2024年3月30日(土)投稿に落とされたから学べたことは多い

数日前に届いていた「現代詩手帖」4月号には、次号予告として現代詩手帖賞が発表されると書いてあった。そうか、もうそんな時期なのだなと思った。

ぼくも若い頃には「現代詩手帖」に必死に投稿をしていた時期がある。20代はじめの頃だったからもう半世紀も前になる。瀬尾育生さんや阿部恭久さんも同じ頃に投稿をしていた。

中でも阿部さんの詩は鮮烈だった。清水哲男さんが選者だった。毎号、投稿欄の阿部さんの詩のすごさに打ちのめされる思いだった。同世代に、言葉の魅力をこれほどに引き出せる人がいるのかと思った。一方、ぼくはほとんど落選をしていたから、選ばれた詩が余計にまぶしく見えた。ほんとにまぶしかった。

今思えば、ぼくはのちに多くの詩人の詩を読んできたけれども、投稿欄で読んだ同世代の詩人の詩は特別だった。その震えは生涯忘れないものだし、強い影響を受け続けるものだ。

投稿欄で落ちた時には、もちろんガッカリはしたけど、だからこそさまざなことを考えた。詩についてはもちろん、人と比べられて選ばれないということについて、それから、さらに詩を書き続けるべきかということについて、いやになるほど考えてばかりだった。投稿は人生そのものだと思う。

あの頃に投稿で幾度も落とされたから学べたことは多いし、そののちの長い人生での、自分を見つめる貴重な体験にもなった。

そんな、投稿についてのもろもろの正直な話を、5月に峯澤典子さんとの「お話会」でやろうと思っている。5月と言えば、峯澤さんは投稿欄の選者をやり終えたころでもあるし、熱々の話ができるだろう。会の詳細については、近いうちにSNSで告知する予定です。

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