2024年2月15日(木)知らないことを知ってゆくすごさ

昨夜は妙な夢をみた。ぼくは劇団員になっていた。その劇団は、なぜか工場を経営していて、ぼくは工場で椅子に座って、手頃な白い立方体を作っている。その立方体を作りすぎて、徐々にあふれてゆく、それが恐くて仕方がない、という夢だった。

目がさめて、立方体がないのでホッとした。

ところで、伊藤比呂美さんの『森林通信』(春陽堂)を読んで感動するのは、自分が知らなかったことを次々と知ってゆく姿だ。読んだことのない作家に出会うと、即読もうとし、読んでしまう。あんな日々をずっと過ごしている人にはとても敵わない。毎日ぼーっと生きてきたぼくとは、知識とおこないの量が圧倒的に違う。

だから、昨年、伊藤さんにメールで「ぼくの詩の教室で対談をしていただけますか」と聞いたことが、いかに無謀なことであったかを、ぼくは今になって恥いるばかりだ。

伊藤さんからはすぐに明るい快諾の返信が来て、対談は実現した。

それで、いつもするように対談の準備をしていたころ、伊藤さんに対談の資料を送った。これまでに書かれた伊藤さんの詩から10編ほどを選んで、これを参加者に送ってかまわないでしょうか、と聞いた。すると伊藤さんから、申し訳ないのだけど自分は松下さんのものを読む準備ができていない、という返事がきた。

まさかそんなことを言ってくるとは思わなかった。驚いた。それで、今回の対談はぼくが伊藤さんの詩について聞く会なので、ぼくの詩を読んでくる必要はまったくない、というような説明をした。

その時に、そういえば似たようなことを言ってきた人が、それまでの対談でもう一人いたな、と思い出していた。対談の準備をしている時に、「自分の詩のことだけではなく、松下さんの詩についても話をしたい」と言ってきたのは、峯澤典子さんだった。

昨日の峯澤さんのnoteの記事を読んで、その時のことを思い出していた。

先日も書いたように、これまでぼくは多くの人に対談の依頼をし、話をしてきた。対談はどれも楽しかったけれども、その準備をしているときにも、予想外の楽しみがあった。

思い出せば素敵な詩人ばかりだった。対談をしていただいた皆さんに感謝したい。そして、伊藤比呂美さんと峯澤典子さんの、ちょっと似たところをみた、という今日の話だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?