2023年12月22日(金)向いている仕事とは何か
金曜日の朝だ。寒くなった。昨日も留守番だった。『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)を朝方読み終わって、あとがきの丸山真男の文章もすごいな、と思って、それから午前中なのにだるくなった。ソファーに寝ころんでいた。目はさめているのだけど体が動かない。点ちゃんに餌をあげる以外は、夕方までなにもせずにいた。
ところで、ぼくは若い頃から極度の緊張症だった。自意識が過剰で、自分でもいやになるほど気が小さい。無口で人見知りだった。だから、学生の頃は友人もほとんどいなかった。ひとりでいる方が気を遣わずにすむから、ひとりで時間をつぶしていた。詩を書いていた。でも、そのうち学生であることは終わるし、大人になったらどうやって生きていけるだろうと、悩んでいた。
だから勤め人なんて決してできないと思っていた。人との折衝なんて無理だし、自分のような無口な人間がひとりで一生こつこつとできることは何かないだろうかと考えていた。
でも、詩を書いて生活するなんて不可能だということも知っていた。
だから働かなければならず、大学まで行かせてもらった親にも申し訳ないし、だからと、仕方なく勤め人になった。
勤め人なんてやれるわけがないと思っていた、その勤め人になった。
向いていないから、長続きしないだろうと思っていた。会社に行けば、違和感だらけだった。逃げ出したかった。
ところが、それでも行くだけは行っていたら、向いていないと思っていた日々の仕事では、もちろんバリバリ働くようなやる気満々の人にはなれないけれども、自分なりにやれることはあった。手元の仕事に集中することはできた。
また、人と話してみれば、思いのほか自分と似たような感じ方を持った地味な同僚もいた。
さらに、予算を作る仕事に長年携わっていると、ものを作りあげる過程を学ぶこともできた。
外資だったので、下手くそな英語で話をしているうちに、日本語のこともより考えるようになった。
いやいやながら、数々のプレゼンテーションをこなしているうちに、人前で話をするすべを知った。
つまり、よく言われることだけれど、向いていないと思っていた仕事に就いたことによって、結果として、自分にできることの範囲が広がったことになった。
定年になり、勤め人をやめて、また詩を書き始めた時に、会社で学んだことが多く役に立っていることに気がついた。
詩は決してひとりで学んで書くだけのものではないと、知った。
人に理解してもらう文章の書き方や、人に語りかける喜びなど、会社で教えてもらったことだった。そしてそのスキルは、詩に限らず、ものを書き、語ることの根本にあるものだった。
長く会社に勤めていて、途中、人の育成もやっていたから、いろんな人を見てきた。たまに、どう考えてもこの人は勤め人は無理だろうという青年も確かにいた。そういう人はやはり一年も経たずにやめていった。
だから、人それぞれではあるけれども、自分が向いていないと思っているものの中にこそ、自分の可能性が潜んでいるというのは、決してありえないことではないし、ともかく試してみることは、してみる価値はあるのではないかと、ぼくは思う。
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