2024年4月4日(木)詩人になるための「運」というものはある

4月になって、さまざまなところで社会人になる人がいます。先日、朝のテレビを観ていて、確かにそうだなと感じた言葉がありました。正確な言葉は忘れてしまいましたが、こんな内容でした。

「多くの新しくアナウンサーになった人たちにとって、あなたは夢のような存在だ」と言われて、羽鳥慎一さんは、「いや、幸運が次から次へと続いてここまで来ているんです。」と答えていた。

謙虚な姿勢による言葉ではありますが、本人は、実感としても、そう思っているのではないかと感じました。

羽鳥さんが現在の立場にいるのは、能力や努力や性格によるものが大きいのはわかってはいますが、それだけではなく、さらに「運」にもよったのだと思います。

詩のことを思っても、同じことが言えます。

詩が人に認められるということにおいても、その詩が優れているということのほかに、よい読者(や友人)にたまたまめぐりあえる、という「運」が作用します。

また、見事な詩集ができあがるためには、収録される詩の素晴らしさのほかに、すぐれた編集者やしっかりとした本を作り上げる出版社にめぐりあえるという「運」が作用します。

投稿をしたら、その年は自分の詩をわかってくれる選者だったという「運」もあります。

たまたま行ってみた詩の教室の先生が、貴重なヒントを与えてくれる人だったという運もあります。

自分に近づいてくれて友人になった人が、自分の詩を良い方向に導いてくれる人だったという「運」もあります。

時代が求めている感性が、自分の詩に近かったという「運」もあります。

入った同人誌のメンバーや雰囲気にも「運」はあります。

あるいは、詩を書くために必要な、安定した生活を送るための就職先にも運はあり、家庭環境にも、人間関係にも「運」はあり、それらすべてが詩作に影響をしてきます。

有名な詩人の多くは、素敵な詩を生み出しています。ただ、素敵な詩を書いているのは有名な詩人だけではありません。同じほど素晴らしい詩を書いていたのに、「運」に恵まれなかったために、ほとんど人に知られなかった人も多くいるのではないかと、ぼくは感じます。

最近はネットで詩が楽に発表できるようになったので、「運」によって優れた詩が誰にも届けられなかったということは、だいぶなくなったかなとは、思います。

とは言うものの、「運」に翻弄されることには変わりがありません。

そして、それでもと、ぼくは思うのです。「運」に動じない心も、詩作には必要なのではないかと思うのです。

詩や詩人が「運」によってどんな人生を送ろうと、大した問題ではなく、一番大切なのは、詩人が自分の詩にどれほど納得したか、ということなのではないかと、思うのです。

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