なにものも持たないところで ー 大岡信さんのこと

「なにものも持たないところで」

若い頃に、ある人の出版記念会に参加しました。私が第一詩集を出してほどなくのことですから、1970年代のことです。詩集を出した人は当時、雑誌に大岡信論を連載していました。大岡さんとの接触も頻繁にあったようです。そのような関係でしたので、その日の出版記念会には大岡さんも来ていました。

その記念会は立食ではなく、きちんとした長いテーブルがあって、おのおのの席が決められていました。どういう具合かわたしは、大岡さんの真向かいに坐ることになりました。この著名な詩人を前に、終始私は、まともに顔を上げることができず、うつむいていました。「大岡さんが目の前にいるのだな」と思うと、なにも頭に入らない状態でした。

大岡さんの挨拶が終って、しばらくしてからのことでした。会が少しずつ和やかになってきて、席を離れて親しい人同士が話し始めた頃、一人の若い詩人が大岡さんのところへやってきて、いきなり議論をふっかけてきました。どう考えてもその議論は、その若い詩人の勝手な思い込みから発想された、意味のない言いがかりのように思われました。私は向かいの席でその話を聞いていて、ただ大岡さんが気の毒で仕方がありませんでした。

議論はいつまでも続くようでした。若い詩人の話を大岡さんは、はじめのうちこそきちんと対応していましたが、途中からは目も違う方を向き、うんざりしているようでした。その目がたまたま私の目と合いました。大岡さんはその若い詩人の話を無視して、私に話しかけてきました。「松下さん、ですよね。このあいだ詩集を出した人ですよね。」おそらくそれは私に興味があって話しかけたと言うよりも、無理な議論の相手を無視するために、たまたまそこにいた私に話しかけたものでした。それでも、理由はどうであろうとも、大岡さんに声をかけてもらったということに、私はちょっと晴れやかな気持になりました。

その日、大岡さんがスピーチで話したことは今でも覚えています。記念会の詩集について感想を述べた後、一般的な詩の話になりました。いわく、日本の詩人は実に不勉強だということ、私(大岡信)はうまい具合に歳を重ねてものを書きつづけることができたこと。そんな内容だったと思います。

会が終って別れ際に、大岡さんが私に再び声をかけてくれました。

今でもあのときの大岡さんのスピーチを、その姿とともに思い出します。向かいに座っていた私は、言われている事柄に、確かにそうだと、若い頭の中で納得していました。

しかし、それからの私は日々の雑事にかまけて、きちんとした勉強もろくにせず、大岡さんのようにうまい具合に歳をとることもなく、なにものも持たないところで詩を書き続け、ほどなく詩を書くことさえやめてしまいました。

今ではもう、当時の大岡さんよりもずっと歳をとってしまいました。

「だから言ったことじゃない」という、大岡さんの声が聞こえてくるようです。

もう一度あの席にもどって、大岡さんのスピーチが聞けたら、ぼくの人生は変わるだろうか。

後の自分の人生をもっと大切にしたかもしれないし、やっぱりそうはできなかったかもしれないと、思います。

水底吹笛      大岡信

ひょうひょうとふえをふこうよ
くちびるをあおくぬらしてふえをふこうよ
みなぞこにすわればすなはほろほろくずれ
ゆきなずむみずにゆれるはきんぎょぐさ
からみあうみどりをわけてつとはしる
ひめますのかげ――
ひょうひょうとあれらにふえをきかそうよ
みあげれば
みずのおもてにゆれゆれる
やよいのそらの かなしさ あおさ
しんしんとみみにはみずもしみいって
むかしみたすいしょうきゅうのつめたいゆめが
きょうもぼくらをなかすのだが
うっすらともれてくるひにいのろうよ
がらすざいくのゆめでもいい あたえてくれと
うしなったむすうののぞみのはかなさが
とげられたわずかなのぞみのむなしさが
あすののぞみもむなしかろうと
ふえにひそんでうたっているが
ひめますのまあるいひとみをみつめながら
ひとときのみどりのゆめをすなにうつし
ひょうひょうとふえをふこうよ
くちびるをさあおにぬらしふえをふこうよ

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