2024年2月28日(水)自分の能力を好きになってあげる

昨日は病院へ。脚の痛みを診てもらった。同じ薬をもう一か月分もらって、その脚で帰ってきた。少しずつガタがくる。そのうち、ああ、あの頃は自分でバスに乗って病院までひとりで行けたのだなと、思い出す日がくるのだろう。

ところで、先日の佐々木蒼馬さんとの対談のテーマは「詩人と勤め人」だった。

勤め人時代には、人の能力とは何か、ということをしきりに考えたことがある。

人は人の能力を持って仕事をする。だからほとんどの人の能力は、しょせん人の能力なのだし、つまりは似たようなものだ。けれど、非常に細かく見れば、ほんの少しの差はある。その小さな差を大げさにとらえて、「この人は能力がある」とか「この人はだめだ」とか、決めつけたがる人がいる。そうしなければ、組織は成り立たないからだろう。

ぼくも、ある日、同僚が出世してゆく姿を何度も見てきた。そんな日にはやけ酒を呑んだ。

「この人はだめだ」と組織から見られたら、もちろん自信なんてなくなる。人と比べて、自分の能力を恨みもした。

でも、こうして定年になって長く時が経ってしまうと、人との能力の差なんて、大したものではなかったのだということに気づく。

むしろ、自分ができることの、なんとたくさんあるかということに、もっと目を向けて生きてくればよかったと思う。

詩も同じだ。

人との僅かな差を恨んだってしかたがない。自分には自分にしか書けない詩がある。そのことをもっと楽しんで、自分の能力を好きになってあげることの方がずっと大切なことだと、つくづく思う。

それは決して、現実を直視していない、ということではないと、ぼくは思う。

人との差なんて、何度も言うように、取るに足りないほどの僅かなものなのだし、言ってみれば、顕微鏡の中の仮の世界のことだ。

確実にあるのは、私はここにこうして生まれてきたこと、そしてその私は私の詩を産み出す能力があるという、悲しくなるほど素敵なことだ。

自分の能力を好きになってあげる。

それだけを心してゆこう。

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