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桜の話

お写真、素敵な河津桜を使わせていただきました。ありがとうございます。桜は北海道出身のため、関東にくるまで河津桜はみたことがありませんでした。ほんの少しだけ植えてあるソメイヨシノと、桜と言えば蝦夷ヤマザクラ!という場所に住んでいました。


私は看護師を職業としてやっています。きっかけは小学生の時に父が「お前は人と接するのか好きだから保健師になったらどうだ?」とたった1度言った言葉でした。当時市の保健師が不足していて、待遇もよく、父は私に勧めたようです。桜は保健師という仕事につくためにはどうしたらいいか、小学校の図書室で調べました。

まず看護師免許が必要

看護師になるには大まかに2通り。
准看護師から専門課程に進学して看護師免許を取得する方法と専門学校(北海道には看護大学はまだなくて、看護短大が3校のみ)に進学し看護師免許を取得する。

それから保健師科に進学。


ふむふむ。私は面倒くさがりなので、准看護師から進学して、また保健師科を受験するのは気が遠くなりそうだったので、専門学校を目指すことにしました。小学校6年生の時に。

よくまぁ12歳くらいで思ったことに向かって進んだよなぁと思いますが、実は母からは「手に職をつけなさい!」はよく言われていました。なにせ、母方従姉妹、私を含めて5人看護師です。1人は准看護師だけど。

高校は普通科に行けば看護学校受験できるし、2年は理系選択で化学、世界史。3年は理系選択で生物。
道看模試で数学1位取ったときは本人びっくり。先生たち大狂乱でした。しかし、あれ、あとで家でやり直したらケアレスミスしていて、本来100点取れるテストだったから、結果くるまでまぁ落ち込んでおりました。

看護学校は、看護短大も受けたけど、短大用の勉強を始めたのが遅かったので、ダメでして、専門学校の第1希望に入学。紆余曲折あり、実習で受け持ち患者さんに心閉ざされて悩んだり、ダメだしばかりされながら、何とか卒業。国試も受かり(点数なんて覚えてない)。

バブル崩壊した社会に投げ込まれ、希望した保健師科も見事玉砕。就職先も大学病院は見事に不合格……。
で、地元の総合病院へ。面接は看護部長、同級生のお母さん……。そのまま給与体系の話に入り就職決定。
希望通りの小児科病棟へ。

基礎的なことはここの小児科と次に働いたNICUで学んだので、細かいとか厳しいとか言われる看護師に育ちました。小児科とNICUは本当に大変だったけど、楽しく働いていて充実していたなぁと思います。
今戻れと言われたら、頭と体力が付いて行かないな(笑)。

レスピレーター6台使ってるユニットは凄かったですね。超低出生体重児も極低出生体重児もみていたしね。

最初の5年間はとにかく勉強!すべてが新鮮!
やる気に満ちていたなぁと振り返ってみてます。

学生時代には戻りたくないけど、小児科時代なら戻ってみたいかも(笑)。

世界で1番小さく生まれた子が5歳になったNEWSみて思い出したのよね。200g代はみたことないけど、400g代はみたことあってね。1000未満は本当に怖かったなぁ。

そんなことを思い出したんですよね。
また書いてみますね。


ではでは


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