2024年1月17日(水)詩の不平分子にはならない
昨日はあいかわらず詩を読んでいた。それから感想を書いた。それから、友人からのメールを嬉しく読んだ。メールに返信した。
メールというのは、返信したあとで、必ずもっと別の言い方をすればよかったと、後悔をする。なぜだろう。後悔をするのは、たいてい、その友人を大切に思っているからだ。メールというのは、そんなつもりはなくても、時として人を傷つける。気をつけよう。
ところで、わたしは今朝、SNSに、次のように書いた。
✳︎
わたしの詩は
詩としてすぐれていなくていい
ただ
わたしに生まれた理由を語っていればいい
わたしの詩は
たくさんの人に誉めそやされなくていい
ただ
ひとりの人の弱さに寄り添えればいい
わたしの詩は
長く読み継がれなくていい
ただ一瞬
その日に生きたわたしの匂いがしてくれればいい
✳︎
これもいつものきれいごとのように思われるかもしれない。そう思う人は思えばいい。これはわたしの正直な気持ちだし、そうありたいという気持ちでもある。
わたしの詩は、だれの詩とも比較されたくはない。とは言っても、人の詩を認めようとしない不平分子ではないつもりだ。
人の詩のよさもじゅうぶんに感じとり、わたしなりの公平さで発信してゆきたい。
ただ、わたしの詩は、外と繋がってはいても、外を向いて書いていたくはない。
常に、自分の方を向いていたい。
わたしの内側を向いて、内側を楽しみ、内側を尊重し、内側に夢中になって、書いていたい。
その結果がわたしの詩であり、外へ出すことのできる、唯一のありうべき作り方だと思っている。
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