酔っ払いからの電話 ー 池井昌樹さんのこと

2006年の冬のある日、わたしは会社を早めに抜け出して吉祥寺に向かいました。井の頭線をおりて、冷たい雨が降る中を「いせや本店」に向かいました。「第16回桃の忌 -会田綱雄忌-」に参加するためでした。30年ぶりに池井昌樹さんに会いに行きました。ふすまを開けました。数人の詩人がひっそりとテーブルを囲んでいるのかと思っていましたが、ふすまの向こうには、たくさんの人がいました。ほとんどが詩人でした。

福間健二さんとは初めて会ったのだと思い、そう挨拶しましたら、前に会ってるじゃないですかと言われました。粕谷栄市さんにもっと書くようにと言われました。井川博年さんに幾度か詩を取り上げてもらったお礼を言いました。八木幹夫さんとも今回は話ができました。江森國友さんとはずいぶん久しぶりでした。

会も終わって帰ろうとしたら、もう少しいいでしょうと、池井さんに二次会まで連れていかれました。二次会は一つのテーブルを囲んで10人ほどで話をしました。しかし、話をしているのはほとんど井川さんと八木さんでした。ひとりひとりとは、じっくり話ができませんでしたが、それなりに懐かしく、楽しい会でした。

心地よく酔っての帰り道、わたしはずいぶん昔のことを思い出していました。

わたしが詩を書かなくなってだいぶたった頃に、一度、池井さんから電話をもらったことがあります。わたしは残業から帰って遅い夕飯をとっていました。池井さんとはほとんど連絡をとったことがなかったので、一体なにごとかと思いました。電話の向こうの池井さんは酔っていて、「マツシタイクオは詩を書かなければいかん」と、私を大きな声で叱りつけていました。しつこく同じことを言っていました。

わたしが詩を書かなかった十五年間の、ちょうど真ん中頃にかかってきた一本の酔っぱらいからの電話でした。

表現をすることから完全に離れて日々を過ごしていた頃の、お節介な、一本の、酔っ払いからの電話でした。

わたしは電話口でほとんど何も言えなくて、池井さんの気が済んだあとで電話を切りました。何も言えなかったし、家族の前だったので平静を装っていました。しかし、こんな自分のことを考えてくれていた人がいたことに、とてもありがたい思いがしました。熱いものが、私を通過していました。大声で泣きだしたい気持ちでした。

その時のお礼が言いたくて、その日は雨の中を、池井さんに会いに行ったのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?