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①運命を切り開くアプローチ、②引き寄せ的な観点からの「愛」という認識および体感について、③本質的なことや超常的なことを伝えたり、体現する役割の存在たちが担う、伝えたいこと、働きかけたいことの、人間の器としての性質を肯定的、またはニュートラル的な現象と捉えた上での、それぞれの表現発揮への落とし込み、それによる全体への浸透力の向上について

<はじめに>

今回は、運命を切り開くアプローチ、引き寄せ的な観点からの「愛」という認識および体感について等を示していく。

※参考記事:

幸福感についての見解 ~ 幸福な状態の基盤となる内外的環境の構築とブラッシュアップ ~

潜在意識等の作用により、ベースとなる体験世界、流れを創っている、ということへの段階的な気付きや深まりの実感の仕方

状態や記憶、イメージング等を活用したエネルギーアイテムの作成について


上記記事における以下の2つの項が今回参考となる。または関連する。

(1)「状態変化とパラレル変化について」

(2)「引き寄せの際の注意点について」




【⓪】


★★★

「内容を示すにあたっての前置き」


シェアする際の取り組み意識としては、以下の記事内容を元に行う。
また以下の内容も加味して行う。

※参考記事:

気付きやアイデア、アプローチ等を提供やシェアする際の取り組み意識  ~ネガティブベースのものにおける、リアリティのあるおとぎ話としての提供やシェア~

自分のシェアする内容に関して、○○するとこうした望ましくないことが起こるので、○○した方が良いというような論調で話す場合がある。
しかし、それはある方向性から見た時、感じた時の視点のものである。
人によっては、該当する状態状況でも感知の仕方や内面で生じる作用が異なるなどで影響しない場合もあると思われる。
特にすでにその時点での幸福や満足を体感している人である場合、○○するとこうした望ましくないことが起こるので、○○した方が良い、というような論調のものに関しては、体感している幸福や満足の状態状況(また望んでいる方向性、目的等)を意図的、もしくは無意識的に崩して、内容を理解する、共感する、共鳴するということが生じる場合もある。
○○するとこうした望ましくないことが起こるので、○○した方が良いというような論調に、無意識の内に引っ張られてしまう場合もある。(本来的には、特定の幸福や満足な状態にある人にとっては、こうした情報は必要ない場合もあるということ。逆に触れたり接することで、ある特定の幸福や満足を体感できている状態が特定の論調や指し示す内容に引っ張られて崩れてしまうということもあるということ。)
ご自身の判断(内容が感性や直観的にフィットするかどうか、自分自身の心身の反応はどうかなどを考慮した判断)で、参考や材料にできる部分を取り入れたり活用してもらえたらと思う。

また、今回示す内容に該当する状態状況(望ましくないとされる状態状況)だとしても、そのまま進む方が望ましい場合もあると思われる。
私が示した内容に当てはまる望ましくないとした状態状況だからこそできること、担えることを意識的、もしくは無意識的に行っている場合もあると思われる。
それぞれがこの内容を読む時点での望む方向性、境地、役割によっては、今回示す内容とは別方向を望む場合もあると思われる。
その場合のアプローチとしては、今回示すものと逆もまた成り立つ。
同じ方向性であったとしても、様々な別視点的なアプローチも成り立つ。
方向性が違えば、その価値(意味意義)は変わる。反転しうる。
そうした観点も踏まえた上で、参考や材料にできる部分を活用してもらえたらと思う。

また、参考にできる部分だけ参考にして欲しいと言葉で言えども、実際に内容を読んでしまったことによって、どうしても心身に影響が生じたり、その影響が後を引くという場合もあると思われる。
なので、読んだことによって生じた心身への影響、意識や潜在意識、エネルギー的な影響に関して、イメージング等によるバリアや浄化等を活用できる方であれば、そうしたものの活用も加味して読んでもらえたらと思う。
読んだことによる影響を、イメージング等を駆使して部分的にでもカットしたり、ご自身にフィットするエネルギー感に変換したりするなど、そうしたアプローチを活用していただき、より有効な形で受け取ってもらえたらと思う。

このスタンスを示すこともまた重要と思ったため、前置きが長くなってしまったが、示させてもらった。


【①】


★★★

「幸福感の質と深い領域でのニーズにより形成される体験世界、環境、場との関係性」


※この項の内容は、<はじめに>で示した参考記事、「幸福感についての見解 ~ 幸福な状態の基盤となる内外的環境の構築とブラッシュアップ ~」に記されているものである。

******<参考記事の該当項:開始>******

上記では、階層の違うニーズにより生じた、質(属性)の違う幸福感を合わせた幸福感を実感、体感できるような形に、自らのニーズの充足を持って行くことで(複数のニーズを満たすアプローチ、在り方、環境等を見出すことで)、深い満足感と、より高い質の幸福感を体感することが出来ると示した。

これをより深くとらえると、そもそもその時点で望んでいる在り方や環境、自己自身の状態、体験したい世界等からズレていると、その体験している世界(場)、またその中での環境、在り方等でいる限り、表層上のニーズ(個としての好みや趣向のニーズ、生存に関するニーズなど)を満たし、それによる喜び(幸福感)等は得られたとしても、何かこれじゃない感、ここじゃない感が付着しているため、心からの満足は得ずらくなる。
(より本質的には、ある範囲内での幸福感となる。)

ある体験している世界、場、環境において、自らの深い領域からのニーズに従い、体験している世界等を変えていければ、そのニーズは充足し治まるが、充足されていない場合、徐々にニーズへの引力が強くなっていき(潜在意識が顕在意識に知らせるため)、その時点での体験している世界等をベースとしての表層上の幸福感では、満たされない、これじゃない感が生じるようになっていってしまいやすく、体感される幸福感の質が低下しやすくなる。(これも潜在意識が顕在意識に知らせるための現象と言える。)

******<参考記事の該当項:終了>******



★★★

「運命を切り開くアプローチ①」


上記で示した参考記事の該当項では、以下を示した。

ある体験している世界、場、環境において、自らの深い領域からのニーズが充足されていない、在り方、環境等である場合、徐々にそのニーズへの引力が強くなっていき(潜在意識が顕在意識に知らせるため)、その時点での体験している世界等をベースとしての表層上の幸福感では、満たされない、これじゃない感が生じるようになっていってしまいやすく、体感される幸福感の質が低下しやすくなる。(これも潜在意識が顕在意識に知らせるための現象と言える)。

これは引き寄せの力だったり、エネルギー的なことの扱いだったり、など、スピリチャル的な能力を持っている場合でも同様と感じる。
生み出している体験世界にて蓄積されたデータ(体験、経験、気付き、情報、能力、など)、そうしたものが一定に達したらば、深いところのニーズとして次の体験世界(段階)を求める働きが生じてくる。
その際、今まで培ったもの(能力等も含む)を活用して次に行く。
(次の体験世界を深い領域から生み出す。)

深いレベルで言うと、物理領域上で別の環境に移ったとして、同じ体験世界の延長線上での変化でしかない場合もある。そういった形での変化や移動というよりも、根本から新しい世界を見出し(自己の深いところでのニーズ(必要性等も含む)に沿った世界を捉え、見出し)、そこに向かうということ。
これは、自らの状態等が変わり、新しい世界を生み出すことで、物理的に変化していなくとも次の世界への移行が成される場合もあると思われる。

また、自らの状態等が変わり、新しい望む世界を見出すことで、それが物理的に体感されている世界(現実とされる世界)にて、何かしらの場や対象、環境として顕在化し、それに繋がる何か(生み出した体験世界(宇宙の流れ、体験の流れ)に向かうためのキーとなる情報や出来事等)が生じる場合がある。
その何かしらの持つ意味に直観的に気付き、乗る(何かしらアクションを取る)ことでその世界に行く流れに乗ることが出来る。

また、その新しい世界に繋がるキーに気付け、さらにその新しい体験の世界について、自らのどのようなニーズが生み出した体験世界なのか、そのニーズの深さや付着している認識等はどうなのか、体験世界の質(感じられるエネルギー感、流れの感じ、全体に漂うもの、など)はどうなのか、そこでの体験の方向性や展開、自分自身のそこで生じる感情感覚、変化変容や成長等の可能性や展開の流れ等が直観的に具体的な内容はブラックボックスだとしても、感覚レベル(生じるエネルギー感の感じなど)で分かる、感じ取れる場合がある。

その際、自己の反応(好意的か、抵抗感等があるか、など)から、あえて流れに乗らずに、生み出す世界を再調整したり(新しい体験世界を生み出した際のニーズ、望みを感知し、それを満たす際の内容を変えて願ったり、意図するなど)、または自らがその生み出した新しい体験世界に行く際に、そこのエネルギー感や流れに飲まれないようにした方が良い場合は、自身の状態や心持ちなどを整えたり、対応や対策、準備等をしてから乗るようにする、ということもできる。

流れに乗れば、その体験世界が提供するニーズの充足を体験できる。
しかし、それは自己の深い領域においては、自己の一面的なニーズの充足を提供したり、何かしらの境地(能力や状態の習得、向上)等を得られる体験の流れを提供するものであるため、より深い自己の複合的、総合的なニーズの側面から言えば、別のニーズの充足とのバッティングを生み出す場合もありうる。

それも加味して、あるニーズが生み出す新しい体験世界の流れを俯瞰して捉え、その時点で感知できる自らの深い領域での複合的なニーズたちの充足を考慮に入れ、体験世界に進む。(進むかどうかの判断も含めて行う。)

その体験世界が完了したり、潮時になった際、または途中であっても、自己を俯瞰した際の複合的なニーズの側面から、自己のニーズに基づいた次の体験世界、流れを創っておいた方が良いと思われる場合には、それをあらかじめ創っておき(内観してニーズを把握しそれを満たすものを(抽象的、もしくは具体的に)意図しておき)、それにスムーズに移行していけるようにした上で、現時点で生み出された体験世界とそれへの流れに乗れるようにしておく。

流れに乗る際に直観的に必要と思われる考慮する点や準備しておいた方が良い点、体験世界を進む際の自分自身の心持ちや状態などを考慮したり、内省し、自己の物事等への認識を構築や刷新しておいたり、様々な物理的なモノ、環境等を用意して進む。(あらかじめ用意しておいても良い。)

宇宙が用意した流れや体験世界は、自らの一面的なニーズを満たす。
それは予想以上の幸福感や気付き、体験等をもたらす場合もあるし、俯瞰して自己を捉えた際には、別視点の自己のニーズには対応していない場合もある。(自己における一面的なニーズの充足、満足感、幸福感をもたらすということ。)
また、その体験世界や流れを生み出す元になった自らのニーズと意図、その際に付着しているものによっては、体験世界や流れが提供する体験がもたらす、感覚感情、気付き、幸福感、満足感等の自己としてのフィット感は様々である。
乗った体験世界や流れを進めていく際の過程における体験の質(感覚感情、身体的な刺激や負担、状況、環境など)も、実際に体験した際には様々である。(自らのフィット感(幸福感や充実感等を実感しながら行っていけるか、進めていけるか、それともキャパオーバーになってしまったり、自らにフィットするような幸福感等を得られない場合もある。)
そのため、直観的に来た流れだからと言って、それが体験上、望んでいたような幸福感、満足感を提供するとは限らない。


★★★

「運命を切り開くアプローチ②」


※<はじめに>で示した参考記事、「幸福感についての見解 ~ 幸福な状態の基盤となる内外的環境の構築とブラッシュアップ ~」に記されている「幸福感(また感覚感情等も)の質の違いについて」の項にて、幸福感(および感覚感情)の質についての例が示されている。

その例を活用しながら、本項の内容を示していこうと思う。



*****<参考記事の該当する項に記されている例:開始>*****

好みの映画のワンシーンにクマに追いかけられる場面があったとする。
その際、「恐怖」という感情が生じる場合があると思われる。
その生じた恐怖という感情(感覚)のより深いところを感じてみると、「幸福感」という感覚(感情)が生じている場合がある。
好みの映画を観ることにより、「幸福感」という感覚(感情)が生じている状態で、その感覚の表層上に生じる感覚や感情等として、「恐怖」が生じているということだ。

これに対して、実際の山の中でクマに遭遇し追いかけられ、「恐怖」という感情が生じたとする。
この場合に生じた恐怖という感情は、映画を観た際に生じた恐怖とは、質が異なるものとして、感覚的に捉えられる場合が多いと思われる。
山でクマに追いかけられた際に生じた恐怖という感情について、後日(または恐怖という感情を体感している際)、より深いところを探ってみた時に、幸福感が生じていると感じられる場合は、人によってはあるかもしれないが、あまり多くはないのではないかと思われる。
(生死をかけて、心身を動かすことや判断することによって、奥深くで、生命的な躍動感等が生じ、それに快感や幸福感等を感じる場合はあるかもしれない。
ただ、映画を観た際の幸福感等とは、質が異なる場合が多いと思われる。)

こうした例のように、感覚や感情等は、「同じ」と感知されたり、識別されるものでも、質の違いがあると感じられる。

*****<参考記事の該当する項に記されている例:終了>*****


上記に示された例を活用しながら、本項の内容を示していく。

上記で示したリアルに山でクマに追いかけられるという話の際、生死をかけて、心身を動かすことや判断することによって、奥深くで、生命的な躍動感等が生じ、それに快感や幸福感等を感じる場合はあると思われる、と示した。
ある時点で、「奥深くから来るような生命的な躍動感、それに基づく快感や幸福感等を体感してみたい」と、意識的、もしくは潜在的に深く想ったり、願ったりしたとする。
そうした想いや願いが無意識的であっても、定期的、または恒常的に生じやすい環境や場、在り方にあったとする。
その場合、その想いや願いが、奥深くから来るような生命的な躍動感、それに基づく快感や幸福感等を体感させる、体験や流れ、体験世界自体を生み出し、それに繋がるキー(出来事、対象、情報、人、機会等)が、その時点で体験している世界、環境、場にて生じ、それに気付き(もしくはその出来事、対象、情報、人、機会等が何を意味しているのか、体験世界等に繋がるキーであると分からなくとも、強く惹きつけられるなど、なおキーは形や姿を変え、その願いや想いを持ち続ける限り、何度でも現れると思われる)、それに対して何かしらアクションを起こすことによって、生み出した体験世界、流れに乗ることに繋がり、その体験世界での流れが展開されるようになっていく。

その際に生じる体験は、今回の例では、「奥深くから来るような生命的な躍動感、それに基づく快感や幸福感等を体感してみたい」というようなものだったため、その幸福感を生じさせる、体験させるために、人間という器において特定の刺激を与える必要があり、そのためのトリガーとして、「リアルに山でクマに追いかけられる」という体験を提供し、そこで望んでいた「奥深くから来るような生命的な躍動感、それに基づく快感や幸福感等」を得られるような流れになっている。
これを意識的には分からずに体験した場合、ニーズを満たすための機会として、山でクマに追いかけられるという体験が提供されたときに、それに対して、結果として、望んでいた「奥深くから来るような生命的な躍動感、それに基づく快感や幸福感等」を体験することが出来たとしても、表層上の感情としての恐れ等が強く作動して、心に強いショックや後遺症的なものを残すような体験となったり、または、あまりにも表層上の恐れ等が強く作動してしまい、望んでいた「奥深くから来るような生命的な躍動感、それに基づく快感や幸福感等」を体感する、実感するには至らなかったり、または命を落とす、物理的な生命が終了するということもあり得る。

望んでいた「奥深くから来るような生命的な躍動感、それに基づく快感や幸福感等」のニーズが満たされなければ、今回のクマに追いかけられるという体験は一回限りだとしても、2度3度と、別の事柄(体験、流れ)で、似たようなことが生じる可能性がある。
特にその時点でのベースとなるような体験世界、環境等が今回ような願いや想いを恒常的に生じさせるものであった場合、それは意識的であれ、無意識的であれ、生じ続けるため、別の体験や流れ等といった形で、生じ続ける傾向がある。
根本的なレベルで体験世界を変えたり、今回のような体験や流れ、体験世界を生み出すニーズが解消されたりした場合は、生じなくなる。

この過程で、今体験しているもの、流れ、ベース部分で生じている体験世界等が、「奥深くから来るような生命的な躍動感、それに基づく快感や幸福感等」のニーズを満たすためのものであると気付けた場合、その体験、流れ、体験世界を打破すること、自己のニーズが生み出した流れを打破し、そのパターンから脱出するために動く、という動き方、アプローチが志向されるようになる。(このような志向が発生する可能性もあるということ。)

目の前に起こったこと(クマに追いかけられている、ということなど)への対応対処をしつつ、そもそものその体験や流れ、体験世界自体への打破を意識するようになるということ。
またはその体験世界がもたらすニーズの充足とそこから得られるもの(「奥深くから来るような生命的な躍動感、それに基づく快感や幸福感等」)は認める(望む、体験したい)とした場合であれば、それに至るまでの過程で生じるものを、自らという人間としての器(心、身体等)にとって、望む形のもの(感覚、感情、身体的刺激、認識等)で展開していく、させていくことが出来るように、調整する(再度意図する、無意識領域で作動しているものを変化させるなど)ということ。

また、体験世界や流れが展開される前に、そのキーとなるもの(何故か惹きつけられるもの、この例ではある山に惹きつけられる、山の中の薄暗い山道や獣道等に惹きつけられる、など)に対して、そうしたキーとなるものやそれへの自己の惹きつけられる感じなどの感覚感情等が意味するもの、自分の中のあるニーズが生み出し、そのニーズを充足させるための流れ、体験、体験世界であると気付けた場合、それの大まかな流れや展開を捉えたり、回避することができうる。
また生み出された体験や流れに乗る、挑むとしても、その体験時における過程を、より自らにとって望ましいものに変えて体験していく、ということを志向することが出来る。(物理的または内面的な用意や準備もできる。)

自ら運命(望みを充足させる流れや体験、体験世界)を創造し、その流れを感知し、選択し、変化修正しながら、進むことが出来る。
運命を切り開くアプローチができる。
(その過程でもどんどん様々な気付きや能力が開発される、されていくと思われるので、そうした気付きや開発された能力等によって、切り開いたり、世界そのものや事象への感知力が高まったり、対応対処していく力も高まっていくと思われる。)


※参考記事:

極限状態への欲求の昇華と統合(新たな創造による課題問題とされるものおよび解決解消系の昇華的内包) 【編集追加①】

①納得と抑圧、それの解放の世代間でのパターンにおける、展開やドラマの質や形態の常時ポジティブ化への引き上げ、②苦しいことがあったから成長できた、成功できた等の認識、感覚等に含まれる、カタルシスやドラマティック、それの常時ポジティブ化という形態変化への押し上げ、③他者や他存在との関わりに関してのアプローチ等、④私の方向性における、繋がりたい(提供シェアしたい)、リンクしたい人々について


この記事における以下の2つの項が今回参考となる。または関連する

(1)<②ー1>
「苦しいことがあったから成長できた、成功できた等の認識、感覚等に含まれる、カタルシスやドラマティック、それの常時ポジティブ化という形態変化への押し上げ」

(2)<②ー2>
「苦しいことがあったから成長できた、成功できた等の認識および採用する(担う)人々を認め、こちらの見解に引っ張らない形での、担う人々も満足する形での、より望ましい形態への変化」

状態や記憶、イメージング等を活用したエネルギーアイテムの作成について


この記事における以下の2つの項が今回参考となる。または関連する。

(1)「状態変化とパラレル変化について」

(2)「引き寄せの際の注意点について」

気付きやアイデア、アプローチ等を提供やシェアする際の取り組み意識  ~ネガティブベースのものにおける、リアリティのあるおとぎ話としての提供やシェア~



【②】


★★★

「引き寄せ的な観点からの愛という認識および体感について」


こういった観点から捉えると、山でクマに追いかけられた際の、追いかけてきたクマ自体も、自らのニーズを満たすための体験や流れを構成してくれている存在であり、その役割を担ってくれている、と捉えることが出来る。
(こうした認識や事象のつながりを体感的に踏まえた上で、あらゆる繋がり合う個々に対して、その繋がりがもたらす現象や体験に対して、それを「愛」として捉えているグループもあるだろう。
「愛」というラベルが示すものは、別視点からの様々なレイヤーや色合いのものがある。
個人的にはそれぞれが全て、全体における現象を示していて、またそれぞれの役割を担っている、それぞれの愛に向かうための方向性があり、その方向性に沿って形成された価値観、文化、文明、世界がある。
それぞれの道、それぞれの境地がある。
その全てが、それこそ「愛」そのものである、と捉えている。

※参考記事:

生霊等の宇宙的な視点からのニュートラルな肯定性、それを踏まえた上でのポジティブな現象への昇華と、その段階での体験化

①根本的な原理の、根本的な原理が指し示す内容自体への再帰的な適用による破れ、②個の総体として全体が成り立っているという意識状態(A)と、全体自体の現象として個々が創造的に認識されているという意識状態(X)、③Xの意識状態の上での、全体の構成を変え(色合いを変え)、それを体感するという意識での創造のアプローチ(根源に解放された創造性)



また、山でクマに追いかけられたからと言って、必ずしも一律的な意味であるという訳ではない。
今回のような自己の特定の願いや想い、ニーズを満たすための体験を構成する存在、ギミックとしての役割を担ってくれているということに当てはまらない場合もある。
深いレベルではそうだとしても。(地球という場、目の前の全ての存在、また体験している器としての自己そのものもまたより深い領域の意識、存在、宇宙そのものの意識が構成したもの、宇宙そのものの表れであり、その上での現象として個を体験しているということ。)

重複するが深いレベルでは全ての存在や事象が自己にとって全て繋がっていたり、何かしらの意味を持つとしても、もう少し表層上においては、特定の体験における主要な役割として自己との関係性が強いかどうか、どういった意味を持つか、といった観点における性質(意味、役割)を持つと感じられるもの(対象、事象)が存在する(見出せる)といういうこと。
またその対象や事象の形態等は、特定のものに固定されないということ。

例、クマに追いかけられたからと言って、上記の例に示したようなニーズ(「奥深くから来るような生命的な躍動感、それに基づく快感や幸福感等」のニーズ)を充足させるために生じたものである(そうした役割を担っている)とは、一律には言えないということ。



★★★

「「全ては愛である」等の本質的なこと、抽象性の高いこと、超常的なこととの、人間の器としての性質との接触現象」


個の領域においては、それぞれの個としての性質、個としての体験における陰面として、自己の個を照らし出すため、また個としての充足を成すため(結果として全体におけるより求められる役割を担うため)の自己発見や自己の感性や能力の引き出しや構築、変化のために、陰的刺激(一般にネガティブとされるような感覚、感情、認識等)が生じる場合がある。
(自らの変化の過程で、自己の中に生じたり、構成されている特定の個性のエッセンスから離れるために、一時的に陰的刺激が伴い、それにより、内外的に引き離したり、自己の中から取り払う(距離感を変えたり、エッセンスの構成内容を変える)ということが生じる場合もある。)
その体感される程度が強すぎたりすることで、他の個(または自己の内的状態)に対して、自己の内包する個性(根本的な要素、エッセンスの構成構造)を守るための反応として、陰的な反応が生じる、または採用する場合がある。
これらが個としての(接触)現象として生じうる。

例、攻撃、批判、批難等、また自己への攻撃、批判、否定等も。
(自己の特定の個性やエッセンスの構成構造を守るための作用、現象とも捉えられる。)

そのため、そうした現象は心身への負担を強い、その際に体感されるものは、基本的には快や幸福感等からは遠のく。
(基本的にはと示したのは、別視点における快や幸福感等と結びつくことで、この陰的状態やエネルギーが快や幸福感等となる、場合もあるため。)

それぞれにおける個性を発露させることにより生じうる、陰的現象やその負担が、恒常的に生じていたり、それが心身、無意識領域等に蓄積され、再現性のある現象として固定化されてしまっている場合、個性の発露や個性同士の接触に対し、自己の個を守るために、抵抗感や嫌悪感等の反応が生じやすくなる。
個の発露や個性同士の接触に対しての、内的に体感されるものの陰的刺激、負担は強くなる。
その状態で、上記に示したような「全ては愛である」的な見解は、全体性において、それぞれの役割(個性)を担ってくれている個々に対して、負担の大きなものとなりやすい。
それだけを示すことは、ある種、酷であると感じる面がある。
「全ては愛である」等の見解や言葉は、人によっては個々人の内部での処理判断時に、優劣、善悪、正誤などの二元的な価値判断が、意識的、無意識的に作動しやすく、それが個としての存在の重みに影響しやすくなる場合があると思われるため。

そのため、「全ては愛である」等の見解や言葉は(これに限らず本質的なこと、抽象性の高い内容、超常的な内容は)、全体の中でそれぞれの役割を担う個々の個性を守るための陰的現象を誘発し、反発や攻撃、排斥等の対象となってしまう場合もある。
(こうした本質的等の内容が浸透すればより望ましいと思われる役割の存在にも、それが届かなくなったりしてしまいやすくなる。)

また逆に、個々の人間の器としてのニーズ(承認欲求や尊厳欲求等)と絡み合い、自己をその指し示す型に無意識に当てはめてしまう(限定化させてしまう、魂の望む方向性からズレた形で提供された役割を行う)、ということが生じてしまい。
それにより、全体性の中でそれぞれが担う個性の発露をある段階に留めてしまう(ある意味それはそれとして、その段階の体験世界として完結はしているが)という現象が生じてしまう場合もある。

特に、そうした内容が必要となっている、または取り入れることがプラスになる人々は、状態状況的に、心身の負担が強い状態にある、またそうした体験世界内にいる場合がある人、そうした役割をその時点で担っている人である場合が多い。
そのため、なおさら、個としての領域での反応に対して(存在の重み)に対して、センシティブ(より高感度で感知し体感される状態状況)になっている場合が多いと思われる。
それ故に、ある種の陽的にも陰的にも、過激な反応になりやすい。

(ある種望ましい環境で育ったり、望ましい環境にある場合、こうしたものが作動しない、または作動しずらく、どのような言葉や行為、(相手や集団の)態度であっても、あまり存在の重みのゆらぎに関しての影響は受けない、受けずらいと思われる。
ただ、言葉(や行為、態度等)の発信者やその言葉(行為、態度等)が集団において帯びているエネルギーのようなものを感知する性質が強い人や状態である場合、二元的な判断による存在の重みのゆらぎが生じるような内的状態に無い人であっても、言葉等のエネルギーの感知力の高さから、影響を受け、存在の重みのゆらぎが発生しやすくなる、そうした状態になる場合もあり得る。)


偉そうに言っているが私もそうである。
ちょっと謙って言ってしまったが、本当はみんな偉い、私も偉い。
もっと本質的に言えば、偉い等の認識は人間の器の性質(ニーズ、欲求等)と、物質的環境等が生み出した、現時点での基礎的な集合意識の一片であり、私も皆も偉くもないし、偉く無くもない。(この偉いや偉くない等の認識軸自体にいないということ。)
より本質的には、言語的な縛りの中で表現するならば、平等にただ尊い。
(尊いという言葉で括られるということではなく、その中身が示す性質を帯びていると捉えられるということ。)

※参考記事:

本質的と感じる認識、個々や全体への想い、理想と、個としての受け止め、対応対処との切り分け、等

上記の記事内容は、ある視点から見たらとんでもないことを言っていて、様々な視点や感性からの反応や二元的な価値観による判断においては、望ましくないものとしても捉えらえるだろうが、これも平等にただ尊い。
これに関するあらゆる感性による反応、あらゆる二元的な判断も平等にただ尊い。
個としての私としては陰的刺激が発生するものもあるので、それの直接の提示は避けて欲しいと思う。
そう思うことも現象であり、また平等にただ尊い。

これらは私が自身への擁護として言っているということではなく、これが第三者であっても同様だ。(※自分への擁護がゼロとは言わない。)
発信者がこうしたことを言うこと(自己擁護や弁護的に捉えられやすいと思われることを言うこと)よりも、自己を下げて表現することが好まれる風潮がある。
これは全体の変化の中での、少し前の人々の体験パターンに対する反動であったりする面があると思われるし、個人的にこうした変化自体は人々のより望ましい段階への過程として、好意的に捉えている面もある。
(その役割を本人が、どの程度の認識や感覚感情で行っているか(本当に心から思ってやっているか等)を問わず、結果として全体においておのずと担ってくれている。)

その上で、自己のスタンスとして、あえて自己を謙らせない、下げない。
自分も下げないし、相手も下げない(下げた表現をしている時もあるかもしれないが)、自分の真実を言う。
それに対する相手の反応や(二元的な)判断は認める、ただそれに対するこちらにとしてはこうして欲しい、こうだったら良いなというものも認める。
そうした個を発露させた上での協調、それぞれの個がより深く発露した上で、心地よく接触し、やり取りできる、離合集散していく、そうした個々や人々の接触現象、流れを試みる。
その一環として、私は私を下げない、相手も下げない。
それぞれの反応や判断を認める。私自身の反応や判断も認める。
みんな平等にただ尊い、というスタンスで取り組む。なので相対的に頭が高い。


★★★

「本質的なことや超常的なことを伝えたり、体現する役割の存在たちが担う、伝えたいこと、働きかけたいことの、人間の器としての性質を肯定的、またはニュートラル的な現象と捉えた上での、それぞれの表現発揮への落とし込み、それによる全体への浸透力の向上について」


本質的なこと、抽象性の高いこと、超常的なことを捉えたり、伝える役割、体現する役割の存在たちは、それぞれの管轄する観点から、個々や全体に働きかけを行おうとするが(一部にそうした役割を担うものたちもいると思うが)、人間の器の個としての領域等を加味した形で、ある種肯定した形、もしくは現象としてニュートラル化させた形で行うことが、より浸透性を高めることになると思われる。

本質的なこと、抽象性の高いこと、超常的なことを捉えたり、体現するにおいて、人間の器の性質から離れる必要性がある部分もあると思われるので、その方向性に行くために、一旦人間の器的な性質に対して二元的な尺度にて望ましくないものというラベルを張り、役割として望む方向性、境地に行くことが必要なる場合もあるかもしれない。

それ故に、人間の器としての性質や側面に対して、好意的、肯定的に捉えずらくなったり、また認識的だけでなく、体感的にも抵抗感や違和感、陰的刺激等が生じやすくなるということもあるかもしれない。
本質的、抽象性の高い境地、超常的な境地に行ったからこそ、体感的な抵抗感や違和感等の反応現象等が生じる場合もあると思われる。
そのため、人間の器としての性質、側面に対して、肯定的に捉えるということへの厳しさ、ハードルの高さ等が生じうるかもしれない。

ただ、その状態に対し、人間の器の性質等に関してできうる限り、ニュートラルな視点から現象として捉え、そこから俯瞰した視点からの肯定的な観点でもって、各それぞれの役割において達した境地(または繋がっている領域)からの見解やアプローチを伝えたり、行えるようにしていく、というアプローチを、より幸福な状態で役割を全うするための一つの方向性として提示する。

このアプローチに限らず、本質的なこと、抽象性の高いこと、超常的なことを捉えたり、伝える役割、体現する役割の存在たちそれぞれにとって、幸福な状態で、それぞれを行えればなと思う。

(それぞれの表現や発揮の際、自らのエネルギー感にフィットしないものに対して、エネルギー的なアプローチだったり。(バリア、浄化、ヒーリングしながら、他者や対象と接したり、対応対処したり、その対応パターンやモデルを創ったりなど。)
または、それぞれの役割を担うために生じる心身への刺激に対して、感知しつつも心身への負担となるレベル感での刺激にはならないで受け止められる状態を見出し、その状態で在ること(瞬間的に適用すること)で、対応するなど。)

それぞれに発揮や対応する際の独自の状態や意識を、それぞれの方向性や能力に合ったものを持っている、至っているという方も多いと思われるが改めて示した。

※参考記事:

①言霊による身体等への働きかけ、②言霊による一般的に意識的に動かせないとされる身体領域への働きかけの可能化、③イメージングや状態の再生、言霊等を適用した行為活動モデルの形成と実行、④言葉による状態のトレーシング、⑤状態の合成、など

状態や記憶、イメージング等を活用したエネルギーアイテムの作成について



本質的なこと、抽象性の高いこと、超常的なことを捉えたり、伝える役割、体現する役割の存在たちにおいて、それぞれの観点から、いくら言っても、アクションを起こしても、(体験世界上において)全体が変わらない、変わるスピードや程度が弱いという場合は、各方向性での本質や抽象性の高い、超常的な内容やその体感、実感等を、人間の器(心身、欲求等)を加味して、肯定したり、現象として認めて、そのニーズや欲求等を満たすもの、充足させるものとしたり、そこに紐づく形で落とし込むことで、全体への浸透性が高まると思われる(変化が促進され、そうした世界の変化を体験できると思われる。


本質的なこと、抽象性の高いこと、超常的なことを捉えたり、伝える役割、体現する役割の存在たちにおいて、人間の器の個としての領域から、かなり離れる必要のある役割においては、人間の器側とのグラデーション的に想定される各種の橋渡し的な役割たちにおいて、人間の器を俯瞰して肯定的、または現象としてニュートラル的に捉え、その性質を好意的に活用して落とし込み伝えていく、(またはシステム、文化等で体感させていく)という形が、より浸透力を高めることになると思われる。

しかし人間の器としての性質を活用して操作的だったり、ある領域に囲う、留める的な方向性に持って行くことは、個人的には奨励しない。
ただ語弊があるかもしれないが、そうした心理やエネルギー的な操作も深く俯瞰した視点においては例外なく肯定されている。それもまた明示しておく。
その上で個としての理想という観点から奨励はしないことも明示する。
(私自身も含めて、心理やエネルギー的な操作等の方向性に対して、そのエッセンスの本質をそのままに、私の感性にフィットする方向性から、より望ましいと感じる質感の形態に昇華され、発揮されればと思う。)

上記に示した内容は、本質的に意識化されずとも全体において行われている、生じていることであり(このように切り取り認識することが出来ることであり)、また意識的にも行われていることと思うが改めて示した。

※参考記事:

①物事への取り組み方、②物事の習得や成長の仕方、③アイデア等の具現化や展開に関しての各有識者や実務者等との関わり方について


この記事における以下の2つの項が今回参考となる。または関連する。

(1)「成長の仕方に関する、想定される具体例について:~意識や状態、内側の感覚や感情、認識等を、外側のモノ、システム等を介して、他者に実感をもって再現再生させるためのアプローチを例にしての説明~」

(2)「新しい質の体験世界の創造構築、そのための基盤としての街型のプラットフォームにおける、意識や状態、内側の感覚や感情、認識等を、外側のモノ、システム等を介して、他者に実感をもって再現再生させるためのアプローチの重要性」


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