嘘と365歩のマーチ
患者さんは時に嘘をつき、看護師はその嘘に騙されたふりをする。
これは必要なことであり、とても大切な看護の1つであると私は考えている。
ある日、外来で何やら一悶着あったらしく受付さんからヘルプの連絡が入る。
「ものすごくお酒臭くてどう見てもベロベロに酔っ払ってるんですけど、本人は飲んでない!診察しろ!て騒いでいるんです。」と受付さんは泣きそうな声を出している。
アルコール依存で治療中の患者さんである。
基本お酒を飲んでの診察はお断りしているが、なかなか難しいのが現状である。
私は急いで外来に下り、騒ぎの中心にいる赤ら顔の患者さんに「○○さん、どうしたのかしら〜?」と声を掛ける。
「お!かをちゃん!
コイツらがよ、偉そうによ、今日は診察できねえって、帰れって言うんだよ。
俺は酒なんか1滴も飲んでねえのによ。
本当だよ!」
そうかそうか。
1滴もお酒を飲んでいないのか。
それならば何故ずっと、、、
♪3歩すすんで2歩さがる〜♪
という、水前寺清子さんの「幸せは〜、んにゃっ!」的な動きをしているのか。
前に進むのか後ろに下がるのか、一体どこに向かっているのかだけでも教えてほしい。
しかし患者さんはお酒のニオイをプンプンさせながら必死で「飲んでいない。」と主張している。
ならばここは「分かった。飲んでないんだね。」と騙されたふりをしようと決める。
患者さんが嘘をつくということには必ず理由があるからだ。
患者さんの言動そのものは実はさほど大切ではなく、その後ろに隠れている(あるいは隠している)「何か」のほうが大切だったりする。
「お酒を飲んでいるから今日は診察出来ません。」と帰してしまうことは簡単であるが、それでは患者さんが抱えている重要な「何か」は分からずじまいとなってしまう。
なかなか進まぬ「365歩のマーチ」で、患者さんを私の予診室まで誘導する。
グニャグニャかつフラッフラの患者さんの手を引きながら♪予診室は歩いてこない、だから歩いてゆくんだね~♪と私は心の中で口ずさむ。
「ほら、ちゃんと顔上げて前見て!お酒飲んでないんだから。」
「ほらほら!看護師さん病中病後だからさ、もうちぃとだけ自力で踏ん張って!お酒飲んでないんだから。」
確実に、間違いなく、絶対にお酒を飲んでいる患者さんを叱咤激励しながら、何とか予診室までたどり着く。
担当医に事情を話し、待ち時間のあいだに予診をとる。
ベロベロの酔っぱらいの話はまとまらず支離滅裂だ。
そして隙あらば寝ようとする。
「はい、寝ないよ〜。お話中ですよ~。寝ないで〜。寝るな〜、おーい。」と声を掛けながら予診をとる。
さて。
私の勤務する病院にはアルコール以外にもギャンブル、薬物、買い物、スマホ、性的衝動など様々な依存症の患者さんが来院する。
最近話題となっている「ギャンブル依存」の報道を観て、私の父親も「どうしようもない馬鹿野郎だな。なんでどこかでやめられねえんだ。」と口にしていた。
他の精神疾患と比べ「依存症」というものは、医療従事者からさえもどこかネガティブな感情を持たれやすいように感じる。
「自己責任ではないか。」
「自業自得ではないか。」
そんなふうに捉えられてしまいがちだ。
しかし私にはそうは思えず、こう思っている。
だってしょうがないじゃない。
患者さん達はちゃんと分かっている。
「何とかしなければいけない。」
「こんなことはやめなければいけない。」
「このまま続けたら大変なことになる。」
そう充分に理解している。
しかしやめられないのだ。
わかっちゃいるけどやめられない。
有名な歌の歌詞にもあるくらいなのだから、これは生きていく中で誰しも起こりうることなのだと思う。
「私は絶対に大丈夫。」そう言い切れないのが依存症と詐欺被害だ。
(そう言えば詐欺に遭った人も「なんで騙されたんだ。自業自得だ。」と責められやすい。不思議だ。)
自分とは絶対に無関係だと思ってはいけない。
「依存症」は、特定の物事を断たなければいけないことを理解しつつも抑制が効かない、そんな状態のことをいう。
「依存症」も「病気」なのだから患者さんを責めてはならない。
責めたところで、懲らしめたところで治るものではない。
やめるのもつらい。
やめられないのもつらい。
そのつらさに寄り添わなければ、患者さんは治療を受けることをやめてしまうだろう。
さあ、目の前の患者さんに戻ろう。
以下は患者さんと私の会話である。
「俺は本当に飲んでねえんだよ~」
「○○さんがそう言うなら私は信じるよ。」
「本当なんだよ。もうずーっと飲んでねえんだよ。我慢してんだから。」
「そうなの?飲みたくならない?我慢するのつらいだろうなあ。よく頑張っていますね。」
「つらいよ~。俺えらいだろ?偉いよなあ?」
「ところで提案なんだけどね、急に1滴も飲まない!てのもつらいだろうから、まずストロング9%をやめたらどうだろう。それと昼間のお酒をやめてみたりとか。」
「いやいや。つらくても俺は1滴も飲まないから大丈夫だよ。」
はい、カーーーット!!
お互いに良いお芝居が出来た。
これは良いシーンになったはずだ(?)
その後、この患者さんは担当医の診察を受け、医師からも同じような提案をされ内服薬を処方された。
そして医師もまた「本当は飲んでるだろ!ベロベロじゃねえか!」と患者さんの嘘を暴くようなことはしない。
私は患者さんを見送るため玄関まで付き添った。
またも「365歩のマーチ」リバイバル公演。盛大な拍手の中、水前寺清子さんの登場である。
さあ玄関まであと少し、というところで患者さんが突然「かをちゃん!申し訳ない!!」とよろけながら口にする。
このあと彼が何を口にするか、殆ど分かっている私が「お、どうしたどうした?」と聞き返す。
「俺よ〜、本当はよ〜、飲んでるんだよ~。」
うん知ってる!!!!!
しかし「あらやだ!そうなの!?全然わからなかった!!」と私は尚も嘘をつく。
そして「嘘をつくのって大変だし、つらかったでしょう。話してくれて良かった。ありがとうありがとう。」と伝える。
彼は相変わらずフラフラしながら「俺9%の酎ハイはやめる!もう絶対やめる!約束する!!」と声高に言い、私も前後左右に揺れる彼を支えながら「そうだね。まずはそこからやろう。絶対できるよ!頼むよ!信じてるよ!!」と答える。
このように患者さんの嘘に騙されたふりをして、支持的に対応することは少なくない。
そして患者さんの嘘に騙されたふりをして、患者さんのことを信じて願って、それが見事なまでにひっくり返されてしまうこともまた少なくない。
深夜明けの日、依存症の患者さんが退院していくのを見送ったはずが、翌日の準夜で既に再入院していたなんてこともあった。
ずいぶんと早い再会である。
退院ではなく、もはや「外出」である。
私を見るなり「かをちゃん〜俺は情けねえよ〜。」と泣き出した患者さんに対して「私だって泣きてえよ〜!」と答えたものだ。
それでも私はこれからも患者さんの嘘に騙され続けようと思う。
患者さんが嘘をつかなくても良い日が来るまで、演技の腕を磨きながら患者さんと3歩すすんで2歩下がるくらいのペースで共に歩いていくつもりだ。
そして患者さん達の歩いた跡に、きれいな花が咲くことを願っている。