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細菌毒素を医薬や美容に応用


「鏡よ、鏡、世界で一番美しいのは誰?」
 女王は鏡に尋ねました。すると、鏡は、正直に答えました。
「女王様、このお屋敷で一番美しいのはあなたです。でも、いくつもの山を越えた、七人のこびとの家には、あなたより千倍も美しい白雪姫が住んでいます」
 嫉妬に燃えた女王は、毒をぬった櫛をこしらえました。そして、身なりを変え、おばあさんの姿になって、白雪姫のいる七人のこびとの家に向かいました。
 櫛を気に入った白雪姫は、おばあさんに髪をといてもらいます。ところが、櫛に塗られた毒が白雪姫の頭にしみ込んだものですから、姫は死んだように倒れてしまいました・・・

グリム童話「白雪姫」より

毒で美しく?!

冒頭は、グリム童話「白雪姫」の一節です。このあと、白雪姫は七人のこびとに助けられ一命を取り留めます。

毒は、人や動物の生命を奪う忌々しいものです。「毒」と「美しさ」、一見、無関係に見えますね。しかし、「毒」という漢字は、婦人が祭事に奉仕するために盛装、身繕いしている姿を表す象形文字であるといわれています*1。白雪姫はその美しさを嫉妬され、“毒”によって殺されそうになりました。一方、現在、美容の世界では、その“毒”が利用されています。テレビや雑誌などマスコミでも紹介されている「ボトックス」や「シンエイク」などがそれです。これらの商品は、もとをたどれば、それぞれ、ボツリヌス菌あるいは毒蛇の産生する毒素タンパク質です。
 この記事では、我々の研究室で研究を進めているボツリヌス毒素タンパク質について、我々の研究成果を交えながら、その美容整形分野・医療分野での利用を紹介します。

ボツリヌス食中毒

ヨーロッパの人々は、長い間、生肉を焙って食べるという食習慣を続けてきました。しかし、18世紀後半から塩漬けハムやソーセージなど肉を原料とした保存食品が民衆の間で普及し始めました。皮肉なことに、この新しい食品の出現は、botulisms(ラテン語で“ソーセージ中毒”の意)と呼ばれる致命率の高い原因不明の食中毒の多発という恐ろしい事態を招くこととなりました。

 その後、この食中毒の原因が明らかになったのは、約100年後のことでした。1897年、ベルギーのヴァン・エルメンゲムが中毒の原因となった塩漬けハムおよび中毒死した患者の脾臓から原因菌を分離し、Bacillus botulinus(後に、クロストリジウム属に分類され、Clostridium botulinumと命名)と命名しました*2。

 日本では、1951年、北海道岩内郡島野村(現在の岩内町)で発生した食中毒からボツリヌス菌が分離されたのが最初です*3。このとき、原因となった食品はニシンの飯寿司でした。

「いずし」を原因としたボツリヌス食中毒の発生
原料となる魚に付着したボツリヌス菌の芽胞が発酵のための樽に混入していると、嫌気的な条件下で芽胞が発芽し、菌が毒素を産生することがある。

 その後、日本では100件ほどのボツリヌス食中毒が発生しており約100人が死亡しています。そのほとんどの原因は、飯寿司など魚の発酵食品です。一方、1984年、東京都と12の県において日本国内で最大規模のボツリヌス食中毒が発生しました。このときの原因になったのは、熊本県の辛子レンコンです。真空パックの辛子レンコンを食べた人の36人が中毒症状を引き起こし、うち11人が亡くなりました。その後の調査で、辛子レンコン製造に使用した輸入品の生辛子粉から毒素が検出されました。これ以降、真空パックの食品は食べる前に加熱するなど、安全性を徹底する注意喚起がなされました。

毒素でシワをスッキリ

ボツリヌス菌の産生する毒素タンパク質は、自然界で最も強い毒性をもちます。摂取された毒素は腸管から吸収され、血液中に入って全身をめぐり、最後には筋肉を収縮させる神経の末端(神経筋接合部)に作用します。

 ボツリヌス食中毒では全身に筋肉の弛緩が起こります。最初はめまいや頭痛ではじまり、次に視力低下やものが二重に見える(複視)という症状が現れます。これは目の筋肉の異常によるものです。また、喉の麻痺症状も現れ、しわがれ声になったり、水を飲み込むこともできずにむせたりするようになります。さらに進むと、全身の筋肉麻痺が次第に顕著になり、ついには呼吸麻痺に陥り死亡することもあります。

 このように、猛毒で知られるボツリヌス毒素ですが、最近では、美容や医療分野での利用がすすんでいます。例えば、1989年頃から、欧米において、ジストニアとよばれる眼瞼けいれんや片側顔面けいれんなど、筋肉の不随意運動による疾患の治療に対するボツリヌス神経毒素による治療が一般化し始めました*4。これは、筋肉の動きを麻痺させる毒素の働きを利用し、筋肉の不随意運動を止めようとするものです。ボツリヌス治療は副作用も少なく、優れた治療法といえます。

 一方、美容整形に使用されている「ボトックス」という商品名で広く知られる製品。これも、基をたどれば、ボツリヌス毒素です。顔面には表情筋の運動に関与する末梢神経が数多く存在します。顔面にできるシワは表情筋の運動に生じます。この筋肉の動きを麻痺させることで顔面のシワをできにくくすることを狙ったのが「ボトックス」です。
 
 また、「ボトックス」は、フェイスラインを整え、顔を小さく見せることにも利用されています。張り出した“えら”は、骨そのものが突き出している場合もあるが、筋肉が発達しすぎているために起こることもあります。この筋肉を弛緩することで“えら”の張り出しを小さくし、顔を小さく見せることができます。さらに、多汗症、ワキガの治療にも利用できる可能性が示されています。

消化管を旅する毒素

ボツリヌス神経毒素はタンパク質です。一般的に食事として口から取り入れたタンパク質は胃や腸の消化液で小さな分子に分解されるため、その機能は劇的に低下します。実際、ボツリヌス神経毒素も例外ではなく、単一に精製された神経毒素をマウスに経口的に与えても、多くの場合、マウスは生き延びます。

 では、ボツリヌス神経毒素は、どのようにして食中毒を引き起こすのか?これが、私たちの注目したボツリヌス毒素の特徴です。ボツリヌス神経毒素は、培養液中や菌の混入した食品中において単独では存在せず、4種類の無毒タンパク質と結合した「ボツリヌス毒素複合体」として存在します*5。

ボツリヌス毒素複合体
ボツリヌス神経毒素(BoNT)は、NTNHA、HA-70、HA-17およびHA-33と結合して、14量体の複合体(Toxin complex)として培養液や汚染された食品中に存在する。

 無毒タンパク質のうちの一つ、非毒非血球凝集素(NTNHA)が神経毒素に結合すると、タンパク質分解に対し強い耐性を示すようになります。したがって、NTNHAタンパク質は神経毒素を胃や腸の消化液から保護していると考えられます*6 *7。

 血球凝集素(HA)は、細胞表面の特定の部分に結合する働きを持ちます。細胞の表面には、糖タンパク質や糖脂質など糖鎖を持つ分子が存在します。糖鎖はアンテナのような働きをしており、細胞外の物質と結合することでその情報を細胞内に伝える働きをもちます。HAは小腸管の内側の壁にある特定の糖鎖と結合し、細胞に何らかの変化を引き起こすことで、毒素複合体が小腸細胞を通過し、小腸管の外側へ移動しやすくしているものと推測されています。

毒素複合体は神経毒素を安定かつ効率的に小腸へと運搬し体内に侵入する機能をもつと考えられる


 つまり、ボツリヌス毒素複合体の無毒タンパク質は、神経毒素が消化液によって分解されないように保護しながら小腸へ送り届け、さらに効率よく血流へと運ぶ役割を担っています。私たちは、このボツリヌス毒素複合体の無毒タンパク質の機能を応用することを目指しています。すなわち、神経毒素タンパク質を他の機能性タンパク質やペプチドに置き換えることで、消化酵素に弱いタンパク質やペプチドを経口投与できるシステムの構築が可能であると考えています *8。

 害にも益にもならないもの、邪魔にもならないが大して役にも立たないもののことを“毒にも薬にもならない”といいますね。毒も薬もそして化粧品も、細胞に何らかの影響を与えるものです。生物活性をもつ物質は、同じものでも使い方、使う量によって、違う影響を与えます。物質がよい影響を与えるとき薬となり、悪い影響を与えるときは毒となります。生物活性物質がもつ影響をよく観察し、研究することで、それは“毒にも薬にもなる”ものなのです。

参考文献
1)白川静(1988)『字統』平凡社 p662
2)van Ermengem, E.(1897)Ueber einen neuen anaeroben Bacillus und seine Beziehungen zum Botulismus. Z. Hyg. Infektkr., 65, pp1–56.
3)中村豊, 飯田広夫, 佐伯潔(1952)岩内群島野村に起こったボツリヌス中毒について. 北海道衛生研究所報特報. p1
4)Tsui, JK, Eisen, A, Stoess, AJ, Calne, S. & Calne, DB. (1986) Lancet 2, 245–247
5)Hasegawa, K., Watanabe, T., Suzuki, T., Yamano, A., Oikawa, T., Sato, Y., Kouguchi, H., Yoneyama, T., Niwa, K., Ikeda, T. & Ohyama, T. (2007) J. Biol. Chem. 282, pp24777–24783
6)Sakaguchi, G., Kozaki, S. & Ohishi, I. (1984) Bacterial Protein Toxins, Academic Press, London, pp435–443
7)Miyata, K., Yoneyama, T., Suzuki, T., Kouguchi, H., Inui, K., Niwa, K., Watanabe, T. & Ohyama, T. (2009) Biochem. Biophys. Res. Commun. 384, pp126–130
8)Fujinaga, Y., Inoue, K., Watanabe, S., Yokota, K., Hirai, Y., Nagamachi, E. & Oguma, K. (1997)Microbiology 143, pp3841–3847