ぼくも「腐刻画」を読んだ

先日、峯澤典子さんのnoteを読んでいたら、田村隆一の「腐刻画」について書いていた。
それを読んでいて、自然とぼくは、田村隆一の詩を初めて読んだ日の、遠い昔のことを思い出していた。

現代詩文庫の1番目は『田村隆一詩集』(思潮社)で、その中に入っていた詩、「腐刻画」も、もちろん好きな詩だった。

まずもって題名からしてすごい。

もちろん「腐刻」というのは既にある日本語ではあるけれども、そして「刻」は「彫刻」の「刻」であるのだろうけど、どうしてもぼくは、「刻」といえば「時刻」を思い出し、それならば「腐刻」とは、「時が腐る」と連想してしまう。

「時が腐る」って、どのような状況を言うのだろう。

「時は流れる」と言って、時を川に例えることもあるけど、では、「流れる川も腐る」ということであり、流れながら腐る、というのは、生きながら朽ちてゆくことに繋がってゆくような気がする。

そして「生きながら腐ってゆく」というのは、生きとし生けるものすべてのことであり、ぼくのことでもある。

生きることは、そのまま徐々に朽ちてゆくこと、腐ってゆくことだ。

と、そんなことを思い出しながら、田村隆一の、言葉の端々にまで意味と暗喩が、血液のように行き渡っている詩を、どきどきしながら読んだ昔のことを思い出していた。

詩は素敵だ。

あの頃からはるかに時は流れた。ぼくも、生き物としてだいぶ腐ってきたから、その手でページをめくって、あらためて田村隆一を、言葉を刻むようにまた読んでみよう。

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