今年の漢字
考えている。
このところの私はずうっと、とあることを考えている。
誰に頼まれたわけでもない。
やらなければならないことは他にもあるような気もするが、そんなことは放ったらかして「とあること」を考えている。
朝起きてしばらくの間、お布団の中でも。
通勤途中のバスに揺られながらも。
お仕事中のふとした時も。
ドクターのつまらない自慢話を聞かされている時も。
帰り道のバスでも、入浴時のバスタブの中でも、好きな歌のバスドラのリズムに乗りながらも。
(バスで引っ張るのは限界があった。)
まあ、とにかく考えている。
何を考えているかと言うと、それは。
「今年の漢字」である。
例のあれだ。今年を表す漢字一文字である。
私は密かに「今年の漢字」を楽しみにしている。
今まで誰にも話したことはない。
漢字一文字をワクワク待っている自分が何となく恥ずかしいからだ。
夏頃から予想をし始めると同時に「私の漢字一文字」を考え始める。
ここで、過去5年間の「今年の漢字」を振り返ってみたいと思う。
私のではなく、本家本元のものである。
「災」「令」「密」「金」「戦」
……………………。
何だか重たい気持ちになってくる。
もっと前には「愛」や「絆」といった漢字が選ばれた年もあった。
ところが2018年からはご覧のラインナップでお届け中である。
今年の漢字も恐らく「増」「税」「糞」「眼鏡」あたりが選ばれてしまうのではないかとヒヤヒヤしている。
「眼鏡」なんて異例の二文字だ。
あとは「低」とか「下」とかだろうか。
戦争も依然として続いているので「戦」もあるか。
あちこちで熊の被害も相次いでいるので「熊」もあるかもしれない。
11月になっても夏日があるような異常事態では「暑」もあるのでは。
歴史ある大きな芸能事務所のニュースが連日取り上げられていたことを思うと、それに関係する一文字もあるだろうか。
実際の「今年の漢字」は、きちんとした然るべき方々が決めるのだろうから、私のようなポンコツが寝る間も惜しんで必死に考えることもあるまい。
なので私は「私の今年の漢字」を真剣に考えている。
まずは去年のことを書こうと思う。
去年(2022年)は4月にギランバレー症候群を発症し、4月と6月にそれぞれ入院生活を送った。
よく分からぬマイナーな疾患にかかり、担当医は「ギャルナック抗体型のギランバレーは初めて診たあ!レアケース!!すごいよ!!」と興奮して口にするような狂った治療環境のもとではあったが何とか退院できた。
(ちなみに別のしっかりした病院に転院した)
日常生活の殆どを自力で行えるまでに回復したものの、後遺症として四肢の痺れと利き手の感覚異常が遺った。
杖を使っての歩行になかなか慣れることが出来ず、疲れやすく、立ち止まる回数が増えた。
また、食事には自助具を使い、嚥下障害(飲み込みにくさ)があることから食べるのに時間がかかった。食べている途中に手が止まることも少なくなかった。
そのため友人と会うことや外出することに抵抗感を持つようになった。
時間はどんどん過ぎていくのに、まるで自分だけ取り残されて、同じ場所に止まっているような感覚になった。
そうこうしているうちに父の体調に異変が現れ、リウマチが見つかった。
父は痛みで思うさま動けず、日常生活に介助を要する状態となったため、家族で予定していたイベントは次々と中止となった。
父もまた人生の後半で立ち止まらされるような経験であったと思う。
そして年末、私の「もう一人のお母さん」のような存在であった伯母が、間質性肺炎の急性増悪で亡くなった。
在宅酸素をしていても常にハアハアと苦しげな呼吸であった。
病院のベッドで「1人にしちゃうけどごめんね」と夫に告げたのち、伯母の呼吸は静かに止まった。
私の2022年の漢字一文字は「止」である。
そして2023年が始まった。
父のリウマチの治療が本格的に始まり、精密検査の段階で胃がんまで見つかった。
まさに寝耳に水。青天の霹靂。
なんと要らぬオプションであろう。
「リウマチに、今なら胃がんも付けておきますね。」という悪魔の意地悪で明るい声が聞こえた気がした。
そう、書き忘れていたが伯母の亡くなる直前に我々一家は全員で新型コロナに罹患したこともあり、年明けはまだ全員が本調子ではなかった。
全員ドス黒い顔色をしてクマがひどく、やつれ切っていた。
もう誰が患者なのか分からない。
そんな状態で闘病をすることも、それを支えることに対しても全く自信が持てなかった。
しかし、胃がんの形相を見て私たちはブッたまげた。
クソデカ胃がん(それも人相が悪い)が上部と下部の2ヶ所にあるではないか。
やつれている場合ではない。
正気に戻った我々一家は癌との闘いに向けて一歩ずつやっていくことにした。
そして父は御年81歳にして、大きな手術を2度のりこえた。
父はリハビリと称して点滴スタンドをガラガラと押しながら病棟を日に20周も歩き、婦長さんに「スピード出しすぎィィィィ💢」とガチで叱られていた。
夏になり、私たち家族も穏やかな日常を取り戻し始めていた。
私は相変わらず杖歩行で、自宅と職場を行き来する毎日を送っていた。
1人で近場へと出掛けることはあっても、電車やバスを乗り継いでの単独外出には自信がなかった。
杖を使って混雑したところを歩くことに強い恐怖心があった。
以前、歩きスマホをしていた男性に杖を蹴られたうえに、その男性から舌打ちされたことがあった。
私は思わず杖をブン回してそいつをこの世の果てまで追い回してしまいそうだった。
そう、自分が何をしでかすか分からない恐怖である。
自分の可能性を知っているだけに迂闊に出掛けられない。
そう思い、私はおとなしく自宅時間を楽しんでいた。
しかしおとなしくしていられない事態が起きた。
大好きなショーガール、ブリアナギガンテちゃんの展覧会が開かれることになったのだ。
行くしかない。行く一択である。
そうして私は1人で池袋までえっちらおっちらバスと電車をいくつも乗り継ぎ、歩いて向かった。
その日はブリちゃんのスタッフさんと沢山のお話もでき、とても充実した1日となった。
ブリちゃんの展覧会を1人で歩いて観ることが出来た私は、その日からメキメキと自信や力を取り戻していった。
そして勢いがついた私に、Twitter(X)で繋がった方々とお会いできる機会まで訪れた。
人見知りで警戒心の強い私からすると、これはスゴいことである。
会ったことのない人に出会うため、行ったことのない街にも行った。
このとき私は杖を使ってはいたものの「ああ、私はちゃんと私の足で歩いているんだなあ。」と実感し、とても嬉しかった。
普段は文字や写真でのやり取りで「何となく好きだなあ」「どことなく似ている感覚だなあ」と思っていた人達が、実際に目の前で喋ったり笑ったりしているのを見たときは何だか感動した。
実際に会ったら、もっと好きになった。
自分でここまで歩いて来て良かった。
この人と並んで歩くことができて良かった。
そんなふうに1日中ずっと幸せな気持ちに包まれていた。
杖の力を借りてはいるが私は自分の行きたいところへ行き、会いたい人に会うことができた。
おまけに誰かと食事をすることも屁でもなくなった。
まだまだ歩いていく。
どんどん遠くまで歩くつもりだ。
そして、大好きな人に「(この調子なら)来年には走れるかもしれない」とふざけてみると「再来年には飛んでるな」と返ってきた。
この人の言葉にはいつも力があるので、再来年には本当にバッサバッサと飛んでいるかもしれない🦜🐦🦆。
ということで、もうお気づきとは思うが私の今年の漢字は「歩」である。
「止」から「歩」と大きな進歩だ。
まだしばらくは杖という相棒に支えてもらいながら、もっともっと楽しくて面白い、そんな場所へと力強く歩いて行きたいと思う。
そして本家の「今年の漢字」であるが、重苦しく暗いイメージのものではなく、優しく温かでハッピーな文字が選ばれる世の中になると良いなあ、と願っている。
取り急ぎ今は「涼」を待っている。
(暑い……。)