「詩人と会った日」



「詩人と会った日」

詩を書く人というのは、あまり人と接することが得意ではなく、ですからひとりきりで詩を書いている人が多いのだと思います。むろん、たまに詩を書く人同士が会うことはありますが、それはその時だけのことです。

わたしもそれほど多くの人と会ってきたわけではありません。けれど二十代の一時期、毎週のように会って、会えば10時間も一緒にいて話をした人がいました。その人も詩を書く人でした。荒川洋治という名の人でした。

もう40年以上も前のことなので、どれくらいの期間そうしていたのかを憶えていません。ただその間、私は毎週のように、午前中から川崎にあった荒川さんの家に行き、その書斎でそのまま夜遅くまで延々と二人で話をしていました。

話をしていたというのは正確な表現ではないのかもしれません。細長い、壁の両面を天井まで本棚の本にぎっしり囲まれた窓のない部屋で、ひたすら荒川さんと面と向かって、すわっていました。毎週会っていましたから、話すことなどそれほどなくて、初めの一時間くらいは最近の詩の事情や、送られてきた詩誌や詩集の話などをしますが、そのあとはなにも話すことがありません。

荒川さんは時々タバコに火をつけるという動作をしますが、わたしはタバコを吸わないので、ひたすら目の前の荒川さんの顔と、その向こうの本棚に並ぶ本の背表紙を見ていました。毎週、本棚の本の位置が変わるわけではありませんから、また、荒川さんの座る位置もいつも同じ位置ですから、わたしはいつも、何時間も同じ本の背表紙を見ながら、ただ黙っていました。

それでもたまに、どちらかが思いついたように話題を持ち出すのですが、それも先週話したことの繰り返しであったり、確認であったりしました。ただひたすら何時間も、二人で向かい合っていました。

つまり毎週会って向き合って、二人で長い考えごとをしていた。そんな感じなのです。それまでも、あるいはその後の人生においても、わたしはそのような体験をしたことはありません。あれほど長い時間、荒川さんの前でわたしはなにを考えていたのだろう。あるいは荒川さんはなにを考えていたのだろう。

それでも終バスの時刻が近づくと、さすがに帰らざるをえず、やおら私は立ち上がり、荒川さんはバス停まで私を送りに出ます。夜の、車の通りの少ない道をいきなり大きなバスが目の前に来て止まります。乗るときに「じゃあ、来週は大丈夫だから」と荒川さんが言うと、来週は荒川さんに急ぎの原稿がないことを意味し、また来週も私は午前中からあの書斎に座ることになります。 二人で考えごとをするために。

✳︎

荒川さんに初めて会ったのは詩誌「グッドバイ」を創刊した後です。無名の若者たちが出したこの雑誌に、最初に反応してくれたのは荒川さんでした。一度会おうということになり、御茶ノ水駅近くの喫茶店で夜、会いました。当時すでに荒川さんは詩集『水駅』でH氏賞を受賞したあとであり、若手の詩人・発行人として、かなりな注目を浴びていました。

この、すでに有名な同世代の詩人に会うことは、わたしにとっても緊張する出来事でした。そのときの会話で覚えているのは星菫派のことです。当時、誰かが荒川さんの詩を「星菫派」と同じではないかと評していました。つまり表面のレトリックだけを重視した詩であるという意味です。その話が出た時の荒川さんの言葉を今でも憶えています。「星菫派で結構。それでかまわない」。

詩の表面を言葉で磨き上げるということは、通常その詩の中身をも豊かにしてしまいます。何か大切なものを抱えてしまいます。しかし荒川さんの磨き方は、その奥に何も持たないようにするための激しい磨き方です。なにものもいらない、という表面なのです。裏側さえ磨き落としてしまおうという表面の輝きなのです。

では、荒川さんの有名な詩を。めずらしくも断片がかすかにつながってしまった詩です。

✳︎

見附のみどりに   荒川洋治

まなざし青くひくく
江戸は改代町への
みどりをすぎる

はるの見附
個々のみどりよ
朝だから
深くは追わぬ
ただ
草は高くでゆれている

妹は
濠ばたの
きよらなしげみにはしりこみ
白いうちももをかくす
葉さきのかぜのひとゆれがすむと
こらえていたちいさなしぶきの
すっかりかわいさのました音が
さわぐ葉陰をしばし
打つ

かけもどってくると
わたしのすがたがみえないのだ
なぜかもう
暗くなって
濠の波よせもきえ
女に向う肌の押しが
さやかに効いた草のみちだけは
うすくついている

夢をみればまた隠れあうこともできるが妹よ
江戸はさきごろおわったのだ
あれからのわたしは
遠く
ずいぶんと来た

いまわたしは、埼玉銀行新宿支店の白金のひかりをついてあるいている。ビルの破音。消えやすいその飛沫。口語の時代はさむい。葉陰のあのぬくもりを尾けてひとたび、打ちいでてみようか見附に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?