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”見られている”という意識

”それ”は脆く、一世界の、その中でも特に無責任なひとつの声でしかないけれど、

”それ”は、わたしの中で根強く、わかれた枝のように蔓延り侵食していくー。

夢のようなものを見た。

それは見えないように押し込んだはずの「私のある意識」だった。

      「○○ちゃんさぁー…目、変わったよね?」

同じ携帯のフレームに写っている友達が私の真横でふいに、そうつぶやいた。  私も友達も笑顔なのに、互いに何か言いたげな顔をしている。

無機質なシャッター音だけが、二人だけの教室にカラッと反響した。

友達はそれ以上踏み込むこともなく携帯をいじりながら笑顔で話しかけてくる。

私は何か悪いことをしたわけでもないのに、この場所に居心地の悪さを感じた。

まるで狩られる前の動物のように、私は”それ”にじりじりと追い詰められていく。

逃げ場のない緊迫感と閉塞感で息が詰まりそうだった。

夢の中なのにその感覚はリアルで、誰も”それ”を解き放ってはくれないのだという孤独と絶望に、私は背中を丸め、カメラに自分の顔が映らないよう押し寄せる自己嫌悪に溺れるような思いで床と目を合わせた。

ーこの後、どうせ他の子たちに陰で好き勝手言いふらされるんだろうな。

あぁ、自分の顔を変えるのってそんなに後ろめたいことなのだろうか。

整形や性別、価値観、考えという”個性”                   これらは比較的明るいものとして中身を目にするようになったけれど、     その光が当たっているのは限られた一部だけのように思う。          だって、私が生きている閉鎖的でカーストが蔓延る社会やグループに、その考え方は通用しない。

あぁ、あたまがぐるぐるしてくる。

これは私の近い未来なのだろうか、それとも単に不安や後悔からくる自分の深層を映し出したものなのだろうかー。

「何に悩んでもいいけど、結局、おまえは”おまえ”だから。」

教室の床と惨めに睨めっこをしている私の頭を誰かがそっと撫でた。

学校でお世話になった、しかめっ面で校則に厳しい先生だ。

笑顔を見ることが年に一回あったかわからない恩師が、私を優しく見つめ、ほほえんでいた。

線香花火が辺りの空気を喰らい、光と熱を帯びて激しく燃え盛るように、私の形を真っ黒に侵食する不安は、バチバチととした黄金の光と反発し、バラバラにぶっ壊れて、後はただ、何にも犯されず真っ白な空間が私の中で広がるだけだったー

押し込んで必死に隠そうとしていた後ろめたさや不安は、

もしかしたら私の生き方に転機を与えるものであったのかもしれない。

現状、物理的に何かが変わったわけでもないけれど。

    「なんで整形したの?」「いいなぁー、私も整形したーい」

この人たちは何を考え、どの目線でこんな言葉を私に向けるのだろう?     すごいなって尊敬してるの?…それとも見下してる?羨ましい?整形してようがしてまいが私のことが気に食わないのだろうか?…私のどこが嫌いなんだろう。

答えは、その子に聞いてみない限り永遠にわからない。

何も”わからない”のに塞ぎ込んで、わからないことに後ろめたさを感じ生きていくのなら、いっそ全て明らかにしたほうがいい。だって、

どこまでいっても、何をしても、結局私は”わたし”なのだ。

 世界にはいろんな人たちがいて、そこには一つひとつの価値観や考え方がある。誰に何を合わせても影響されるのも自由だけど、それに付き従ったところで誰も私の人生や気持ちに責任を持ってくれない。だったら、もう何もかも吹っ切れて、自分らしく、後悔してもいいって思えるような選択を

”わたし”が選ぶしかないじゃないか。

私が”わたし以下”になるなんて絶対にありえないのだから。むしろこれだけ悩んで、欠点を乗り越えようとする自分のどこが”以下”なのだろう。向上心しかない。

 誰だってそんな気持ちが少しは心の中にある。その光り輝く勇気の「かけら」はは、いつだって周りの目や言葉に押しつぶされ、粉々に砕けた。

でも無くなるわけじゃない。

あなたがその気持ちをどこか・いつか再び抱く時、その「かけら」はあなたにとって何より綺麗に輝くひとつの宝物になる。そしてあなた自身の人生を明るく照らしてくれる。そうしたら、言葉をかけてきた子と、どこかで仲良くなる、     そんな未来があるかもしれない。

誰だって自分に自信を持って生きたいよね。

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