「現代詩の入り口」22 ー 詩の本質がむき出しになっているところを見たいなら、荒川洋治を読んでみよう

「現代詩の入り口」22 ー 詩の本質がむき出しになっているところを見たいなら、荒川洋治を読んでみよう

「キルギス錐情」     荒川洋治

方法の午後、ひとは、視えるものを視ることはできない。

北ドビナ川の流れはコトラスの市(まち)からスコナ川となり史実のうすまった方位にその訛(か)を高めている。果たしてそこにひとは在り、ウラルの高峰をのぞみながらでごろな森を切っている。倒れ木の音は落ちゆく地理に気をもみながら負の風をうけて、樵夫(きこり)の午後に匿されてゆく。

在りかけるひとはいつも赧らんでいる。在りかけることは過ぎることだから、裸形の骨はよく柩から夜を視る。その青い怒りの山巓でひとはいつも在りかけて閉じる。

(後略)

「キルギス錐情」について   松下育男

コトバを飾り立てることの後ろめたさ、あるいは恥ずかしさを取り払ったところに、この詩があるのかな。きらびやかで、やりすぎていて、だから人によってはこの詩を、なんだか無駄なことをやっているとしか感じられないだろうと思う。もちろん、コトバはただ飾り立てられているだけじゃなくって、どこか「意味深」になっている。何かがありそうな言い回しになっている。たとえば冒頭の、「方法の午後」。または、「君の死は高低だ」とか「視えるものを視ることはできない」とか。意味深の奥に、なにかがあるのかっていうと、それは書かれた詩には決められない。読む側の問題になる。すくなくともうまく言うものだなと、感心はする。地図帳を見て、キルギスという地名を見つめながら、この詩は書かれたんだろうけど、地図を目の高さに持ってきて、横から見ているように感じられる。山や台地の高低の、でこぼこが貼り付けてある地図にも見えるし、あるいは、開くと飛び出す立体本を思い出しもする。キルギスがどんなところで、どんな人が住んでいるかなんて、たぶん関係ない。行ってみればそれなりの土地で、それなりの人々が生活をしているのだろう。(後に、ニュースでたびたび取り上げられることになる地名だとは、荒川さんも当時、予想しなかっただろう)。だからこの詩は、何の裏づけもないということの美しさに、身をもたげている。それにしてもよくもまあ、こんなにきれいに日本語は並べられたものだなと、未だにわたしはうなってしまう。「キルギス」から「キリ」、「キリ」から「錐(きり)」を連想して、つまりは発想の出所が駄洒落だっていうことを明かしたって、どうということのない顔をしている。持ち上げた地図帳に夕日が落ちてゆく。うっとりと詩を書く少年に、もちろん表現のためらいは、ない。

2

「氷イチゴ」     荒川洋治

山くずれのおよぶのを怖れて
なかなかハシをつける気になれないのである
メロン、レモン、宇治から無彩
まで品数はほうふだが
生きている間は
どうしてもあの色に手がのびる
わが春秋にも久しく流れて地下を
あたためぬいた色だし
雪中行軍のくちびるへは入り
他者の色とみなされることもある
(後略)

「氷イチゴ」について   松下育男

氷イチゴを前にして、荒川さんのレトリックがどのように戦えるかを試してみた、そんな詩なのかな。それほど氷イチゴのことを書きたかったわけでもないし、書かなきゃどうなるってものでもない。そう言ってしまえばたいていのことはそうなんだけど、この詩を読んでいると、特にそんな感じがする。それでも書いておくだけの理由があるんだよという、振りくらいしているかなと読んでみれば、そうでもない。つまりは氷イチゴを置いてみて、詩はどのように完成されるかって事を、試している。それはたぶん、この詩に限らず、荒川さんの、詩に対する根本的な姿勢にも関わってくるかもしれない。何を書いたって何がどうなるものでもない、と改めて表明しているみたいだ。それでもこの詩を読めば、気分は決して悪くならないし、氷イチゴが目の前にまざまざと現れてくるから、たいしたもの。「染めぬいてたち落す」って言い方なんか、いかにも荒川さんらしくて、うまいといえばうまいんだけど、作者が気持ちよく書いているほどには、読者にはそのよさが伝わってこない。そのことも、荒川さんは十分にわかって使っているような気がする。レトリックの限界って、たしかにあって、それってそのまま文芸の限界とも、言えるのかな。もちろん荒川さんだけの、問題ではなくて。

3

「発育」     荒川洋治

ブレーメルハーフェンの
造船所をみたのは
二月もおわりのころだったか
黒いかたまりのようなものが
北海の水に浮いていた
あおくはれあがった地表のうえに
くらい重量をおいて
わたしは目前の
黒い氷をみた
(後略)

「発育」について   松下育男

地名からまた、想像を起こしているのだろうか。でも、『娼婦論』で地名と遊んでいたのとは、ちょっと意味合いが違う。もう単純には、遊んではいない。「母」が出てくるし、さらに意味ありげに「亡くなった姉」も出てくる。「死んでしまうと/つめたいものにはよわいのよ」の2行は、すごい。でもそのすごさは、レトリックとしてのすごさであって、それこそ「なまみ」のものではない。くしくも、詩の中には「なまみ」という言葉が出てきて、これは「姉の性」を意味しており、こんなところにまで女の性は顔を出さなきゃいけないのかと、つい思ってしまう。でもさすがに、肉親の性だから、そこでとどめてはいる。「黒」の使い方とか、「はれあがった地表」とかは、うまいと思うのだけど、それが作品としてなかなかまとめ上げられていない。どこか、切実感がない。切実感なんて、なんの意味があるのだと、いわんばかりだ。文字は作品の表面に浮き、奥行きを持とうとはしない。これほど軽い造船所も、詩の中でならありうるのだ。才能は美しい断片を生み出すけど、断片は勝手な方向を向いている。そんな感じがする。

紫の烟   荒川洋治

顔を一日で染めあげぬよう
指折りして
生きているのであろう
しろい布をかぶせて
その日の野菜を高みからサヤであじわった
夕日のシンが
のどを掻きながら、下りようとしている
(後略)

「紫の烟」について   松下育男

ニュースは台風が今日の午後には関東地方に上陸するでしょうと、言っていた。僕は今、通勤のためにバス停に立っている。それなりの雨が、ひっきりなしに降っていて、大きめの傘の中でたたずんでいる。月曜日の朝だから、思いの中にはすでに、仕事の段取りがはいりこんできていて、すでに吹きはじめた風と一緒に、僕をちいさく傾けようとしている。で、今日の荒川さんの詩だけど、短い中に、素直な叙述が全くないことに、あらためて驚かされる。書くということが、表現をひねることと、密接につながっている。「きれいないいまわし」をしなければ、ものを書く意味がないと、だれかに脅迫されてでもいるみたいだ。こんなふうに書けるのは荒川さんだけだろうと思う。細部に学ぶべきところは、ある。でもどこか、うまさを見せびらかされているような、気がする。たぶん、作品の向きは、これではいけないような気がする。のべつまくなしフォークボールを投げているけど、文芸というのはそれですむほど、浅くないのじゃないだろうか。個々、ひねりすぎて、意味をとれないところもあるけど、最後の数行は、性行為を描いている。いつものように、男の行為が描かれているだけで、女性の顔も、こころも見えない。
3月 14, 2017 2:58:33PM
「荒川洋治の25章」(その2)

ヒロイン       荒川洋治

岸信介はいま
美しい恋をしている
美しい恋の語りは
人を選ばない
だが 世に汚れた
岸信介と
美しい恋とを
一枚のウチワの絵に
取り入れること、  並べることは  むずかしい
(後略)

「ヒロイン」について   松下育男

僕は小学生の頃から、詩を書いている。でも当時から、それがすごく恥ずかしくてしかたがなかった。詩を書いているなんて、みっともなくて、だれにも知られたくなかった。早稲田に入ってから、同じ大学に通っている学生詩人がいることを、僕は知ることになった。「荒川洋治」という名で、いくつかの詩を、すでに商業誌に発表していた。それはとてつもなく美しい、透明なコトバで飾られていた。それは想像できないほどに、隙のない完成度を示していた。同世代にそんな才能がいるのだということに、不思議な感慨を持ちながら、ぼくは同じ早稲田のキャンパスに通っていた。のちに僕は、荒川さんと知り合いになり、彼も子供の頃から、詩を書いていたことを知った。そんな人が僕以外にもいるんだという思いは、とても新鮮に僕の中に、落ちていった。ただ、書かれてきた詩の姿は、僕とはまるで違っていた。このところこのブログで、荒川さんの詩をとり上げているのも、同世代の、もっとも鮮烈な印象を持った詩人の作品を、もう一度読み直してみたかったから。青臭いことを言うようだけど、ぼくにとって詩とはなにかということを、荒川さんの詩を読みながら、考えてみたかったから。で、今日の荒川さんの詩だけど、言葉の意味そのものを丹念に追ってゆこうとしても、たぶん無駄。言葉は見事に理解を阻んでいる。その阻み方を、読みなさいということか。岸信介は、岸信介でなくてもかまわない。この詩が、特別上等なものであるとは思えないけど、ではこんなのを書いてみろと言われても、なかなか書けそうもない。深夜に、女の人と一緒にいたのだろう。どんな関係なのかは知らない。何をしていたのかも知らない。りんごの皮を、剥いてくれるくらいの関係ではあるようだ。それからその人を夜のバス停まで、送っていったのだろう。たぶん部屋に帰ってきて、この詩を書き始めたに違いない。とてもよく読めるのは、その時に原稿用紙にうつむけられた荒川さんの顔、それだけだ。

「娼婦論」     荒川洋治

まず私服の蛇を遠ざける
みぎれいな乞食(かたい)を屈ませ
ひなびた必須をひねり
かじかんだ呼鈴をむしり
雪譜も埋まる雪のなか
ひえるくるぶしを谷水にすすぐ
あなた

むなびれで韻をかしぎ
死の呼び水でやさしさを漉き
おびただしい男斧のほおばりに疲れ

(後略)

「娼婦論」について   松下育男

かなりタフな会議だったなと、思いだしながら会社を出たんだけど、やりとげた感じがしない。いつもなにかをつかみ損ねたまま、終えてゆくような気がする。来週は久しぶりの海外出張。上海から大連へ。でも日程を見てみると、ほとんどが会議で、夜は同じ連中との連日のディナー。アジア各国から来た財務の連中と、ずっと英語で話をしなきゃならない。まあ、もうすぐ定年だし。会社を辞めればそんなこと、きれいになくなってしまうのだから、ありがたく、大切に過ごしてこよう。で、今日の荒川さんの詩だけど、先日の詩で、すべての行にひねりを加えていると言ったけど、今日のはもっとすごい。一行の中で、いくどもひねりが加えられている。ねじりにねじれている。こうなってしまうと、もう表現が素直だとか、意味がどうだとか、まったく気にならなくなる。というのも、個々の表現が、すばらしく魅力的だから。うまく説明できないんだけど、とにかく面白い。ひとつの単語から、つい連想してしまう落とし穴のようなものに、見事に落ちてゆける。ルールもない、おもねりもない、それでも詩を、真剣に読んできたものならこのよさはわかる。そんな詩だ。ただ、この魅力は、ちょっと緊張感を失うと、なにものでもなくなる。ぎりぎりの場所での遊びであるがゆえに、壊れるのは簡単。もちろん壊れたって、だれが困るわけじゃない。

「東上のこころを真似て」      荒川洋治

日夜があるとして振り分けの荷
屋根を大量に目に入れ、暮しをはなれ
流れ矢にまっすぐ
ゆきかい
にわかならずとも座興を立ち、
(後略)

「東上のこころを真似て」について   松下育男

深夜の電話会議を終え、というか電話の先は世界中にまたがっており、ただ僕が、深夜だっただけ。だから電話先は、「Good Morning」と言い、逆らっても仕方がないから、PCの前で無理やりに朝を迎えたことにし。疲れきって電車に乗って、混雑した中でキスをしているカップルを見るともなく見ていて、席が空いたので座り、菊名駅で降りるつもりが、またしても眠ってしまい、横浜で降りてまた、戻ったんだ。このところたびたび、乗り越して戻る、ということをしている。そんな定期を買ったつもりは、ないのだけど。で、今日の荒川さんの詩だけど、どこか石原吉郎に似ていると思ったのは、僕だけだろうか。この詩に限らず、荒川洋治と石原吉郎というのは、かなりの部分、重なっている。そのあらわれかたが、時に正反対ではあるけれども。作品になると、石原吉郎は背筋を伸ばし、荒川洋治は背を丸める。言葉と、ヒトに対する思いの向け方と、あとなにが共通しているだろう。

叶えてやろうじゃないか     荒川洋治

このところ怒りっぽくなった
雨という予報なのに
晴れてしまうときのようなわけのなさだが
景色
あわよくば
気色
で生きようとみずからをはじめたのだ
昔から知能指数が低い(108)のに
短気で
家もないのに家を飛び出したり
テーマもないのにこうして詩を書いたりで
(後略)

「叶えてやろうじゃないか」について   松下育男

詩って、ひそやかで遠慮深い心から生まれることが多いから、この題のような、「上から目線」の詩って、あるようでそんなにない。荒川さんの詩って、基本的に弱々しくはなくて、自分の才能に対する自信が、作品の言葉遣いにも影響しているのだと思う。経験から言って、能力に自信を持った人って、詩人としてはたいていダメなのだけど、そういう意味では、荒川さんはまれな詩人なのかもしれない。その自信は、自分だけはほかの詩人とは違うんだよという思いへつながってゆき、文芸に根を張った優れた詩なんて、まったく興味がないというふうに、見えてしまう。たとえばこの詩にしたって、「丁目をまたぐくらいの」なんて言い方は、確かにうまいと思うし、だれにでもできるものじゃないんだけど、でもそのうまさは、どこへもたどり着くものじゃない。水栽培のヒヤシンスの根っこみたいに、行き場を失っている。ということは、荒川さんはひたすら、詩の中で、「詩なんて所詮つまらないものだ」と、言っているように感じられる。うまい詩を書いたって、それがどうなるんだよって、言っているようだ。そのことをまさに、「もうもうと」さびしく感じている。
3月 14, 2017 2:59:49PM
「荒川洋治の25章」(その3)

間道づたい     荒川洋治

弘安の役から一年。高麗兵であろうか。手負いの騎乗のむくろが岸にささったまま、名うてのつめたいつやをうんでいる。

竹崎五郎季長が、戦後その武勇の諸節を蒙古襲来絵詞の絢爛にひそませた事実は、見えるとおりだ。

ようやくに磁砲の音も除かれた一期節、肥後海東郷に参集した絵師たちは、平時のかぜをつきまぜながら、ひとつなぎの描出をすすめていく。

(後略)

「間道づたい」について   松下育男

初期の荒川さんが得意としていた「歴史もの」の一編だけど、時代から固有名詞を引いてくるのが、なるほどうまい。この詩、作っていてさぞ気持がよかっただろうと思われる。才能がいかんなく発揮されている。初期の荒川さんには、もうひとつの得意分野があって、そっちのほうは「地理もの」。歴史だとか地理だとか、なんだか大学受験の選択科目みたいだ、というのも、あながち外れてはいなくて、たぶん勉強のよくできた高校生の頭の中に、受験勉強で注がれた知識が、そのまま詩に昇華したのかなと思われる。詩集『娼婦論』とか『水駅』のあたりまでは、たしかに学生服から出ている手で書かれた詩のように感じられる。優秀校の、優等生の詩だなと思う。間違っても中年男の生活臭はない。この詩の魅力は、ものを作ることについて描いているということ。「日がたてば、しかし画趣も凍り、工夫をわすれてくる」のところは、まさしく荒川さんの、そののち長く詩を作り続けることになる苦しみを、予感している。というか、すでに恐れを持っている。見たこともない漢語を並べたり、おおげさな動詞をつかったり、というのはこのころの特徴で、漢語のほうは次第に消えてゆくけれども、動詞のほうはそののちも引きずってゆく。「つきまぜながら」とか「のりあげてしまう」とか、こういった表現に我慢がならない読者が、少なからずいることを、僕は知っている。そうでない読者は、この詩に完璧にとらわれてしまう。どちらかでしか、ない。

10

小公女      荒川洋治

湖畔をわたる
五月の風はさわやか

おはよう小鳥さん
おはよう花の妖精たち
遠くでわたしを さそっている
小突いてくるのは
誰の笛の音?

(後略)

「小公女」について   松下育男

どうにもこうにも、というか、読んでいてこれほど馬鹿にされているような気分になる詩は、ほかにはない。どう見ても、読者を挑発しているとしか、思えない。はじめの「五月の風はさわやか」だとか「おはよう小鳥さん」のところからして、空いた口がふさがらないし、最終連の「手をあそこで洗う」を「あそこを洗う」に言い換える下品さも、無差別に攻撃的だし、最後の「洗うべきだ」にいたっては、癇癪(かんしゃく)をおこしているとしか思えない。なんでこんなに荒川さんは怒っているのだろう。あるいは、なんで怒ってまで詩を書かなきゃならないんだろう。たぶん怒りの対象は、(1)「優れた抒情詩」といわれるもの全般であり、(2)そういうものを目指している自分以外のくだらない詩人たちであり、さらに、(3) 悲しいかな自分も抒情詩にとらわれていることであり、それから、(4)もう 思うように「優れた詩」が産み出せなくなった自分自身のふがいなさについてだ。普通の詩人はそんなときは、あきらめて黙り込む。でも、荒川さんはそんなことではおさまらないみたいだ。たしかに、「優れた抒情詩」はこれからもほかの詩人に作られる事もあるだろうけど、こんな詩はたぶん、だれにも書けない。

11

さらに、    松下育男

で、荒川さんの詩の話だけど、「間道づたい」と「小公女」の間の大きな隔たりの意味するところとは、いったいなんだろうと、あらてめて思う。両方の作品を、一人の詩人が書いたということに、驚きというよりも、どこか不自然さを感じないわけにはいかない。つまり荒川洋治とは、「間道づたい」の中にいるわけでもなく、「小公女」の中にいるわけでもない。荒川洋治とは、「間道づたい」から「小公女」へ移る、その間の動作のことではないのか。文字としてとどめ置くために詩はあるのではなく、いったん見せびらかしたものを、読者の前で平気で破り捨てる、それが詩なのだとでも言っているようだ。すべての生真面目な詩をあざけるために、いったんは生真面目な詩が書かれた。そんなふうに思えて仕方がない。「間道づたい」から「小公女」への流れとは、感性が衰弱して行ったのではなく、単にそれまでの冗談をやめた、ただそれだけのことではないのか。そんな気がする。

話しは少し飛ぶけれども、ひとりの詩人が、生涯を通してひとつの文体で書きとおすことと、時代とともに、あるいは状況とともに違った姿の詩を書きわけることとの差異とはなんだろう。わたしはかつて、詩の雑誌の編集者に、「あなたの詩には飽きた」と、面と向かって言われたことがある。若かった私は、それなりに傷ついて、しょんぼりと部屋に帰ってきた。で、なんとかそれまでの詩とは違ったものが書けないかと、当時、さまざまな試みをしたことがある。しかし、結果として、どれも物にはならなかった。無残な作品しかできなかった。変わろう変わろうという意識ばかり強くて、何が自分の詩の根本であるかを、完全に見失ってしまった。だからまた今は、もとのところに戻って、相変わらずの詩を書いている。あの時の編集者の言葉を否定するわけじゃない。ただ、わたしにはどうしようもなかった。どうにも変えようがなかった。

しかし、荒川洋治は、わたし(あるいは世のほとんどの詩人)とはまったく違う。飽きてきた自分の詩は、強引に変えてしまう。その結果が無残だろうがどうだろうが、変えてしまう。作品が無残なら、もっと無残にして、その幅に意味を持たせようとしている。「自分の詩の根本」を惜しむような気持ちは、まったくないように見える。無残な詩も詩に違いはないと、あくまでも言い張ってみせる。そんな詩人を、私たちは初めてこの国に持った。そう思う。

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川           荒川洋治

小高い丘に姿を現わし
ようすをうかがい ろくに帳簿を見もしない この男、
ジャンプをつけて飛んで来る
息がつまり
息がつまることに思われ
こんなとき どんなにか人はたのしかったことだろう
でももう このへんで
と思うところで
思う

部長さんは わたしの
何なのだろう 何なのだい

(後略)

「川」について   松下育男

どうにもこうにも、と言っていたらきりがないけど、この詩もりっぱな「どうにもこうにも」だな。安っぽい雑誌の安っぽい漫画を見ているようだ。「ヘタウマ」という言葉が一時流行ったけれども、どこかあんな感じ。現実感を極力なくしている。むりやりなくしている。ここには一人の、OLらしき女性が出てきて、そこの会社の部長と不倫(?)をしているようなんだけど。多摩川だか江戸川だかの川べりで、夕暮れにまぎれて、抱き合ってキスをしている。こんなことをこんなに薄っぺらに詩に書くことに、何の意味があるのだろう。という疑問は、ではもっと重要なこととは何で、書くべきほどの表現力とはなんなんだという疑問につながってくる。それよりもなによりも、このOLの話を、荒川さんは勝手に作り上げたのだろうか。たいした内容でもないので、頭の中で考えただけなのかもしれないけど、どうも、そうではないような気がする。詩の中身には現実味はないけど、詩を書くきっかけには、妙に生臭いものを感じる。どこでじかにこんな話を聞いて、詩にしようと思ったのだろう。こんなどうでもよいことを、ずいぶんと気にさせる詩になっている。まさか、この詩のモデルが荒川さん自身だろうとは言わないけど、(むしろ経理をやっているのは、ぼくのほうだ)、とりたてて美しくもない普通のOLが、さえない風采の、ろくに帳簿も見もしない(ここがやけにおかしい)と川べりでキスをするという、劇的要素のまったくない、というそのことに、変に興奮してくるから、弱ったものだ。

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さらに、   松下育男

昨日読んだ「川」が入っている詩集、『一時間の犬』を初めから終わりまで読み通しても、読者にはなにも溜まってゆくものがない。任意の1編を読んだことと、詩集の全編を読んだこととの間には、経験として何の違いもない。タメがないのだ。要するに、作る側(荒川さん)のほうにも、詩を作るに当たって、創作の迷いは何もなく、机の前に座ったときに、頭に浮かんだものをそのままテキトウに書き流している。テキトウに書き流しただけでも、そこはそこ、それまでに学んできたギジュツがあるから、見た目には何かがあるようなものになる。でも、本当は何もない。何もなくっても一冊の詩集なんて出来あがるのだと、荒川さんは言うためにだけ、詩を書いている。この詩集の中には、何かがあるはずだと、深読みをするのは読者の勝手だがと、荒川さんは思っている。早熟な荒川さんにとっては、このころはすでに晩年といってもいいのだろうけど、晩年になったからといって、田村隆一のように名人芸にたどり着くわけではない。自分がそのときに書きうるものに、ただついていっている。そんな気がする。ずいぶん丹念に育て上げてきたものを、急にほったらかしにしている。綱から手を放してしまっている。そうされて一番戸惑っているのは、おそらく作品自身だろう。詩集の中に、さびしげに置かれた詩群。作者に置いてきぼりにされた詩の寂しさを、読んでいて感じるのも読者の勝手だと、背を向けた荒川さんは、たぶん思っている。

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さらに、   松下育男

で、そんな荒川さんの詩を読んでいると、今まで自明だと思っていたいろいろなことが根本のところで疑われてくる。いったい、詩の、素敵な発想を思いつくことに、なんの意味があるのだと考えはじめてしまう。いつもよりすぐれた詩が書けたと、素直にうれしくなる気持ちでさえ、なんだか貶(おとし)められて、惨めに感じられてくる。あるいは、書く立場ではなく、読者の立場に立ったとしても、僕なんか、最近はそうでもないけど、昔はずいぶん古本屋に通って、高価な詩集を買い求め、ひたすら読みふけっていたものだけど、で、そんな行為にはなんの迷いもなかったのに、なんだか今になって、だからなんなの?って自分を問い詰めたくなってくる。詩に感銘を受ける、というのはいったいどんなことで、だからなんなのだということを考え始めてしまう。それはめぐりめぐって、生きている刻一刻の意味合いにも通じてくる。生きてゆくって、心地よいものや心動かされるものに向かって努力をしてしまうことだと思うんだけど、そんなふうに出来上がっている僕って、いったいなんだろうって、なんだかミタマサヒロのように、なってしまうわけ。

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さらに、   松下育男

だから、いいトシをして、未だに詩を書いているっていうのは、サーフィンが好きですとか、土日はもっぱら山登りですとか、中年バンドでベンチャーズを弾いていますとか、そういうのとは明らかに違っていて、いつもうじうじと、詩との関わりについて考えていることなんだと思う。そういう考えって、どんなにつきつめても解答なんかなくて、一生どうどうめぐりをしている。でも、性格の根本のところでは、そういった思考の堂々巡りが結構嫌いじゃなくって、悲しいかなそれは、ホントのことなんだ。だって、コノヨに生まれ出て、わかったことって、考えてみればそれほどにはなくって、少なくとも永遠の端なんて、とうぶん見せてもらえそうにない。生きるって、わからないことが目の前にたくさん並べられていて、それでも気にせず、アンタのわかっている範囲内で世界を捉え、その中で一生懸命がんばりなよっていわれているようなものだろ。それって、ずいぶん無責任に出来上がっていると思う。生かされているものにとっては、たまらない。詩を書くってさ、そういうわからなさを解明するために書いているわけで、わからなくってもいいやって、拗ねて見せることではない。話はずいぶん飛躍してしまったけれども、荒川さんの詩って、読んでいても読者をつねに落ち着かせてくれないというか、詩を書いているっていうことの奇妙さを、次から次へ示してみせている。つまりは荒川さんのやり方で、解き明かすべきものに立ち向かっているのかなと、思ったりするわけ。

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さらに、   松下育男

当たり前のことだけど、一度書いたものを、再び書くことはできない。処女詩集が優れて見えるのは、だから当然だと思う。二冊目、三冊目と、どんどん輝きが失われてゆくのは、同じ思いを表現するのに、同じ道をたどれないから。って、ちょっと脇道にそれるだけなんだけどね。だから二冊目、三冊目は、草深い脇道ばかり。四冊目からは、見渡すばかりに草ぼうぼう。才能のある人は稀に、いつまでも輝いているように、一見みえることはあるけど、内実はそれほどに、違いはない。だったら処女詩集を出せば、それでもう、いいじゃないかと思う。まったくそう、思う。でも処女詩集を出しても、悲しいかな人生は終わるわけではないから、まだまだ続くわけだから、始めたものはニワカにはやめられない。ほかにやることも見あたらない。だから書き続けてしまうわけだけど、言ってみれば二冊目からは、とっかえひっかえの暇つぶし。だれもがみんなそうなんだけど、荒川さんの詩集を読んでいると、そこのところを隠さずに、アケスケに表しているから、ちょっと驚く。『空中のグミ』(グミは漢字なんだけど、朝の通勤電車の中で、auの携帯では、その漢字が見つからない)って詩集なんか、サスガという工夫がそこここに見えて、荒川さんの知識と、詩の技術が遺憾なく発揮されているんだけど、それでもやっぱり、というか、頑張っている姿が見える分、詩集を出すことの心の分岐点って、なんだろうって、思わずにいられなくなる。ことさら詩集を出すことに、価値を見いだすものではないけど、それでも詩集を出そうと決める瞬間って、オゴソカな気持ちになる。それが見渡すかぎり、草ぼうぼうの道であったと、してもね。

17

さらに、   松下育男

雑誌に載っている詩って、なぜか読み応えがない。次から次へ読み進んでも、たいていほとんど引っかかってこない。雑誌って、詩にとっては大切な発表の場であることはまちがいないけど、読者には、個々の詩のよさがなかなか伝わってこない。なんだかんだ言っても(って、だれも言ってないけど)、詩にとってイチバン居心地のいい場所は、詩集だと思う。読者に届くためには、それなりの長さの助走が必要だし、きちんとした雰囲気づくりをして、そののちにやっと本質がわかってもらえるのかなと、思う。詩集だったらそれができる。それにくらべて雑誌のほうは、まったく詩風の違う得体のしれない作品に挟まれているから、自分のよさをニワカに示すことは難しい。読者のほうだって、いったいどんな読み方をしたらいいのかと判断に迷っているうちに、あれよあれよと次の作品になってしまう。もし君に、たっぷりとした時間と、心に余裕があるのなら、雑誌の詩も、一気に読んでしまわないで、一日一編ずつ、ゆったりと読んだほうがいい。唐突に朝、こんな話を通勤電車の中で始めたのも、荒川さんが詩集の作り方を詩に書いていたのを、読んだから。長年詩を書いていると、たいていの人は、詩の中に引用が増えたり、だらだらと詩が長くなったり、詩そのものについて考え始めたりする。でも、詩集における詩の並べ方なんてことを詩にした人って、今までいなかったから、僕は少なからず驚いたよ。挙げ句に最近は、僕自身が、詩のことばかり面と向かって書き続けているよ。

18

さらに、   松下育男

何を書こうとしているのかはわかる。でも、いったいどこがいいのかわからない詩というのは、確かにある。そういう詩は、自分にとっては意味のないものだとわりきってみても、世評がとてもいい場合には、なぜなんだろうと、多少悩む。正直に言えば、(いままで正直じゃなかったわけではないけど)、いったいこの詩のどこがいいのだろうと、首を傾げたくなる詩は、一冊の雑誌の中にも山ほどある。以前にも書いたことだけど、自分がわからないから、ほかの人もわからないだろうと思うほど、ぼくは不遜(ふそん)じゃない。だから、自分に欠けたところがあるのかなと、そんなときにはあきらめるようにしている。あるいは、読みの深さが足りないのかと思うから、そんな詩でも、目の前にあれば丹念に読む。でも、内容がわかってもよさのわからない詩って、こちらがいくら謙虚に向かっても、依然としてわからない。こんなに狭い詩の世界なのに、なんとも情けないことよと思いつつも、どうしようもない。だから、そのうち詩人が集められて、詩の共通一次試験でもあって、問一、「Yさんの詩の、どこがそんなにすばらしいのでしょう」なんて問題が出てきたら、廿楽さんや岩佐さんが容易に解答を書いているそばで、ぼくだけ白紙の解答用紙に向かって、脂汗(あぶらあせ)を流しているのだろう。

19

さらに、   松下育男

詩を読んでいて(1)ああだこうだ言う前に、理屈ヌキに面白い詩というのがある。それから(2)他の人の詩に比べて、比較的よく書けていると感じられる詩がある。また、(3)明確にここ、というものはなくても、なんとなく読んでいて心地よくなる詩というのもある。さらに、(4)特にまた読みたいとは思わないけど、こんなのは自分には到底書けないだろうというのもある。これらは一応、合格点。一方、(5)工夫も努力も感じられないありふれた詩というのがある。また(6)昨日のブログで書いた、一見立派な詩には見えるけど、どこがいいのかはっきりしない詩というのもある。一冊の詩誌にはこれらが混在していて、だいたい(1)が3%、(2)が5%、(3)が5%、(4)が5%、(5)が75%、(6)が残りの7%といったところ。もちろん雑誌によって構成比は違うけど、おおむねこんなところ。長年詩を読んでいるけど、時代によってこの比率が大きく変わるなんてことはない。そういうふうに、詩を書く人たちは、マスで了解しているみたいだ。不思議だ。だれかが振り分けているみたいだ。時代によって変わるのは、詩人の名前だけ。だれが書いたって、作品にとってはどうでもいい。それから、荒川さんが人と違っているのは、(1)の段階から、次に(5)を装ったこと。なんでそんなことをしたくなったのだろう。(2)や(3)や(4)にいることが、耐えられなかったのだろうか。あるいは、(5)の中にこそ、自分の詩の可能性を、見いだしたのだろうか。

20

赤くなるまで      荒川洋治

(略)

宇野ひろ子には、詩人である夫との間に、中学一年の娘がいる。娘は国語の時間に先生が「詩人は貧乏だ」と言うのを聞く。年頃だけにもとよりけむたい自分の父親の、髪をばらし夜のよなかに外を歩いたり心を打ち明ける友人の一人もいないためかおのれを相手に(いま詩人とことばには何のつながりもない)などうそぶいて借り物のすすきの穂をなでるようすなど見るにつけ、父親が詩人であることをはずかしく思っている。

(略)

「赤くなるまで」について   松下育男

詩集『渡世』の中の「赤くなるまで」の中のほんの一部だけど、PCに全部を打ち込むのは大変なので、ヤメ。興味のある方は、詩集で読んでください。ところで、わたしの娘たちにも中学1年の時はあったけど、彼女たちが当時、詩人である父親を恥ずかしく思っていたかどうかは、知らない。そんなこと聞いたこともなかったし、というか、わたしのことは勤め人として見ていただけで、たまに詩を書くことはあるみたいだけど、だから何?というくらいにしか感じていなかったのだろうと思う。この詩の中の中学一年の娘が恥ずかしいと思っているのは、(1)貧乏だというイメージで見られるから、(2)髪がばらばらだから(3)夜中に特に用もないのに外を歩くから(4)心を打ち明ける友人がいないから(5)わけのわからない独り言を言うから(この詩の中の独り言は深い)(6)借り物のすすきの穂をなでているから、ということになる。(6)の意味がちょっと不明だけど、あとはたしかに嫌われる要素になる。もちろんこれがすべて荒川さんのことを言っているわけではないけど、かなり、自身を揶揄しているような雰囲気は感じられる。でも、中学一年の娘を持っている世の父親は、詩人に限らず、多くは髪に時間をかけることはないし、心を打ち明ける友人なんて、いない。とすると、(2)と(4)は、詩人ゆえの理由ではないように感じる。ほかの理由にしたって、たいていの詩人は、(3)も(5)もあてはまらない。だって、用もなく外にはいかない。外に行くのはコンビニに買うものがあるからだし、独り言なんて、無意識に口に出ることで、理路整然としているわけがない。(6)は追求するほどのことではなく、そうすると問題は(1)ということになる。昔は知らず、今の詩人はほとんどが職に就いている。「生き事」の同人にしても、阿部さんは歯医者だし、岩佐さんも廿楽さんも佐々木さんも、それからわたしも、勤めに出ている。見た目には、詩を書かない勤め人と、なんら変りはない。見た目だけじゃなくって、心持だって、違いはない。誰しも勤め人としての日々のプレッシャーは感じているし、いやな思いをしながら、多くの時間を我慢したのちに、詩に立ち向かっている。なぜかって?だって、詩だけで、あるいは物を書いて生活を成り立たせるなんて、とても無理だから。ぼくはもう40年以上も詩を書いているけど、今までに詩で稼いだ金なんて、たぶん、今の勤めの一週間分の給料にも満たない。だから、物書きでやってゆこうなんて、初めから考えもしなかった。選択肢にはなかった。この詩の中では、中学一年の娘が詩人である父親を恥ずかしく思っているけど、でも、ほんとうに恥ずかしいと思っているのは、たぶん詩人である父親なんだ。詩を書いたり読んだりすることって、とにかく恥ずかしい行為のように感じる。どうしてだろう。未だに、電車の中で詩集を読むのは、すごく勇気がいる。せめて人からさとられないようにと、行かえ詩のページを慌ててめくって、散文詩を読んだりしているんだぜ。

21

話           荒川洋治

尾崎紅葉は明治32年の冬に
文学口演なるものを
日本で最初に行った
最初だから 目をのせるだけの
小さな椅子が並んだ

(後略

「話」について   松下育男

11月になったっていうのに、昼間は結構暑くて、それなのに日が沈んだら、今度は冷たい雨が降ってきた。まったく奇妙な星に、生まれて来たものだよ。ところで、『倫理社会は夢の色』や『ヒロイン』で、中年のやんちゃぶりを示した荒川さんも、40代になってからは徐々に、鎮静化していった。『渡世』『空中の茱萸』『心理』と、この頃には身の置き所を見つけたようだ。他の詩人とは違う道をたどってきても、結局落ち着くところに落ち着いた、そんな感じだ。なんというか、プロの詩になった、投稿詩からは遠くへ来た。そんな感じだ。今日の詩は、詩集『心理』の中からの一編。めずらしく短い詩なので、PCに打ち込めたけど、この詩にはいくつか、昔の言葉遣いが顔をだしている。たとえば「目をのせるだけの」とか「目をのせかえながら」とか。でもこういったモノの言い方って、荒川さんの読者にとってはもう驚きではない。少し上滑りしている。むしろ、もうこういうのはきっぱりとやめて、普通に語ったほうがいいと思う。ところで、尾崎紅葉が初の文学口演をしたってとこから詩を始めているとこなんて、さすがに目は狂っていない。口演といえば、先日清水哲男さんと話をしていて、携帯の文章で頻繁に出てくる(笑)(カッコワライって読むのかな?)は、もとは対談や座談会を雑誌に載せるときに使われたものだと、教えてくれた。たしかに、(笑)があるとないとでは、対談も携帯メールも、表現力はだいぶ違ってくる。こんな表現のおまじないがいくつもあったら、苦労して詩なんか書かなくても、すんだのにね。

22

スーラ、理解を       荒川洋治

そばがき、というものを
はじめて食べた
「蕎麦粉を熱湯でかきこねたもの。
汁をつけて食う」
どうです、スーラ
日本はそばのうえにも
一面の
ためらい傷
烏黒の刀身は身をほそめ
いまや土の中で振られている
スーラ、理解を

(略)

「スーラ、理解を」について   松下育男

なんか、すごく寒い。まだ11月になったばかりだというのに、りっぱな木枯らしが吹いている。で、今日は比較的初期の詩集、『あたらしいぞわたしは』の中の一編だけど、長いので初めの連だけしか引用しない。いい詩だから、読んだことのない人は、本屋へ行ってさっそく買ったほうがいい。この詩集は特に、一編一編に個性がある。そんな詩集って、あまりない。読んでの通り、この詩は「そばがき」(日本的なるもの)と「スーラ」(西洋的なるもの)の結びつきを楽しんでいる。というよりも、結びつきのなさを楽しんでいる。題もなるほど、気が利いている。1行目から4行目までは、いたって素直な描写。そこへいきなりスーラを出してきて、日本の食べ物の説明を始めるんだけど、詩だから、そうはまっすぐには進まない。「そばのうえにも」のあとに「一面の」が出てくるのはともかく、そのあとの「ためらい傷」というのが突飛。たぶん、「そばがき」の「がき」から「掻く」を連想し、さらにそこから「ひっかく」を連想して、そこから「傷」になったのではないだろうか。勝手な連想だけど、これが詩たるゆえん。「ためらい」は単に「傷」の飾り言葉。さらに次の行の「刀身」は、前の行の「傷」からの連想。「烏黒の」は単なる飾り言葉。次の行の「土の中」は、「烏黒」からの連想。つまり詩というのは、言葉の連想からどんどん言葉をつなげて行って構わないもの。でも、君が詩の初心者なら、ここで勘違いしてはいけないことがある。つまり、「言葉のつながりや連想」が、詩そのものではないということ。詩の魅力とは、その、つながった先の描写の見事さにある。そのことを、忘れちゃいけない。「ためらい傷」や「烏黒の刀身」が、どのようなつながりから発想されたのかは、どうでもいいこと。くどいようだけど、「連想」は単なる手段でしかない。だからどんなに無責任な「連想」も、許されるってわけ。重要なのはあくまでも、「連想」の行き着く先。その切実感と美しさに、すべてはかかっている。わかったかな?

23

春の野原の黒い島       荒川洋治

切れるから
両手でね、と
教えられてきたのに守れなかったのだ
男たちの中ではたらいてきた
こればかりの頬のきずにもわけがある
はじめて上になり
いきものの軽さをあつかった
寝に行く背中に二本の線を引き
私の水を見せ
このひとを産むようなすがたになって
ようやくなにかが
おさまると思える
それでも黒い土がぞろぞろと
脇へ崩れ落ち
緑野へもせりだして
うっとうしく色を変えながら固まってきた
あとは海の水がせまるのを
野中で待つばかりなのである

(後略)

「春の野原の黒い島」について   松下育男

相変わらず寒いよ。どうしちゃったんだろうっていう寒さだ。11月3日文化の日で、祭日だったんだけど、10月の決算があるから僕は出勤。かわいい国旗を立てたバスに乗って、はるばる会社に行ってきたよ。ところで、何かの正体をあらわさずに、そのものを周りから触れるようにして描く詩、というのがある。長い間詩を書いていると、なぜかこういった種類の詩が書けてしまうことって、ある。そんな状態になると、なんだか気持ちよく書けて、どんどん言葉が出てくる。ただ、普通の詩人の場合は、そんな時は危険な時。なにか浮っついているなと思いつつも、これも一つの詩であると、自分を説得し始める。結果は、もちろん無残な詩にしかならず、人様に見せられるようなものはできない。今日の荒川さんの詩も、同じように作られてしまったようだけど、荒川さんは才能があるから、それなりの詩にはなってしまう。でも、やっぱり、「これはいったい何を書いているのでしょう」という、謎解きの詩であることには変わりはない。どんなにうまく書いても、読んでいてそれほどに胸を打つものにはならない。で、今日の詩はいったい何を書いているかと言うと、言うまでもなく「性」。おそらく風俗の仕事に就いている女性を描いている。「男たちの中ではたらいてきた」というのは、「男と一緒に働いた」というのではなくて、「男を客にして、働いた」という意味。「はじめて上になり」というのは、行為の形そのものを言っている。「性」を描くことが、表現者にとってどれほど大切なものか、ということは、一概には言えないけれども、書き手と読者を容易に引き付ける、安易な麻薬であることに間違いはない。

24

白文Ⅰ       荒川洋治

(略)

つまり
政府のみなさん
私はあなたたちのかくれた
ファン
というわけ、です
総理大臣や官房長官や清水幾太郎や渡部昇一のことばに
よいことばはないか
胸をうつことばは
ないか
そのあたりをポイントに
日のくれるまでさがす

(略)

「白文Ⅰ」について   松下育男

ということで、本日の荒川さんの詩は、詩集『針原』の中の一編のうちの、ほんの一部。晴れやかにファンだと宣言しているこの政府は、鳩山民主党ではなく、自由民主党の頃のこと。でも、ここでファンだと言っているのは、あくまでも「保守愛国」の立場であって、民主党でも特段構わない。要は権力にたてをつかない、ということ。権力サイドのコトバに感動を覚える、ということ。地味な純文学の、さらに地味な作家の作品を読むように、権力サイドの言葉を読もうとしている。一般的に言って、主義、思想をまともに取り扱うには、詩は向いていない。しかし、詩に向いていないからこそ詩の中に取り込んでしまおうと、荒川さんは思ったのだろう。この文体なら、ご近所の出来事も、政治思想も、おなじ地平で扱えるんだよ、ということ。ナンデモアリ、ということ。荒川さんが保守だろうと革新だろうと、読者にはあまり興味はない。そしてここで宣言していることに嘘はないのだろうが、こんなふうに大きな声で言い放っている言葉を、まともに受け取ることはできない。真に、心の奥深くから出てきているものだとしたら、こんなに躊躇(ちゅうちょ)なく言えるわけがない。詩だから書ける。詩人としての言葉だから言いはなつことができる。つまりは、作品として見栄えのする主義思想でありたいとだけ、思っている。思い出すのはずいぶん昔、荒川さんに初めて会った時のこと。「自分は星菫派」だと、きっぱりと言いきっていた。そうではない、さらに深いものを持っているのだと答えてくれると信じて、僕は質問したのだった。あの言葉も今となっては、まともには受け止められない。すべてはスタイル。その覚悟で、人生をやってゆこうと決意していたのだろう。

25

さらに、   松下育男

アメリカの本社からメールが来ていた。「サマータイムが終わったので、毎週木曜日の電話会議は、日本での開始時刻は今週から午後9時ではなく午後10時になります」、だと。「おいおい、自分のとこの開始時刻を一時間早めようとは思わなかったのかよ」と、深夜にさびしくつっこんでいたけど。それでも電話会議には律儀に出席して、市橋容疑者の整形後の変な顔を思い浮かべながら家に帰ってきたら、当然のことながらもう零時。すでに違う日になっていたよ。郵便受けを見たら現代詩手帖から、「今年の収穫」のアンケートが来ていて、なぜか小麦の収穫を思い出して、鎌を手に詩集の頭を刈ってゆく姿なんか、思い浮かべていたよ。昨年の暮れから出された詩集で、優れたものっていっても、ニワカには思いつけない。トシをとってくると、2年前や3年前も、つい最近のように思えてしまう。この土日にしっかりと、詩集の奥付を見て、恥をかかなようにしなければ。詩集を読むついでに、本箱の整理でもするかな。毎日のように送られてくる詩集も、あまりにひどいものはすぐに捨ててしまう。それでも本箱に入りきれない詩集は、すでに積み重なっていて。だから評価の水位をあげて、またたくさんの詩集を捨てなければ。詩集を出した人のことを考えると、たしかに申し訳ないと思う。もちろん誰が悪いってわけじゃない。そういえば昔、あることがあった後で、「悪いけど、送ってもらった詩集が見あたらないからまた送ってくれないか」と言ってきた著名な詩人がいたっけ。さすがに、捨てたからとは言えなかったんだね。話はかわるけど、このところ荒川さんの詩を引用して、勝手な文章を書いている。というのも、荒川さんの詩って、どれもこわくなるほどに正直だから。正直になるって、表現者にとってはすごく難しくて、勇気のいることなんだ。詩のことを考えるには、だから荒川さんの詩は、最適だと思う。だって、奥深く掘りこんで行かなくても、詩の本質が空の下に、むき出しになっているんだもの。

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