目に入ったかのごとき「現在の日本産業経済」である。けれども,ここで一度立ちどまり,1世紀前ころの「歴史」に記録されていた経過,つまり,当時までには産業界に広く浸透し,社会全般において流行になっていた「生産性を向上させるための能率増進」(運動)という動向があった事実を想起してみたい。
 

 ※-1 最近の日本は1世紀前の姿に似ていると指摘した文章

 a) ここで最初にとりあげる文章は,「『100年前の日本』が今と驚くほど似ている事情-現代日本の問題を大正時代から考察してみた」『東洋経済 ONLINE』2020年2月2日 16:30,https://toyokeizai.net/articles/-/326603 という題名のものであった。

 この記述が挙げて指摘する「日本の企業経営」の労働態様は,つぎのように描写されていた。

  メリハリのない仕事ぶり,教師や役人の長時間労働,政治家の質低下、教師の体罰,新聞への批判,なりすまし詐欺,若者の読書離れ。いずれもここ数年メディアで取り上げられている社会問題だが,大正期,すでに指摘され,朝野を挙げて議論されていたものもある。100年前の視座からなにがみえてくるのか。

『100年前の日本』が今と驚くほど似ている事情

 という指摘なのであるが,このの日本は大正時代であれば後半,第1次大戦で漁夫の利をえるという国際的な環境に恵まれた体験をしてきたものの,その後は反動として生まれた不景気,そして世界大恐慌を経て,

 「満洲事変」(いまふうに「ロシアのプーチン」の表現を借りると「特別軍事作戦」といいえる戦争)から日中戦争へ,そして英米を相手にする大東亜(太平洋)戦争まで突きすすみ,その結果が,敗戦後78年が経っても「戦後レジームからの脱却」など1歩も前に抜け出ることができないまま,対米服属である国家体制のまま現在に至っている。

 しかし,その間,ともかく「日本は世界で一番!」(ジャパン アズ ナンバーワン)と仰ぎみられた1980年代を頂点にしたあと,1990年前後に突沸したバブル経済の破綻以後,この国は,基本趨勢としては “停頓・沈滞・衰退・滅亡など” のコトバを挙げて説明したほうが分かりやすいが,国家経済としての実力を徐々に低下・弱化させてきた。

 かつての往事の隆盛ぶりに比較した現在の日本は,GDPでこそまだ世界で第3位に着けているが,今後は徐々にその順位を下げていく傾向は明白であって,この事実としてのこの国の凋落ぶりは,この記述で論じている「労働者の賃金水準」の,それも国際的に比較して位置づけられる水準に照らしても,非常に顕著なものがあった。

 b) 本日の議論は,以上に触れた時代(時期)における日本の労働経済問題,つまり,100年前と比較して観るべき「現状におけるこの国の惨状(レ・ミゼラブル)」を,労働者階層(集団あるいは階級と呼称してもいい)たちの現況を通して考えてみることになる。

 労働者の立場における生活水準の状態を計る指標はなんといっても,賃金(名目と実質があるが)の水準をしることから始まる。

 前段で触れた「失われた10年」を漫然と3周回にまで入りこんでしまうなかで,しかもこの道筋をよたよたと進むうちに,海外諸国は,かつての経済大国「日本」のプライドなど一気に吹っ飛ばす勢いを付け,相対的にも絶対的にも経済面で確実にそのな実力差が生まれていた。

訪日観光客統計

 日本は以前,海外からの観光客が千万人単位にまで伸長していたが,コロナ禍のせいでその間,この観光客訪日数は一気に落ちたものの,今年(2023年)はすでに従前の水準(以上)にまで回復しそうだと大歓迎する向きがある。しかし,この観光客が日本に好んで来るという現象の経済的背景は,なんといっても「円の実力」の低迷ぶりにあった。

 すなわち,国内経済の弱体化とは裏腹であるというほかない「外国人観光客」に対する「千客万来」的な大歓迎ムードであった。コロナ禍がなければ前掲した訪日観光客の統計表は,その棒グラフを順調に伸ばしていたはずである。

 つぎの『日本経済新聞』7月26日朝刊から拾った関連の図表は,訪日外国人に関する最新のデータで,毎月ごとに6月分までを記載している。

訪日外国人統計,2023年6月分まで

 さて,このところ,日本の経済・産業や企業経営の様子は,かつての面影をすっかり失い,そのせめてもの代替産業となった観光業に対しては,インバウンド景気に大いに期待するほかない雰囲気である。

 ともかくコロナ禍が一段落した現段階となったゆえ,外国人観光客の訪日に期待するといった「観光立国」志向に依存するほかない事業部門にとっては,ほっと一息ついいているはずである。

 c) 日本に来た観光客が一様に示す反応は,日本は物価が安いから購買欲をかき立ててくれる,というものであった。この反応は観光業にたずさわる関係者にはうれしい文句だが,

 その反面の奥底に控えているのは,日本の労働者が受けとている賃金水準がすでに海外の諸国から大幅に低くなっており,「円の実力」が相対的にも絶対的にも弱くなってきた事実の反映として,そのような外国人観光客からの高評価が生まれている

 観光客にかぎらぬが,外国人たちのなかには,観光客目当ての免税店で買った商品を転売させ,小金を儲けているヤカラが,以前からかなりの数徘徊していて,日本当局側のその関税問題に対する甘さまで目立つようになっている。

 以上の話題を説明する最近の新聞や雑誌に経済された報道や文章をつぎに紹介しておこう。画像資料に加工して紹介するが,これらを一通り読んでもらったところで,本日,実は主な内容としてとりあげたかった主題を,つぎに記述していきたい。

 ▼-1「消費者物価指数」の動向-「プーチンのロシア」によるウクライナ侵略戦争以後,とくにこの指数がめだって上昇してきた-

2017年以降,消費者物価指数

 ▼-2『日本経済新聞』はつぎのように,本日(8月29日)の朝刊で報道したが,統計図表(グラフ)の作成方法はいつものとおり,やや技巧的に若干のゴマカシ的な作法もくわえてあった。こう指摘する理由は,▼-1の図表とよく比較対照してもらえれば分かるはずである。(画像はクリックで拡大・可,以下も同じ)

1000円台の最低賃金水準とは情けない
つぎの

 ▼-3「主要国の最低賃金は日本を上回る」事実

日本はなににでも韓国に負けると悔しい?
しかし賃金の引き上げは遅々としており
海外の諸国に引き離されてきた

 ▼-4「冴えない日本の労働者の賃金賃金水準」

この程度の最低賃金の引き上げで
海外諸国の賃金水準に追いつくことはできない
つぎにかかげる図表はアベノミクスの失敗
つまりアホノミクスさをよく表わしているが
2022年からのこの動きは「プーチンのロシア」が勧進元
最低賃金の水準が1000円を超えたかどうかで
特別の判断などできないほど
日本の賃金水準が低い

 以上の記述は結論的にはこう理解したらよい。

 「最低賃金1002円に」「過去最高41円値上げ」ってメディアは煽っているが,その最低賃金とやらが世界で最低の「最低賃金」なんだから笑えない。そもそも,時給1000円って年収にすれば200万円そこそこ。それでどうやって゛生活しろっていうんだってレベルってことをメディアはちゃんと報道してみやがれ。

 註記)「木原官房副長官妻にまつわる殺人疑惑の再調査について『終わり方が異常だった。全く再開する様子もないまま自然消滅した』(佐藤誠・元警部補)・・・どこから圧力がかかったのか。それこそが疑惑の核心だ!!」
 『くろねこの短語』2023年7月29日,http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-0cb7e7.html

『くろねこの短語』いわく

【参考記事】-「・・・物価高騰に賃上げに追いつかず」という記事-


 ※-2 能率増進が時代の関心事であったころ-大正時代から盛んであった「能率問題への関心」は産業経営の能率的な運営や経済合理化の運動だけに向けられていたのではなく,社会全体における話題であった


 上中甲堂編輯『能率讀本』(中外産業調査会, 大正15〔1926〕年)という,いまから1世紀も前に公刊されていた本があった。※-2はこの本をとりあげるところから記述を始めたい。

 さきにその『能率讀本』を画像で紹介しておきたい。なにせだいぶ昔の古い本であり,入手したときから保存状態が非常に悪かったため,本ブログ筆者はその一部をこのように残すかたちで処分せざるをえなかった。画像に残しておいた部分を,以下に紹介しておく。

 なお,これらの画像資料についてはさらに後段で言及もある。

『能率讀本』表紙と背文字・表装の上半分
『能率讀本』口絵,これらの揮毫は
意味深長
『能率讀本』「編輯者誌ス」
初版から8刷までの機関は2ヵ月だったから
ほぼ1週間ごとに重版していた

 ◆ 第1次世界大戦前後と能率増進問題 ◆

 『経営学史事典 第2版』(文眞堂,2012年)という本は,日本経営学史の出立点において非常に重要な役割を発揮した人物2人,上野陽一(明治16〔1883〕年生まれ)と野田信夫(明治26〔1893〕年生まれ)に論及していた。

 上野は,大正中期から能率学者(=能率技師,今風にいえば経営コンサルタント)として大活躍しだしており,野田は,大正末期から実践科学の立場から工業経営や産業合理化の諸研究を本格的に開始し,日本の産業界全体に理論的な指針を示していた。

 本日の記述に紹介する著作は,上中甲堂編輯『能率讀本』(中外産業調査会, 大正15〔1926〕年4月29日印刷,30日発売)である。

 本書の印刷された大正15〔1924〕年4月29日は,当時まだ皇太子であったが「摂政の役目」をすでに果たしていた裕仁,のちの昭和天皇の誕生日であった。そして,その約8カ月後に裕仁は天皇に即位(践祚)する。

 第1次世界大戦後の好況は,一方で物価上昇により成金を輩出させ,他方で生活破壊に怯える人びとも増大させた。また,企業成長にともない経営規模に格差が大きくなるにともない,労働者間における賃金の格差も広がってきた。

 工業国としての立場を日本が確立していくにつれ,貧富の二重構造ばかりでなく,貧乏そのもののなかにも二重構造が浸透していった。

 大正時代後期の日本産業経済は,第1次世界大戦に起因する好景気が通りすぎたあと,反動的な景気後退がつづいた。その頂点は昭和4〔1929〕年10月24日(木曜日),ニューヨーク・ウォール街株式市場の大暴落に端を発した大恐慌となって出現した。資本主義国である日本もいやおうなしにその襲来を受けた。

いまの日本は衣食住の確保に苦労する
生活困窮が大勢いる

 ※-3 大正時代の能率増進問題

 明治の後・末期にその萌芽をみいだせる作業能率改善・工場生産向上の問題は,大正時代をとおして営利追求のための経済活動を営む実業界においてのみならず,一般社会の生活全般においても『能率増進』の用語をもって,きわめて盛んにとりあげられていた。

 当時は,なにごとにも「能率ということば=概念」が意識され,生活のあらゆる方面に応用されるようとする時代が到来していたのである。

 前段にもちだした本『能率讀本』は,冒頭「編輯者誌ス」が断わってもいるように,下記にかかげた『英書』(元号でいえば大正8〔1919〕年の発行)を,もっぱら翻訳的に祖述した書物である。

 ◇ Edward Earle Purinton,Personal Efficiency in Business,Robert M. McBride, 1919.

 日本の大正時代,西暦でいえば1910年代においてこのように,企業経営における人間的要因に注目する,それも能率増進を基本に意識して議論する著作が,数多く公刊されていた。なお,この書名は日本語に訳せば『経営における人間の能率』である。

  そして『能率讀本』の「編輯者誌ス」は,こう書いていた。

 「能率ノ原則ヲ最モ適切ニ,各人ノ日常ニ応用シ,其読者ヲ能率ノ道ニ指導スルコトノ用意周到ナルニ深ク感ジ,爾来氏ヲ深ク敬慕シテ居タノデアル,ソコデ今回,我中外産業調査会ガ創立第十周年ヲ迎ヘテ,能率ノ民主化ヲ図ル一端ニモト『能率読本』ノ出版ヲ為スニ当リ,前記ノ書ヲ採ッテ骨子トシ,之ニ多少ノ取捨増補ヲ加ヘテ編輯シタノデアル」

 「玆ニ本書ノ来歴ヲ述ベ,兼テ此機会ニ於テ Purinton 氏ニ対シテ謝意ヲ表スル次第デアル」

『能率讀本』「編輯者誌ス」

 戦前というか大正時代〔1912-1926年〕に刊行された欧米諸国の諸文献,ここでは工場生産における能率増進問題に関連する書物が,翻訳権などなかったごとき当時の状況のなかで,数多く日本語に翻訳され,発刊されていた。

 たとえば,筆者の書棚には近藤禎児訳『事業の人的要素』(中外文化協会,大正14年)がある。本書の「原著」は大正でいえば10年に発刊されていた「つぎの著作」であった。

  ◇ B. Seebohm Rowntree, The Human Factor in Business, Longmans, 1921.

 このラウンツリー『事業の人的要素』の冒頭「例言」では,翻訳権のことは一言も触れられていない。翻訳権など問題外,その権利など発生していなかった時期,本書が翻訳書として発行されていたのである。

 それはともかく,第1次世界大戦中の1917年2月には,ロシアにおいて社会主義革命が起こされ,のちにソ連邦を成立させる。

 その大波としての影響は日本にも米騒動(大正7:1918年)の発生などとして伝播し,日本全体に潜む経済社会的な矛盾を表面化させることにもなった。

 資本主義国家体制が発達するにつれ,労働者階級という概念で捕捉すべき社会階層も増大するなか,支配体制側は「人間としての労働者」をどのように認識・対処するか意識的に考えざるをえなくなっていた。

 ※-4 能率問題と戦時体制

 企業生産における能率研究は,経営学研究では非常に有名な,フレデリック・ウィンズロー・テイラーによる「工場管理(shop management)」や「科学的管理法(scientific management)の実践理論的な提唱がある。

 しかし,これら「科学的管理」は人間的要素を軽視あるいは無視しているという疑問が生じ,産業心理学からの生産能率問題に対する接近・研究が1910年代には登場してきた。この方途は人事・労務管理論の領域を学的に形成していく潮流となって発生した。
  
 その代表的な著作が,フーゴー・ミュンスターベルヒ(ママ),鈴木久蔵訳『実業能率増進の心理』(二松堂書店, 大正4:1915年)であった。この日本語訳は,

 Hugo Muensterberg, Psychology and Industrial Efficiency,1913

を利用して訳出されていた。この業績につづく経営学関係の諸文献を追跡していけば,人事・労務管理論の分野にまで連続して入っていくことになる。

 なお,ミュンスターベルクの前記英書より1年まえ,1912年にドイツ語でさきに公刊されていた Psychologie und Wirtschaftsleben の日本語訳は,大東亜〔太平洋〕戦争中,昭和18:1943年4月に金子英彬訳『精神工学』と題して東洋書館から発行されていた(産業科学叢書第3巻)。

 ミュンスターベルクの,直訳すればその『心理学と産業能率』は,戦争中の出版情勢が非常にきびしいなかでも刊行されていた事実は,戦時生産において能率問題があらためて緊要の課題になってもいたからである 。金子英彬は,本書の価値をつぎのように説明していた。

 最良の人の問題,最良の作業の問題,最善の心的効果の問題の3部に分けて論述してものは,各々適材選択,即ち職業の心理学,習熟訓練,疲労等の作業の心理学及広告心理学として発展した最初のものであった。

金子英彬の説明

 ただし,本書の日本語訳では,つぎのように断わられていた。

 本書は Hugo Muensterberg, Psychology and Industrial Efficiency,1912 を訳したが,後半は,主として翌年出版された英語版 Psychology and Industrial Efficiency を参考にした。

 本訳書は現在特に意義あると思はれる前2部と第3部の2節を収め,広告,販売の心理は割愛することゝした。蓋し吾々が今日要求する産業心理学に関するミュンスターベルクの理念は,これに十分述べられて居ると考へたからである(訳序,2頁)。

金子英彬の説明,続き 

 要は,ミュンスターベルク『心理学と産業能率』の翻訳は,戦時体制期が要求する緊急課題に役立たない部分を削除した体裁でもって,つまり,戦時生産問題にかかわる部分にのみ限定して,同書を翻訳したものを『精神工学』の書名を付して公刊したというのである。

 当時において「鬼畜米英=敵国」側の「英語の書物」であっても,戦時体制期の日本産業経営のために役だつと評価されれば,翻訳権など無関係であった時期においての訳業になっていたゆえ,ほかにもたとえば,太城藤吉訳,バーンズ『作業動作研究』(産業科学叢書第2巻,東洋書館,昭和18年7月)も公刊されていた。

 この翻訳書の原著は,つぎのものである。敗戦後も,本書の改訂版が正式になんどか日本語に翻訳・刊行されていた。

  ◇ Ralph M. Barnes,Motion and Time Study,J. Wiley, 1937.

 参考にまで,ラルフ・M.バ-ンズ,大坪 檀訳『最新動作・時間研究-人間性志向の仕事設計法-』(原著 1980年;産業能率大学出版部,1990年)の表紙を画像で紹介しておく。

バーンズ・表紙
 

 ※-5 大正時代に重大な関心が向けられた能率増進問題

 1) 『能率讀本』の主要目次

 ここで上中甲堂編輯『能率讀本』(中外産業調査会, 大正15〔1926〕年4月)に戻ろう。本書の章立ての目次のみ紹介する。

  第1章 知レル人
  第2章 工場ニ於ケル能率増進
  第3章 製造工場ニ於ケル能率増進

  第4章 各人ノ事務所
  第5章 事務所ニ於ケル能率増進
  第6章 事務所ノ1日

  第7章 清キ机
  第8章 不整頓対繁文縟礼
  第9章 有力ナル販売員

  第10章 事務所文庫ノ建設
  第11章 嘗テ余ノ見シ最善ノ事務所
  第12章 上ノ仕事

  第13章 繁忙家ノ読物
  第14章 売リ物
  第15章 実業ト知識的職業
  第16章 頭脳労働者ノ適応

 今風にいえば工場・生産管理と事務管理の問題を主とした記述内容である。大正時代中期から華々しく活躍していた上野陽一の産業・経営コンサルタント〔当時は能率技師と称していた〕の仕事は,この目次=章立てを反映していた。 

 さて『能率讀本』(大正15年4月30日初版)の売れ行きであるが,当時の定価で2円80銭もした本書〔いまの2012年ならば5千円くらいに相当か〕が,同年の5月5日以降6月25日まで55日間で8回もの増刷を重ねていた(前段でも触れた内容であったが)。その間,ざっと1週間に一度増刷していた割合になり,これは相当の売れ行きである。
 

 ※-6 社会全体の関心事であった能率増進問題

 当時「能率増進」の問題は,まさしく国家的課題でもあったと理解してもよかった。そこでこの『能率讀本』に寄せられた〈序〉の多さに驚かされる。以下にその姓名を列記しておく。

 阪谷芳郎・高田早苗・鎌田榮吉・内田嘉吉・澤柳政太郎・矢橋賢吉・武部欽一・田中寛一・古瀬安俊・紀平正美・井關十二郎・若宮卯之助・石山賢吉・宇野信三・金子利八郎・武藤山治・松方幸次郎,などである。

 このなかには,時代を前後して能率増進問題に深い関連をもちつづけていく論者・指導者たちがいた。とくに武藤山治は有名であり,カネボウ(旧鐘渕紡績)の経営者,のちに政治家となったり,言論界でも活躍した。

 また,本書の冒頭口絵にある寄せ書き(これもさきに画像資料で紹介してあった)は,たいした数になっていたが,さらに,次段に氏名を列記しておいた錚々たる人物たちが,本書への〈序〉を寄せていた。その「能率読本口絵」はさきに前段にかかげてあった。 

 前段においては,大正時代から昭和にかけて能率増進運動の展開や生産性向上,産業合理化を指導していくに当たり,その理論と実践の両域において指導者となった人物,あるいは著名な事業経営者や政治家の氏名が登場していた。

 ここでは,実業家・政治家であった松方幸次郎が『能率讀本』に寄せた〈序〉から,つぎの段落を引用しておく。

 科学的知識ノ発達ト其精神的緊張ト努力ト熟練トニ俟チテ能率ノ増進ヲ計リ,相対的ニ生産費ヲ構成スル労銀ノ低廉ヲ期シ,一方労働者ノ浪費ヲ戒シテ勤倹貯蓄ノ美風ヲ涵養シ,通貨ノ資本還元ヲ図ル,當ニ為政家事業家ノ努ム可キ所トイハネバナラヌ。

『能率讀本』1926年,序,25頁 

 この見解は,国家経済次元にまで能率増進問題の関心が通じており,さらには,「労働者が努力すべき次元」にも関連する方途として,つまりは「事業経営者や政治家の課題」として認識とされねばならないことを指摘していた。

 昨今まで日本経済は,デフレ傾向を基調とする低迷を脱却できないでいた。また,高齢社会が高度化かつ濃密化する情勢のなかであるから,経済社会じたいの活力が十全に発揮できない状況にもある。

 けれども,大正時代を想起しなおすとき,そこになにか学びなおすものがないか,一考の価値があってしかるべきである。

 補注)この記述が公表されてから約半年後に,安倍晋三の自民党政権が成立していた。しかも,大仰に〈アベノミクス〉などと命名していたけれども,正体不明の経済政策が実効性を伴わないまま,すでに1年と8カ月以上が経過していた

 補注中の補注)
 
なお,この記述の全体は当初,2014年9月5日に執筆していたものをさらに,本日の再述をもってとくに前半部分では相当の補充をおこなっている。

補注中の補注

 結局,安倍晋三の第2次政権がもたらしてその『負の成果』は,円安と消費物価の上昇でしかなかった。現在では,『能率読本』に示唆されていたごとき知恵の応用をもってしては,とうてい追いつけないほどにまで「日本経済における産業の空洞化」の度合は「高度化」してしまった。

 能率増進や生産性向上,産業合理化を推進しようにしても,なんとも「しようがない」産業状況に,日本経済の現状は停頓している。せめてもの救いは,前段に触れた外国人観光客の訪日によって生まれるインバウンド景気ぐらいであった。

 だいぶ以前から製造業中心の産業社会ではなくなった日本の経済構造は,これをいったいどのような方途に向けて牽引していけばよいのか。まさしく政府にはその方向づけをする国家的な任務・責任がある。しかし,いまの自民党政権にその見通しを期待することはできないできた。

 このたびの内閣改造〔2014年9月初旬〕では「地方創生」担当大臣を新設していた。だが,大臣ポストの新造という意味そのもの以上に,いかほどその真価が発揮できているのか,あいかわらず未知数のままある。大臣ポストや朝刊のそれを増設をすれば,この国が少しでもよくなる兆候が期待できるわけではあるまい。

 敗戦後の日本がたとえば,工場管理で製造工程に応用される「品質管理の概念・手法」をアメリカ産業によく学び,その成果を1960年代後半から大いに発揮しだした。その結果,アメリカ企業を劣勢の立場に追いこんでいった。そういう日米産業の比較経営史もあったものの,いまではもう思い出話になりつつある。
 

 ※-7 活力を失った日本の経済・産業・企業 

 1945年8月,日本帝国はアメリカ〔より正確には英米およびとくに中国(!)〕との戦争に敗けた。しかし,その後における産業企業による経済競争においては,1980年代まではアメリカに勝っていた。この歴史上の諸事実は「大東亜〔太平洋〕戦争」史を回顧するとき,かくべつに感慨深いものがある。

 とはいっても,その後における日本国は,1990年代になってからは「失われた10年」を2回,3回と重ねてきてしまった。そして,2023年のいまでは,なんとその4回目の「10年」に入ろうとしているのではないか。

 本日〔2023年7月29日〕のこの記述でいまさらのように,あの「日本経済の亡霊」のごときアベノミクスなる経済政策をとりあげるとしたら,その「アホノミクス:ダメノミクス:ウソノミクス:デタラメミクス」性を,徹底的に批判しつくす問題意識と分析視点が必要であった。

 安倍晋三「後」の日本経済はどういう方向に進みつつあるか? 先日のニュースでは,2022年における人口減少のなかで目立った新しい統計的な事象は,高年齢層(65歳以上)の人口構成部分でも初めて減少が始まったことである。

 日本人の平均寿命が2021年から連続して2022年も短くなった事実は,前後して議論している日本の経済社会全体の状態とも,なんらかの深い関係がありそうである。

 経済力のひとつの重要な要因である人口統計が,縮小していく一途しか眺望できない現実に対面してきた現在の首相岸田文雄は,立憲民主党の小沢一郎に『完全な馬鹿』とまで罵倒される始末である。

岸田文雄は「完全な馬鹿」

 この岸田は首相としての任期を1年と10ヵ月ほど務めてきたが,小沢一郎にそう決めつけられて当然である「国家指導者としての自分という個性」が不在であった。この「世襲3代目の政治屋」にこの国の運営はもとから無理があった。

 これまで日本経済は,高度成長期を追えたあとしばらく,安定成長と失業率のきわめて低い,完全雇用状態が長くつづいてきた。だが,1990年代を境にして,新自由主義・規制緩和の諸政策にもとづく雇用のフレキシブル化によって,非正規労働者(社員)の雇用比率を確実に増加させてきたがために,デフレ的な経済基調から脱却できなかったあとを受け手,こんどはヘタをするとスタグフレーションを誘発しかねない経済運営を余儀なくされている。

 アベノミクスは,昨今のような不況下での非正規労働者(社員)の存在を構造化してきただけで,日本経済全体の活力:成長力・発展力・革新力の発揮に貢献する経済政策など,なにひとつ実現できていなかった。

 あげくが2016年から国家統計の改竄・捏造にまで手を染めたとなれば,首相としての安倍晋三が「国家叛逆罪」で告訴されたのは,当然の道理であった。しかし,安倍は政治屋としてその罪業を問われる前に「統一教会・2世」の山上徹也に狙撃され死んだ。2022年7月8日の出来事であった。

 昨今における経済学者や経営学者(その代表例が竹中平蔵や伊丹敬之である)は,そうした新自由主義経済政策のお先棒を担いでおり,多くの国民の日常生活を窮地に追いやる役目を果たしてきた。

 ところが,社会科学者の社会的責務とは無縁の「エセ経済学者・経営学者」が実在したまま,いまもな大手を振ってこの日本社会を闊歩している。

 高齢社会のいま,若年労働者層のなかには,引きこもり状態にある人びとや,労働市場に参入しようとする意欲を喪失している人びとも大勢いる。これらの人びと:社会集団を「有効な労働力として実際に起動化する」という社会問題意識が,いまの為政者には欠けている。現状を世界大恐慌に比較する論者もいるくらいである。
 

 ※-8 む す び-観光業への関心-

 大正時代から昭和の初期,日本産業経営の諸舞台のみならず,国家による政策的な推進による各種各様の努力が,第1次世界大戦の戦後不況や昭和4:1929年に発生した大恐慌の影響を克服しようと,積極的・能動的に「能率増進」や「産業合理化」の問題として具体的にとりくむ方向を形成していった。

 それらがすべての領域で十分な効果を発揮したとはいえないにせよ,実は「敗戦後における日本産業経営」の飛躍的発展につながる《礎》を,間違いなく作ってきたと評価してもよい。

 ところが,21世紀の現段階は,製造業をあてにして日本経済の再生・復興を狙っても,効率的な経営の運営方式がなかなか確立できないでいる。第3次産業を基礎に企業経営の方途を打開することも必須である。

 具体的にいえば,介護・看護方面での労働力需要が旺盛なことは当然として,とくに観光業には明るい未来をかけるほかない。観光業に関連する統計は冒頭付近で挙げてあった。コロナ禍を経て今後における訪日外国人客数(総数)は,さらに伸長していく見通しである。

 観光大国であるフランスのように,年間の訪問観光客が8千万人を越えるところまではいかなくとも,日本も今後は,観光部門で大幅に産業収益を上げるための国家的な次元での発想・革新・政策・支援が必要である。

 日本には観光資源になる自然環境と市町村の風土・景色が豊富であり,これらに恵まれている。これを活かさない手はないし,最近における実情を聞くと,外国人の間ではだいぶ,その評価が高い。

 ということであれば,観光産業における『能率読本』に相当する「〈手引き書〉はなにか」を考えてみる価値がありそうである。『外国人観光客接待読本』(カタカナではなく「日本語」題名の本)を制作し,日本人全員に配布するのがいいかもしれない。

 いまの日本のなかで新しく繁盛しているのは,老齢産業(高齢者用の旅行や娯楽・介護ホーム・葬式儀典・墓地造成など)である。しかし,これらの事業以上に,若者たちがさらに大いに参加して働けるような観光産業を,新しく創造・開拓していく余地が大いにある。このさい「観光立国」の積極的な展開,このできるかぎりの多角的な充実化が期待されている。

 ということで,ここで「観光産業の積極的な開拓と展開」について少し論じよう。

 たとえば,公益財団法人日本生産性本部の,観光地域経営ムフォーラム「いま求められる日本の『観光力』」(観光政策部会報告 2013年3月)は「10の取組み視点」として,以下を挙げている。いずれも,外国からの観光客を増やすための具体的な施策:戦術である(つぎの画像は,画面 クリックで 拡大・可)。

  ①「民」による観光地域投資の拡大
  ② 農商工連携による観光地域交流拠点の普及

  ③ 観光地域教育
  ④ From Local to Local

  ⑤ 長期滞在型ライフスタイルの実現
  ⑥ 情報技術を活かした観光の仕組みづくり

  ⑦ デジタルJAPANミュージアム /「日本茶堂」
  ⑧「観光知」の拠点づくり

  ⑨ 観光地域のトータルな生産性向上
  ⑩ 時間インフラとしての休暇改革
 
  註記)http://www.jpc-net.jp/kanko-forum/files/kankoryoku.pdf 図表もここから。なおこの住所(アドレス)は削除。

 観光産業における「能率増進や生産性向上,産業合理化」が,とくに今日的に問われているわけである。『日本経済新聞』2014年9月5日朝刊17面「マーケット総合2」のコラム「〈大機小機〉地方の魅力を引き出せ」が,こういう主張をおこなっていた。

 最近,日本各地の観光名所で外国人の姿をよくみかけるようになった。先日仕事で訪れた北海道でも,いく先々でさまざまな国の言葉が自然と耳に入ってきた。ビザの発給条件緩和や円安も相まって,ここ数年,成長著しい東アジアを中心に,外国人観光客の数が飛躍的に増加している。

 日本政府観光局によれば,2003年 に500万人余りだった外国人旅行者数は昨〔2013〕年,初めて1000万人を突破した。北海道だけでも100万人を超える外国人旅行者が訪れたという。まだまだ絶対数では国際的に低い水準にあるものの,少子高齢化で国内市場の縮小が懸念されるなか,外国人観光客の増加を通じた新たな需要の掘り起こし は成長率を高める一助ともなる。
 
 外国人の友人たちからも,「日本での観光は魅力的で素晴らしい」という声は,なんども聞いてきた。日本固有の伝統文化や自然にくわえて,訪問先でのきめ細かなサービスは他の国ではなかなか経験できない貴重な財産だ。今後も日本の強みをいかしてこれまで以上 に外国人観光客を誘致し,成長を支える原動力の一つとしたいものである。

 全国各地に裾野を広げて訪日客を誘致することに成功すれば,人口減で消滅の危機さえ懸念される地方も低迷から脱却する糸口になりうる。そのためには外国人を受け入れるためのインフラの整備だけでなく,地域の特性をいかしたサービス面の充実が欠かせない。

 政府はローカル・アベノミクスと銘打って,疲弊する地方の再生に危機感をもってとり組む姿勢を明確にしている。「景気回復の実感を必らずや全国津々浦々にお届けする」と意気ごむ安倍晋三首相の姿勢は高く評価できる。ただ,聞こえてくるのは来春の統一地方選をにらんだ公共事業中心の歳出拡大だ。昔ながらのばらまき行政は,一時的には地方経済を潤したとしても,真の意味での再生にはつながらない。

 サービス産業で地域の魅力を向上させ,外国人観光客が心の底から訪れたいと思うような町づくりが地方経済には求められている。中核都市以外でも,認知度は高くはないが魅力的な町はたくさん残っている。ローカル・アベノミクスには,その魅力をハード面からだけではなくソフト面からも引き出すべく,実り多いとり組みをぜひとも期待したい。

『日本経済新聞』2014年9月5日朝刊「〈大機小機〉地方の魅力を引き出せ」

 この大機小機に対する「寸評」をくわえておきたい。

  “ローカル・アベノミクス” とは笑止千万の沙汰(造語?)である。

 すでに周知の事実であったが,全国版のアベノミクスはすでに,機能不全状態(その効果は測定不能である)に陥っていたのに,その「地方版での失策を所望・期待する」ということであったとしたら(?),笑止千万も極まり地点がなくなる。

 地方においてはなおさら,もともとアベノミクスの効果などありえず,もともとまったく期待するできるそれでもなかったし,実際に発生していたものといえば,その悪影響だけであった。

 日経「大機小機」への投稿者が,2014年時点の発言であったとはいえ,安倍晋三に献上するための「ゴマすりの発言(戯れ言)」を,それもコラムの中に特盛りでトッピングするのは勝手である

 しかし,それが,大々的にピント外れの論及であっては,全然いただけない。そんなコラムを読まされた読者の立場も,少しは考慮せよ……。

 いまさら,害悪の凝集体そのものであったアベノミクスの,なにもへったくれもないものである。冗談にもならない駄文書きはほどほどに……。

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