書けなくなるということ ー 辻征夫さんのこと

「書けなくなるということ」

「げんげ忌」に参加して、席についたら隣に辻憲さんが座っていました。辻憲さんは辻征夫さんの弟。画家です。「憲さん、お久しぶりです。」「ああ、松下育男さん、元気?」。ということで、憲さんの隣に座って「げんげ忌」に参加しながら、昔のことを思い出していました。

辻征夫さんにお会いしたのは、私が30代の半ば、もうきちんとした詩が書けなくなっていた頃のことです。「詩学」の投稿欄の詩を選評するために、月に一度、根津にある詩学社の小さな事務所で会っていました。新人の選評とはいえ、辻さんの言葉は重く、そのひとことひとことをしっかり胸に収めながら学ぶように聞いていたことを覚えています。選評が終わると、うな重を食べ、その頃にはもうウイスキーに酔った小沢信男さんはこっくりこっくりはじめています。辻さんのいろいろな話を、新井豊美さんと一緒に、毎月、興味深く聞いていました。幾度かその場で、私は「どのようにしたら再び詩が書けるようになるでしょうか」と、辻さんに相談をしていました。その都度、辻さんはわたしにきちんとしたアドバイスをしてくれました。でも、どのように優れたアドバイスも、だめになった私の詩を救うことは出来ませんでした。

それからしばらくして、わたしは妻を亡くしました。その葬儀のときでした。式の開始の時間を待つべく、広い畳敷きの待合室の片隅で泣きじゃくる私のそばで、辻さんはじっと黙って坐っていました。葬儀が始まるという知らせに、私が立ち上がろうとしたときに、「きみは、いつかまたきっと書くようになるよ」という辻さんの声が、わたしの背後から聞こえてきました。私はそのとき、辻さんのその言葉に振り向きもせずに葬儀会場へ向かいました。

それから15年を経て、わたしは『きみがわらっている』という一冊の小さな詩集を出しました。しかし、それが辻さんの言っていた「書くように」なったことだとは、むろん思っていません。書くということが、書かないでいるということと、何がどのように違うのか、未だに私にはわかりません。時々そのことを、むしょうに辻さんに聞いてみたくなります。

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