2024年1月16日(火)投稿詩は選者だけが読むのではない

昨日は月に一度の病院通い。バスに乗って、電車に乗って、もくもくと行ってきた。結果は、よくもなければ悪くもない。ぼくらしい。途中、いろいろと考えごとをしていた。

ところで、雑誌に投稿した詩は選者によって読まれる、というのはあたりまえだけど、実は、選者以外の人にも読まれている。

もちろん入選して雑誌に掲載されれば、多くの人に読んでもらえる。でも、入選しなくても、選者以外に、雑誌の編集者にも読まれていることを忘れてはいけない。

そして、編集者に読まれている、ということには、小さくない意味がある。というのも、日本では、編集者というのは、時に、詩の書き手よりもすぐれた読み手であるからだ。

かりに、すぐれた詩を投稿していたのに、その時の選者に読む力がなかったとしても、少なくとも編集者の記憶には残るだろう。

ぼくは若い頃に投稿をしていたが、雑誌の賞をもらうことはできなかった。だから、詩のキャリアを投稿でその先につなげたわけではない。単に数年のあいだ投稿していて、そのうちに自分の意志でやめただけだ。

でも、投稿した詩が、編集者のひとりにきちんと読まれて、ある日、その編集者から連絡をもらった。会って、話をし、一緒に同人誌を始めることになった。

その編集者というのが、上手宰さんだった。

同人誌はそのうちに終わってしまったけれども、上手さんとは、あれから40年が経った今でもたまに会って、いまだによい距離を保って、詩に関わっている。

今思えば、不思議な縁だと思っている。ただ、この縁は、少なくともぼくの投稿詩がきっかけであったことは間違いがない。

思い通りに生きて行ける人なんて、めったにいない。努力をしても、たいていの期待は裏切られる。でも、人生というのは、期待していないところで、思いもしないことが起きることが、たまにある。

だから、投稿する詩というのは、必ずしも選者に向けて書くのではなく、選者が誰であれ、常に、自分の書きたい詩を信じて、ひたすら己れへ深く書き続けることが、選ぶべき道なのではないか。

まあ、これも当たり前ではあるのだけど。

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