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戴帽式のこと

ナースキャップというものを着けなくなってからずいぶん経つ。
あれは一体なんのために着けていたのだろう。

精神科病棟ではただただ邪魔だった。

不穏、興奮状態にある患者さんにとって1番つかみやすいのがナースキャップである。
サッと手を伸ばせばそこにナースキャップ。
非常につかみやすいデザイン。
しょっちゅうむしり取られては床に投げ捨てられていた。
ナースキャップは3ヶ所を白いピンで固定しており、むしり取られるとき結構痛い。
(もう白いピンて売ってないのかな)


それでも初めてナースキャップを着けたときの感動は言葉では言い表わせない。
かつてナースキャップは看護師のトレードマークのようなものであり、ナースキャップを着けただけで急に「看護師感」が増す気がした。
わあ!まるで看護師さんみたい!!
と誇らしげな気持ちになったものだ。

では初めてナースキャップを着けたのはいつかというと。

戴帽式である。

看護学校の一大イベントであり、私は卒業式よりも戴帽式のほうが感動した。
片道2時間ちょっとかけてド田舎までやってきた両親が戴帽式に出席してくれた。

戴帽式の会場である広い講堂は灯りが落とされ薄暗く、壇上には極太ロウソク(親灯)を手にしたナイチンゲール像が置かれ、それはそれは厳かな雰囲気であった。

学生1人1人が順に名前を呼ばれ壇上に上がり、キャップを着けてもらうために片足を一歩前に出して腰を低くする。
(この姿勢を美しくキープするのは大変キツく、私たち戴帽生は何度も何度も練習をさせられた。)

教務主任により戴帽生にナースキャップが与えられる。

私の番が来たそのとき、厳かな雰囲気をビリビリと引き裂いて「よっ!良いぞお!!」と父が声を上げた。
一瞬のうちに厳かな戴帽式から歌舞伎めいたものへとムードは一変し、会場からはクスクスと笑い声がもれた。
ナイチンゲール像も微かに笑った気がした。
ちょいちょい人の思い出に要らぬ彩りを添えてくれる父である。

ナースキャップを着けた後は、ナイチンゲール像の手元で燃えたぎる極太ロウソクから自分用の小さいロウソク(アルミホイルで出来た皿のようなものに乗っている)に火を分けてもらう。
そして降壇し、会場をぐるりと一周して自分の指定された位置に立つ。

…アチチ、アチ🔥。

思ってる以上に炎が熱い。


鼻毛がチリチリになったらどうしよう。
ものすごく熱いが、ロウソクを持つ位置も胸元のあたりと細かく決まっている。
立ち姿に関してもあれだけ厳しく指導された。
皆の姿勢や動作が揃ってこそ美しく感動的な光景が成り立つのだ。
この美しい光景を守るためなら、たとえ鼻毛が根こそぎチリチリに焼け焦げたって構わない。

鼻毛を気にしていると今度は自分の呼吸が気になってきた。
何気なくふうっと息をついたときにロウソクの炎が大きく揺らいだのだ。

あらやだ消えちゃう!!!

「ロウソクが消えてしまった場合」については教えてもらっていない。
教務もさすがに鼻息の荒い生徒のことまでは頭が回らなかったのであろう。

他の生徒がナースキャップを着けてもらっているところに、しれーっと登壇しナイチンゲール像からロウソクの火をおかわりするのは相当な勇気がいる。
さすがのナイチンゲール像も「2度漬け禁止だよ!」と怒り出すかもしれない。

鼻毛は気になるわロウソクの炎は気になるわで相当グッタリしてきたところに、とどめのアレが待っている。

ナイチンゲール誓詞である。

ナイチンゲール誓詞は本当に素晴らしい文章であり「看護師の倫理」があげられている。
当たり前のことのようで、簡単なことのようで、けれどとても大切な教えがナイチンゲール誓詞には詰まっている。


そして戴帽式でのナイチンゲール誓詞の唱和は見せ場であり、式のクライマックスでもある。
生徒全員が無事にナースキャップを戴きロウソクの灯りを手にし、広い講堂をコの字型に囲んだところでナイチンゲール誓詞を唱和する。

ナイチンゲール誓詞に関しては事前に暗記の試験まで行われた。
教務は「ここでほとんどの参列者が泣くから!ここ泣かせどころだから!絶対に失敗できないの!!」と無茶苦茶なことを言っていた。


「われは心より医師を助け、」

ナイチンゲール誓詞の終盤に出てくるこの1文が私の担当パートであった。
自分の担当が近づいて来るまでずっと緊張していた。(時々ロウソクに気を配りながら)

「われは心より医師を助け、」
心を込めて堂々と言うことが出来た。
口にした瞬間、やはり胸にこみ上げるものがあった。

そうか。私は看護師になるんだな。


ちなみに父は号泣していた。
父が撮った写真を後から見ると、そこには私ではない別の子が写っていた。
誰の何に感動していたのだろう。

それはさておき、看護師になり20年以上が経った。
私の戴帽式に参列していた医師と、不思議な縁で未だに時々一緒に働くことがある。
その医師に「かをちんは戴帽式でわれは心より医師を助け、て言ってたなあ〜」と度々イジられる。

たくさんの患者さんと関わるのと同じように、たくさんの医師たちと仕事をしてきた。
当然だが色々な医師がいる。
心から尊敬できる医師もいれば「なぜこの人はよりにもよって精神科の医師になってしまったのだろう」と不思議に思う医師もいた。


もし今の私がナイチンゲール誓詞を唱えるとしたら、少しアレンジしてこう言うだろう。
われは心より患者さんのことを想ってくれる医師は助け、と。