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ジャニーズ喜多川の性的嗜好問題を論じたら,連想的に飛び出てきた「ヒトラー⇔スターリンなど」の政治的な問題

※-0 前提の説明

 昨日,2023年9月9日の記述のなかで,部分的に話題にしたジャニーズ喜多川「個人」の性的嗜好問題,いいかえると,喜多川自身が経営者として長年運営してきた芸能事務所を舞台に,彼による性加害の犯罪問題が半世紀以前から発生していた問題をめぐって,いきなり連想ゲーム的に「ヒトラー⇔スターリン〔⇔ヒロヒト?〕」という組合わせの問題までが,突如,注目される場面が提供された。

 本日は,昨日の記述では十全には言及できていなかった部分,すなわち,ロシアの侵略戦争に苦しんできたウクライナ政府が,以前,2022年の4月にSNSに出した画像であったが,「ムッソリーニ・ヒトラー・ヒロヒト」をいっしょに並べた画像の問題を,本日のこの記述は中心の話題に据えて議論することにした。

ムッソリーニ・ヒトラー・ヒロヒト画像

 ジャニーズの芸能事務所が2023年9月7日,記者会見をしたなかで,元博報堂社員でノンフィクション作家の本間 龍が,「ヒトラー株式会社」「スターリン株式会社」とジャニーズ事務所は同じようなものだ,名称を変えないままでいいのかと批判し,大きな話題になった。

 本間が「ヒトラー株式会社やスターリン株式会社と同じだ」とジャニーズ事務所をまるで,あたかも「ムッソリーニ事務所」と同じだという具合に形容・批判したのは,この事務所が名称を変えずに存続させるといった意向表明を受けてのことであった。

 第2次大戦中の三国同盟国の国家指導者たち「ムッソリーニ・ヒトラー・ヒロヒト」を「ひとくくりにまとめた画像」をSNSに流したウクライナの軍事情報戦術は,しばらく時間が経過したあとであったが,日本側に伝わり問題となった。
 

 ※-1「ヒトラーと一緒に昭和天皇の写真 ウクライナ政府が動画から削除,謝罪 」という報道は2022年4月25日

 a) 本ブログ筆者は昨日(2023年9月9日)の記述で,ジャニー喜多川の芸能事務所でこの社長が,半世紀以上もつづけてきたタレントたちに対する「性加害行為」をとりあげ議論をおこなっていた。

 その題名は「戦前の日独伊三国同盟と天皇裕仁,戦後のジャニー喜多川事務所と芸能界」としていたが,ジャニー喜多川が自分の経済的に圧倒する立場,つまり,会社の権力と権威をもってだが彼が,少年層の男子に対して日常的に性的虐待行為をくわえていた事実を論述するにあたっては,

 それと並行させて,ウクライナが「ロシアのプーチン」による侵略戦争に対抗するための情報戦略の一環としてだが,プーチンのいい方だと「特殊軍事作戦」に向ける対抗策してかかげていたのが,つぎの画像であった。

 しかし,日本政府はこのウクライナ側のSNS情報作戦の内容に対して抗議をおこない,ウクライナ政府も「自国の立場:損得勘定」をただちに計算しなおしてだが,すぐに日本政府に謝罪し,このSNSのツイート作戦を撤回していた。

下の画像を上の画像に差しかえていた

 その事実経過に関して本ブログ筆者は,「ムッソリーニ・ヒトラー・ヒロヒト」と並べたこの布陣であれば,第2次大戦時における世界の軍事的な光景を表現することに関してならば,格別間違えた方途にはならないという基本点を踏まえ,議論していた。

 本ブログ筆者は,いまから1年と5ヵ月近くも前の報道についてであったが,当時,このSNSの内容に不快感を抱き,批判した日本政府側の対応そのものには,なお詮議不十分の問題性があったので,これを具体的に説明しておく必要を感じていた。

 その必要性を満たすのに役立つ論及が,実は,2022年4月当時において早速,応答となり登場していた。昨日の記述中にこれを紹介するとなれば,それでなくとも,いつも長文である記述がさらに膨らむので,翌日(である今日)の内容としてとっておくことにした。

 「ムッソリーニとヒトラーとヒロヒトを並べた」画像が絶対的にいけないものであったかどうか,いまは戦前・戦中でもないから,この国のなかで不敬罪に問われるということはない。

 けれども,ウクライナが2022年4月にツイッターに公開した,それも軍事侵略をしてきた「ロシアのプーチン」を非難するために作成したその画像が,はたして「絶対的に不適切・不適当」であったかどうかは,人それぞれの判断ゆだねるべき問題であった。

 とはいっても,その人なりの相対的な判断にのみ自由に任せておけばいいという性質の問題とはいいきれなかった。2022年4月時点ですでに,以上の話題を受けて,この問題に関して自分の解釈なり見解なりを公表していた学究がいた。

 それは,※-2に『朝日新聞』記事を引用しながらの記述となる。

 その引用をする前にいま一度断わっておくが,いまは21世紀であり,19世紀の明治維新とともに造形された「神格天皇:神聖裕仁」像をとりあげているのではない。

 20世紀の,それも1940年代における人物,「ムッソリーニ・ヒトラー・ヒロヒト」を並べて,なんらかの批判をするために「彼らの雁首を並べた」からといっても,それでもってただちに,そのSNSを非難することに向かうのは,少しも「理の通った反応」とはいえない。


 ※-2「ヒトラーと一緒に昭和天皇の写真 ウクライナ政府が動画から削除,謝罪 」『毎日新聞』2022年4月25日,https://mainichi.jp/articles/20220425/k00/00m/030/013000c というニュース

「(耕論)昭和天皇とヒトラー並べた動画 橋爪大三郎さん,高橋哲哉さん,キャロル・グラックさん」『朝日新聞』2022年5月24日 5時00分〔朝刊〕,https://www.asahi.com/articles/DA3S15303371.html から。

学究に議論してもらうと
どういう意見が出たか

 ウクライナ 政府の公式ツイッターとみられるアカウントが投稿した動画に,ヒトラー,ムソリーニにくわえて昭和天皇の写真が掲載され,その後謝罪・削除された。

 この記述中では,前掲に出しておいた当該の画像資料は『毎日新聞』と,そのほかの情報源からもちだしている。ネット上を探した感想としては,この画像はなるべく出さないようにしていると感じられた。つまり,あたかも天皇家・皇族たちの立場・境遇に「忖度あり」と受けとるほかない〈雰囲気〉が感じられた。

 〔以下引用となる〕〔その〕問題の背景を聞いた。

 1)「日本の抗議,理解できるが」 橋爪大三郎さん(社会学者)

 ヒトラーやムソリーニと昭和天皇を同列にした動画に対して日本政府が不適切だと抗議するのは,理解できます。3人の肖像には今回,「ファシズムとナチズムは1945年に敗北した」という説明文が添えられていました。

 ヒトラーとムソリーニはそれぞれ,ナチズムとファシズムのリーダーでした。両者とも第2次世界大戦が終わる直前に死去しましたが,生きていれば軍事裁判で有罪にされたと思われている存在です。

 他方,昭和天皇は敗戦後の極東国際軍事裁判で起訴されませんでした。 戦争犯罪人ではないというのが連合国軍側の判断であり,その裁判結果を受け入れることを条件に日本は独立を果たしたのです。

 だから,人を同列にする見解に対して日本政府が抗議をすることは当たりまえだとはいえるのです。ただし,問題は別の点にあります。

 補注)この表現のしかた「ただし,問題は別の点にあります」といういいまわしには,若干といいいたい以上に疑義があった。ここで「別」だといわれる意味は,けっして完全に無関係とまではいっていないはずだし,もとよりそのようにいいきることもできない話題であった。むしろ同一体の裏表の関係だと表現したほうが適切であった。

〔記事に戻る→〕 昭和天皇が有罪になっていないという一点に依拠する抗議は,みずからの見解ではなく外国の考えに乗っかっての抗議だということです。

 「同列にするなというなら昭和天皇はどれぐらいヒトラーと違うのか」

 「そう考える根拠はなにか」という問いへの回答を,日本政府が用意したうえで抗議したとは,思えません。

 私自身は,先の戦争について昭和天皇には法的責任も政治的責任もないと考えます。当時の憲法が天皇を,責任を問われない存在と規定していたことなどが理由です。しかし,戦前の大日本帝国のありようがナチズムと似ているかどうかと問われれば,私の結論は「似ている」です

補注)このあたりの説明ははっきりいって,詭弁に聞こえざるをえない弁護のためのリクツが立てられている。

〔記事に戻る→〕 ナチスは「欧州の覇者になろう。われわれはそれにふさわしい偉大な民族だ」と考えました。民族の枠を超えたウルトラ・ ナショナリズムのイデオロギーです。実現のために他国に侵略戦争を仕かけ,批判されると「われわれは正しい,批判する相手の方が間違っている」と主張しました。

 大日本帝国も,自分自身を盟主とする大東亜共栄圏のイデオロギーをかかげ,アジアへの侵略をおこない,「不当なのはわれわれではなく英米だ」と主張しました。第三国からみれば,ナチスと同一ではないにしても同質にみえます。

 補注)ここまでの橋爪大三郎の意見を聞いただけで,前段でいった「別だ」というリクツが便法的にだか駆使されている様子が,ありありと目に浮かぶ。同一ではないがというのは,当たりまえの前提だし,同質にみえるというところが勘所であったとしか理解のしようがない。

〔記事に戻る→〕 反省するためには,なぜそういうことになったかという原因と,責任の所在が分からないといけませんでした。しかし日本人は,米国が考え出した「悪いのは軍部だった」という物語を受け入れ,これでいいことにしようと思ってしまった。軍部,天皇,国民それぞれの責任について自分の頭でしっかり考えてみる作業はおこなわれずじまいです。

 補注)この点,「軍部,天皇,国民それぞれの責任」の問題は,敗戦後史においてろくに詰めることさえないまま,それこそ21世紀の今日まで来ていると評価するのが妥当である。

〔記事に戻る→〕 外国がどう考えたかは本来,二の次であるはずです。ウクライナ政府側が謝罪し,昭和天皇の肖像を外したからといって,問題が解決したと考えるべきではありません。(引用終わり)

 だから,前段で「別の問題だ」というふうに記述していたはずの論点が,実際において本当は「表裏一体に密着する実体」であった。そうなのだとしたら,「歴史のなかの事実」はそれぞれの「事実が累積された歴史」としてあらためて認識しなおす余地があった。

 ましてや,敗戦後にまで生きのびることができた天皇裕仁の「敗戦後史の事実経過」を,われわれ側が多少でも勉強してみたら,この人は実際にはなにも反省をしていなかったのではないかと,重大な疑問をいだかざるをえない。これは,当然の理解になる。

 その証拠がひとつ挙げておく。

 息子の平成天皇明仁・夫婦に,戦跡めぐりをさせては「頭を垂れ」「なにかに謝る」,というよりは,東京の「皇居」に明治維新になってからしつらえられた「賢所⇒皇霊殿⇒神殿」に集約されるがごとき「国家神道の宗教的な精神」にもとづき,しかも,そこから遠くにはなれていても,そこの宗教精神に還元させて祈祷するためであったかのように,彼らには慰霊の旅を重ねていた。

 前段に指摘した「明仁天皇夫婦:慰霊の旅」は,父昭和天皇の敗戦までの〈行跡〉が気になってしかたがない「息子・明仁夫婦」の,いってみれば,敗戦後史の日本において天皇家側にとってはまさしく,「よりよい生き残り戦術」のための一端の演出・劇であった。われわれは,その事実に気づいておく必要があった。

 ◇人物紹介◇ 「はしづめ・だいさぶろう」は1948年生まれ,現在,大学院大学至善館教授。加藤典洋,竹田青嗣と討論した共著『天皇の戦争責任』径書房,2000年がある。

人物紹介

2)「不快な現実,直視できたか」 高橋哲哉さん(哲学者)

 ヒトラー,ムソリーニと昭和天皇を並べた動画はウクライナ政府側から発信されました。第2次世界大戦当時,ウクライナはソビエト連邦の一部でした。つまり, 連合国側にあったことになります。

 連合国では戦時中,この3人を並べた形で描いたり語ったりしていました。敵である枢軸国のイメージです。戦争当時,天皇は大日本帝国憲法によって統治権の総攬(そうらん)者であると規定されていました。

 日本軍は「皇軍」と呼ばれる天皇の軍隊であり,天皇は大元帥として全軍の最高司令官でもありました。

 補注)この皇軍という漢字は,中国側では「蝗軍」と称した。この蝗(イナゴ)という表現がなにを意味するかは明白であった。「三光作戦」を思い浮かばせる。

〔記事に戻る→〕 今回,「3人を並べるなんて,とんでもない」という反応が出たことには,戦争に関する記憶がいよいよ薄れてきていることを感じます。

 補注)ここでいわれた「戦争に関する記憶がいよいよ薄れてきている」という理解は,二面的かる排反的な意味あいが含まれていた。その記憶どおりに敗戦後の日本人たちが全員そう思っていたのではない。初めから薄れると形容したらいい「敗戦・史観」をもたない者たちも大勢いた。

 昭和天皇が敗戦後も天皇の地位を去らなかった事実は,その種の人間が自信をもって「薄める必要などない」と確信すらできる「大東亜戦争」観があった。それゆえ,もともとその記憶をもとうとしない者たちに対して,以上のごとき議論は意味半減どころか,ほとんど通じない。

〔記事に戻る→〕 天皇を,極悪人のイメージがあるヒトラーと同列に並べられることに不快感を抱く人はいるでしょうが,歴史問題は快・不快だけで反応すべきものではありません。なぜウクライナからこの動画が出てきたのかを考えるべきです。
 
 敗戦直後に日本では南原(なんばら)繁・ 東大総長 が,昭和天皇の「道徳的責任」に触れながら退位を求めました。戦争について天皇にはなんらかの責任があるという意見は,日本国民の中にもあったのです。

 他方,天皇の戦争責任をあいまいにさせようとする動きや,責任を問う議論じたいを暴力で威嚇し,タブーにさせる動きも戦後日本にはありました。1990年には、昭和天皇には戦争責任があると発言した本島 等・長崎市長が右翼に銃撃される事件も起きています。

 補注)ここ数段の記述は,直前の補注で本ブログ筆者が指摘した点に関連する中身でもあった。それはさておき,本島 等に関する新聞記事は,昨日にそのスクラップを画像資料にして紹介してあった。ここでもかかげておきたい。

本島 等・元長崎市超

 自由に議論できる環境があったとはいえません。極東国際軍事裁判で連合国側が天皇の責任を問わなかったのは,米国の政治的思惑によるものだということは,ほぼ周知の事実です。責任をあいまいにしておくことを許してくれたのは米国なのです。

 補注)そしてその結果がどうなっているか? 「対米従属の本旨をなす日米軍事同盟関係」がすでに強固に構築されている。それも,あの安倍晋三が首相のときであったが,2015年に米日安保関連法を成立させ施行した。

そもそも国辱でもあり
国恥でもあった
この日本の首相は
「美しいはずのこの日本」を
壊してきた

 日本の軍隊(自衛隊)が米軍の傭兵もどきに頤使されかねない両国間の間柄を,わざわざ作ったのである。だからこの「世襲3代目の政治屋」のボンボンは国辱,国恥,国難の首相だと指弾されてきた。

 その安倍晋三が平成天皇の在位していた時期,この明仁をイジメにいじめ抜いてきた事実は,日本政治を専攻する学者であれば周知の事実であって,われわれのように専門外の人間でも察知できた,まことにみっともない晋三の子供じみた行動であった。

〔記事に戻る→〕 〔2022年〕今〔4〕月9日におこなわれた プーチン・ロシア大統領の演説には,日本を指すと思えるくだりがありました。冷戦後に米国がより特別な国のように振るまい始めたと指摘しつつ「(米国は)なにも気づかないふりをして従順に従わざるをえなかった衛星国にも屈辱を与えた」と述べたのです。

 この衛星国の典型は,米軍基地 問題や沖縄問題などで米国への 忖度(そんたく)や追随をし,主権国家としての振る舞いができずにいる日本ではないでしょうか。そんな日本にプーチン氏は「屈辱を感じないのか」といっているように思えるのです。

 しかし,ウクライナの動画への敏感な反応とは対照的に,この発言への不快を示す声はほとんど聞かれません。自国の不快な現実を直視できているのか。外からそう問われていることへの自覚が薄い日本人の姿を映し出している点で、動画問題と通底する現象だと思います。

 ◇人物紹介◇ 「たかはし・てつや」は1956年生まれ,東京大学名誉教授,著書に『戦後責任論』講談社(学術文庫),2005年,『靖国問題』筑摩書房,2005年,『日米安保と沖縄基地論争』朝日新聞出版,2021年など。

人物紹介

 3)「歴史修正,誤解与えかねず」 キャロル・グラックさん(米コロンビア大学教授・歴史学者)

 まず,世界の視点からみてみましょう。日本,ドイツとイタリアは第2次世界大戦の枢軸国とみなされています。この戦争はナチズム,あるいはファシズム陣営と呼ばれた側が連合国に敗れました。

 戦争中,昭和天皇は日本の最高指導者として広くしられ,軍服を着て,白い馬にまたがった姿がしられていました。そうしたイメージは日本の政府から発信されていました。

 当時の海外報道でも,日本の指導者として東条英機が登場することもありましたが,大半は昭和天皇(海外では当時から「ヒロヒト天皇」)でした。同時に,昭和天皇は神格化され,軍服姿の大元帥としてだけ存在したのではないということは誰もがしっているでしょう。

 〔ところが〕戦後は何十年もの間,平和国家の象徴でした。

 磯崎仁彦官房副長官は「まったく不適切であり極めて遺憾だ」と述べましたが,同じ動画に対して,ドイツやイタリアがウクライナ政府に抗議をしたでしょうか。

 補注)同上の指摘は,本ブログ筆者も昨日の時点で,いちおう念のために記しておいた。

 ドイツはナチズムを,イタリアはファシズムを乗り越えて,戦後は平和を愛し,民主主義国家として歩んでいることを誇りに思っているでしょう。しかし,日本政府はまるで風車に戦いを挑んだドン・キホーテのように受けとめられてしまうのではないでしょうか。

 補注)そのドン・キホーテの1番手が安倍晋三,その2番手が岸田文雄であった。ただし,この2人とも自分がキホーテであるという自己認識がまったくないところに,さらなる悲劇的な問題が潜伏していた。

〔記事に戻る→〕 どんなに日本政府が努力しても,日本が枢軸国の一員だったことを書きかえることはできません。あらゆる国において,歴史と記憶の問題があります。ドイツや日本にとって,戦争の直後は被害者だったという記憶が大きかったですが,ドイツもホロコーストや近隣諸国に与えてしまった苦難に向きあわなければならなくなりました。

 英国やフランス,オランダなどの国々も旧植民地との間に,多くの歴史と記憶に関する問題を抱えています。米国にも人種差別といった問題があります。戦争の記憶も変化しつづけています。つねによい方向に変化するとは限りません。政治的な道をたどってしまうこともあります。

 ロシアのプーチン大統領をはじめ,さまざまな政治家が歴史を書きかえようとしています。私は歴史家として,歴史と記憶がもう少しうまく機能してほしいと願っています。

 補注)日本政府(自民党政府のことだが),ここで以上のように指摘された「政治家が歴史を書きかえようとしています」という1点は,内外の問題にかかわらず実行してきた。

 「教育勅語」はいいことも書いてあるとか噴飯モノの非常識を語り,これを否定しないことにした事実は,その代表例であった。従軍慰安婦問題から「従軍」というコトバを取れといったのも,この政府であった。

 そのことばを変えたからといって,「言霊」のように「歴史の事実」を変えられると思ったら大間違いである。なにせ問題は相手(外国)が居るのだから,自国の意思だけで相手側が思うように同調などしてくれない。

〔記事に戻る→〕 1989年からいままでに,メディアでさまざまな戦争に関する問題が報道され,平成の天皇による戦争記憶の大使としての行動などもあって,一般の日本人の戦争に対する意識はだいぶ変化してきていると思います。

 日本政府が,今回のような反応をすることは,そうした日本人のせっかくの変化が世界に届かず,日本も歴史を書きかえようとしているのかという誤解を与えてしまいかねないことが残念です。

 補注)キャロル・グラックのいい方はかなり微温的であった。日本政府と日本の庶民のあいだには一定の間隔があるかのように話をしているが,これまた大間違い。両者が一体化している「明らかな現象」は,現に存在していた。それゆえ,このように批判しておかねばならない。

また「平成の天皇による戦争記憶の大使としての行動など」という表現を充てて,いいたかったらしい論点も,いささかならず甘過ぎる評価になっていた。明仁天皇は実際,中国や韓国・北朝鮮にまでその「戦争記憶の大使としての行動」をしていたか? 否であった。できなかったのである。憲法の制約もあった。明仁はこの問題をよく理解していた。

 いきやすいところならば,率先して訪問し,それなりに慰問の気持ちを表示してきたが,しかし,いかない(いけない)ところだとなれば,その気持ちを相手に向けて表現すらできない。

 かつての大日本帝国は,八紘一宇,これを分かりやすくいうと,その帝国主義イデオロギーのもとで「世界は一家,人類みな兄弟:姉妹だ」などと,気安くいうがごとき「誇大妄想・夜郎自大の侵略イデオロギー」を基本観念として,脳天気にも抱いていた。

 一視同仁とも強調していたが,日本民族以外の近隣諸国の人びとは,絶対的に下等視されていた。それだけのことであった。21世紀の日本にも同じ対アジア人観は厳在するし,大きなシッポとしていまだに引きずっている。

 ◇人物紹介◇ キャロル・グラック(Carol Gluck)は1941年生まれ。米国における日本近現代史研究の第1人者。著書に『歴史で考える』岩波書店,2007年,『戦争の記憶』講談社,2019年など。

 ◆キーワード◆ 『昭和天皇とヒトラーを並べた動画問題』((繰り返し的な説明だが以下に記述しておく)
 ウクライナ政府の公式ツイッターとみられるアカウントが投稿した動画に,ヒトラー,ムソリーニにくわえて昭和天皇の顔写真と,「ファシズムとナチズムは1945年に敗北した」という説明文を掲載。〔2022年〕先〔4〕月24日にツイッターで謝罪し,天皇の写真を削除した。

人物紹介とキーワード

〔記事に戻る→〕 磯崎仁彦官房副長官は会見で,日本政府がウクライナ側に写真の削除を申し入れたと説明した。(ここで記事の引用すべて終わり)

 そのSNS問題をめぐっては,ウクライナ側の謝罪と訂正(削除)が適切になされていたからといって,「ムッソリーニ・ヒトラー・ヒロヒト」関連のその本来的な諸問題が,なにもなくなることはありえない。

 むしろ,その問題が特定の他国においては「意識的に根をはやさせ,忘却させない」ように対処されつづけてきた事実に留意すべきである。

 今回は,相手が日本の立場としては支援しているつもりのウクライナ側だったとはいえ,「昭和天皇に固有の歴史問題」がまたもやほじくり出されてしまったのである。

 訂正してもらえれば,それですべてが丸く収められ,完全に忘却してもらえるといったような容易な問題でもなかった。

 本ブログ筆者は,昨日の記述中でこう述べた。イタリアやドイツからはそのSNSに苦情・異論は出ていなかったのか,と。それは説明するまでもあるまいが,それでは日本はどうであったか。

 今回,ウクライナ発の昭和天皇「問題」が,あたかも鎌首をもたげたかのように,ある意味,ふとしたきっかけから再登場した。それなりにその理由がもとから伏在していたことになる。わざわざあらためてこのように記述しなければならない点があった。とくに日本側の認識に関しては,この種の問題の未決着性が注目される。
 

 ※-3「ジャニーズ帝国と沈黙」『毎日新聞』2023年9月9日朝刊2面「土記」で伊藤智永がこう書いていたが,※-2までの内容とは根底で共通問題があった 

 本日,『毎日新聞』2023年9月10日朝刊の別刷版「日曜くらぶ」は,この松井貴史による寄稿を掲載していた。同感できる文章である。このなかではとくに最後付近の段落に注意したい。

松尾貴史・連載

 岸田文雄という「世襲3代目の政治屋」である首相の,その「聞く力」ならぬ「異次元の鈍感力」は,度外れに驚嘆すべき中身になっていた。昨今,困窮ばかりさせられてきている庶民の生活全般を,まったく理解できない自民党のこの反国民的な総理大臣。この人がいま,日本のなにを総理できていたのかと問われても,疑念だけが深まるばかりであった。

 統一教会の問題はどうなった? 裏取引ができているという話も聞くが。

 木原誠二官房副長官を解任・更迭しないのはなぜか? この木原がいないと首相としての岸田は,国政の担当者として無力であった。

 岸田文雄は首相になったのは閣僚人事をするためだと答えた。この「世襲3代目の政治屋は,正真正銘の「本格的な▲カ」である。一番なってはいけない人物がそれも連続して日本の首相を演じてきた。初めから大根役者の足許にも及ばない程度の演技力には,国民・市民・庶民たちがこぞって呆れ変えている。

 統一教会と創価学会などのオカルト味の濃い自民党である。いまより日本の政治がよくなる兆候など寸毫も期待しえない。国民・市民・庶民には選挙で投票にいくことを義務化する必要があるかもしれない。これは自民党の連中がもっとも嫌がる選挙関連の制度変更点になりうる。

 このままでは近いうちに日本は,いきづまり,そのどん底に転落する。「ムッソリーニ・ヒトラー・ヒロヒト」がどうだこうだの問題どころではなくなっている日本……。

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