フランス外人部隊を2年で脱走した話#第2話

渡航準備。そして出発!

フランス外人部隊に興味をもってからはネットを駆使してフランス外人部隊についての情報を集めました。なかでも役に立ったのがTwitterです。外人部隊に所属している隊員は活発にTwitterでつぶやき情報を発信しています。彼らのTwitterを読み漁り情報を集めわからないことはDMを送り質問したところ快く回答をいただきました。その彼に実際にフランスで会うことはできませんでした。ちあみにですが彼は現在ウクライナの外人部隊にいるみたいです。またフランスの主要都市には外人部隊の募集事務所があるのですがそこにも英語で連絡を取ってみました。私は目をICLという目にコンタクトレンズを入れる手術で矯正していたためこれが問題になるか知りたかったからです。英語のテンプレート回答みたいな役に立たない情報しか得られませんでしたが・・・。担当者は英語が苦手だったみたいです。

さて、いざフランス外人部隊の試験は南フランスにあるオーバーニュで行われます。渡航費と落ちた際の帰国費用はすべて試験を受ける個人が負担しなければなりません。日本人はほとんどの場合受かるとの情報から絶対に受かると踏み片道分のチケットを15万円ほどでエクスペディアで購入し日本を旅立ちました。東京からフランス行きの便のチェックインをしている際にコロナ蔓延防止の入国規制のため到着後に空港で入国を拒否される場合があるとチェックインしてくれたエミレーツ航空のお姉さんに言われ同意書に署名しました。渡航前から不安にさせてくれるものです・・・
飛行機の天井にはまるでちょっとしたプラネタリウムみたいに夜空のようなイルミネーションがありきれいでした。ほかの乗客が配食の時間外にビールを頼んで飲んでるのを見て自分も真似して頼んでみました。格安航空以外ではビールなどのドリンクいつでも無料でもらえるみたいです。
ビールを飲みながら映画を見てるうちにいつか寝てしまいました。

フランスに到着初日からアクシデントに見舞われる

フランスのシャルルドゴール空港に到着したのは大体午後の2時か3時ごろだったと記憶しています。
到着しパスポート検査を受けた後すぐにPCR検査をうけました。空港のあちこちに仕切りが設けられ白い防護服のようなものをきた人たちがたくさんいて物々しい様子でした。検査自体は綿棒を鼻にいれられたのちに待機所で係員に呼ばれるまでしばらく待つというシンプルなものでした。
事前情報で外人部隊の募集所は24時間受け付けているがあちらも人間なので夜中にいったときはめんどくさがられるので昼間に行くとよいとの情報を仕入れていました。今からでは少し遅くなってしまいそうです。なので今夜はフォルドノジャン要塞近くのイビスホテルにて一泊することにしました。
ホテルを決めたあと問題はどうやってホテルまで行くかです。 
フランス語はもちろん一切わからないので電車の利用は少し不安でした。なのでトラブルを避けるために少々値は張ると予想していましたがタクシー使うことにしました。疲れていたのもあってできるだけ早くホテルについて眠りたかったのです。
タクシーは探そうと空港の外に出る前にアラブ系の男にタクシー?とつたない英語で声を掛けられクレジットカードと料金メーターは使えるかと聞くとOKとのことだったので彼のタクシーにのることにしました。

フランス詳しい方ならすでに勘づくかと思いますが私はここで違法に営業しているタクシー(通称白タク)に乗ってしまったのです。

もちろん料金メーターなんてありませんし明らかに高めの金額を吹っ掛けられました。タクシーのなかでネットでフランスのタクシーについてしらべこの男が違法白タク運転手かもしれないと推測した私はこんなやつに法外なお金を払う気持ちもなかったため目的地を変更して空港近くの街に降りると伝え、そこに到着後すぐにクレジットカードで払おうとしましたがノー クレジットカードなどと男はのたまいました。 
もちろん違法タクシーがクレジットカードでの支払いを受け付けれるはずもありません。短い距離とはいえ乗せてもらったため少しでいいから料金を支払おうとしたところ当初の目的地までの分の料金を請求され私は途方にくれました。手持ちは日本円で1万円札1枚とあとは数千円。私は男にATMまでつれていかれクレジットカードのキャッシングでお金をおろすようにと言われました。この男は普段このようにして稼いでいるのでしょう。見知らぬ土地でアラブ系のフランス人でもない男に金を請求されておじけづいた私は警察を呼ぶと脅されていたのもありいわれるがままにお金をおろそうとしましたがたまたまATMが私の持っているカードに対応していないのかお金をおろすことができませんでした。
しょうがないので男にもっている日本円をすべて渡したうえでその日本円の価値がユーロでいくらになるかを説明し立ち去ろうとしました。
そのアラブ違法白タク運転手はそれであきらめず歩き去ろうとしている私に警察を呼ぶぞなどと言いながら追いかけてきました。私はここら辺で少し冷静になりこの男はそもそも警察を呼べるわけがないことに気が付きました。
ですがとりあえずこの男をなんとかふりはらわなければいけません。
手じかにあった建物の写真がたくさんショーウィンドウに飾ってあるお店に入ることにしました。その店で白タクにつかまり付きまとわれていることを説明したところその男がいなくなるまで店でかくまってもらうことができました。私はお客でもないのにコーヒーまでいただきたったいま人に騙されたばかりでしたが人の優しさに感動なんてしていました。

そのお店はどうやら不動屋さんだったみたいです。後程正規のタクシーをよんでもらいなんとかホテルまでたどり着くことができました。

この写真がパリのフォルドノジャン要塞近くにあるイビスホテルの写真。イビスなどアコーホテルズ系列の会社が世界中にあって一定以上のクオリティが期待できるためホテル選びに迷ったらとりあえずこの系列にしておけば間違いがない。ー

いざ志願!ケータイとここでお別れ

ホテルでは知人や当時日本に置いてけぼりにしてきた彼女などと電話していたと記憶している。(彼女とは新隊員教育で音信不通にしているあいだに愛想をつかされてブロックされた。)
クリスマスシーズンだったのでホテルの中をふくめた町中がイルミネーションやクリスマスツリーで装飾されていてきれいだった。フランスではクリスマスへの本気度が日本とは段違いと思ったのを覚えている。
翌日ホテルのスタッフのお姉さんにフランス語アクセントの英語で朝食を案内してもらいフォルドノジャン要塞へ向けて徒歩で出発した。肌寒く前日の雨でぬれた坂を緊張しながらIPHONEの地図を頼りに登って行った。
フォルドノジャン要塞 ここに写真を添付

フォルドノジャン要塞は名前通り中世の要塞そのままのところだ。
ほぼ四角形に石の防壁で囲まれていて外人部隊に志願する人はこの門を叩いて外人部隊としての第一歩を踏み出す。まあ実際のところインターホンがあってボタンを押すのだけど。
インターホンを押してしばらくするとフランス軍の小銃FAMASをもったアジア系と思しき軍人がでてきてフランス語でなにか言ってたけどもちろんフランス語なので僕は意味がわからなかった。英語で「Is this French foreign legion's recruitement cener?」(ここでフランス外人部隊の募集所ですか?)と聞くとここはフランス軍だから英語で話すなと結構強めの口調で言われたので面食らって「ウィ」と返しておいた。待つようにと言われ数分経つとロシア系と思しきほかの外人部隊兵がきて中に入れてくれた。お昼ごろと飯時であったためジェスチャーで飯は食べたのかと質問されたので「ノーというと」食堂までつれっていってごはんを食べることになった。なぜノーと言ったのかは覚えてないがホテルで遅い朝食を済ませたばっかりであったため全くお腹は空いていない。門を出て左にいったところの防壁のなかにある大きな部屋がフォルドノジャンでは食堂として使われたいてそこで初めてほかの志願者たちと出会った。彼らはごはんを食べている途中で皆黒いスウェットとジャージの下を履いていた。彼らの顔ぶれは白人、中東系、ラテン系と様々だがそのなかで一人だけ東洋人がいた。ヤクザみたいな顔立ちと目つきで軍人感のあるい怖い顔つきをしていた。その時の昼食で何を食べたのかは覚えていないがお腹が空いてない上に美味しくなかった。むしろ不味かったがコーヒーマシンからコーヒーを取るようにとうながされ温かいいっぱいをいただくことができた。フランス軍ではどこの食堂でもコーヒーマシンがあってこれが寒い中での生活で心の安らぎになった。そんなこんなで食べ終わると兵舎のなかにある志願兵用の待機室に案内された。そこには等間隔に椅子がならべてあり外人部隊の広報ビデオが常に流されているテレビと外人部隊で発行されているケピ・ブランという雑誌がおかれていた。その日は持ち物を検査されてケータイパスポートなど髭剃り歯ブラシ以外のすべてのものを没収されたと思う。鞄の中を検査されているときに当時の彼女からもらったラブレターのようなものが見つかって担当の韓国人らしき外人部隊兵に若干冷やかされたのを覚えている。
そのあとはただの待機時間だった。門を叩いてから正式採用されるまで膨大な時間をただ待機して過ごすことになるとはこのときは思いもしなかった。
ほどなくすると居室に案内され日本人だといって先ほどの東洋人が連れられてやってきた。なんと彼は日本人だったみたいでしかも僕と同じ元自衛隊だそうだ。幸運なことに僕はここで膨大な待機時間を共に過ごす話相手よき友達を早々に見つけることができた。彼はシャワー室の場所とトイレの場所およびその使い方などを教えてもらった。彼は私よりも数日早くそこに到着しているようでいろいろとフォルドノジャンでの生活について手ほどきをしてもらった。とはいうがほとんどは自分の面接の番を待つ待機時間などで終わった。

フォルドノジャン要塞での面接と身体検査

フォルドノジャンでは約1週間くらい過ごしたかな。内容は数回にわたる面接と身体検査などだ。面接については正直なところ書くまでもないが一応書いておこうと思う。
面接では入隊の動機や過去の経歴などを聞かれて英語で行われました。私がフランス語が全く話せないためです。英語もフランス語も話せない場合その志願者の出身国と同じ言語が話せる隊員が通訳として呼ばれます。私と同時期の志願した日本人隊員の通訳はその当時のフォルドノジャン要塞に日本人隊員がいなかったため同じ志願者である私が通訳として呼ばれて通訳を行いました。ほかの日本人隊員の体験談や現役隊員に聞いてみたところ通訳をつけてもらえずにほとんどコミュニケーションが取れない状況で面接を行い合格し入隊を果たした隊員も数多くいるみたいです。身体検査は兵舎の一階にある医務室で行われました。そこではフランス軍の女性医官とアジア系の外人部隊衛生兵(通称オクサン)がいて血液と血圧の検査、問診などが行われています。女医からの問診を受けている際にパンツを脱ぐように指示され陰茎と睾丸を手袋を履いた手で触られて検査されますので心の準備をしておいたほうがいいでしょう。僕は事前にネットで調べた情報によりすでに知っていたので少しどぎまぎするくらいで済みました。

ほとんどは待機時間

自分の面接が終わった後すぐに次のステップに行けるかというとそんなことはなくほかの志願者の面接が行われている間はただ待機部屋でほかの志願者とお話ししたり雑誌を見てるだけの待機時間でした。
私は英語が話せるフランス人の志願者からフランス語を教えてもらったりしながらフランス語の特徴的なRの発音に四苦八苦していました。フランス語を早く上達しないことにはフランスで仕事する以上どうにもならないためあがいていたのです。後々フランス語は時が過ぎるうちに勝手に上達するものだと完全にあきらめて一切勉強しないようになるのですが・・・(笑)
そんなこんなで一日中自分の名前が呼ばれることもなく終わった日もありました。

ひげを剃って帰らされたウクライナ人

そんなある日新入りが入ってきました。ひげが生えてカリフォルニアと刺繍の入った帽子を被ったウクライナ人です。彼は夜中に到着したようで朝になったら部屋にいました。新しい志願者はすでにいる志願者たちがしきたりや一日の流れを教えて面倒をみるのですが軍隊ではひげを毎朝剃らなければなりません。そんなわけで私は善意で彼にひげを剃るようにいってはさみと電気ひげそりを貸してあげました。彼のひげがすっきりしてしばらくするとIQテストのため呼ばれて別の部屋に消えていきました。
しばらくすると廊下から少し大きな声で話すのが聞こえてきました。例のウクライナ人とロシア語が話せる外人部隊兵が話していました。横にいた元イスラエル軍の少尉の志願者に通訳してもらうと彼はIQテストに落ちたようでロシア語で「ここで追い出されたらほかに行く場所がない」などと訴えかけていたようです。彼には非常に申し訳ないですがもしかしたら私がおせっかいをやかなかったらその立派だった髭をそることなくシャバにもどれていたかもしれません。私には彼がIQテストで落ちて速攻で追い出されていくなんて思いもしませんでした。外人部隊の選抜過程ではこのように周りの志願者が次々と落とされていくのを目の当たりにすることになります。ちなみにですがIQテストは簡単ですので日本人が落ちることはまずないと思います。

体力試験

選抜試験の本会場であるオーバーニュにある第4外人連隊に送られる前にフォルドノジャン要塞で体力検査が行われます。
オーバーニュに送って手を煩わせる前にできるだけふるい落とす仕組みのようです。聞くところによるとオーバーニュにはコロナ以前まで常に志願者であふれかえっていたみたいです。
体力試験には懸垂とシャトルランがあったはずです。ほかにもあったかもしれませんが覚えていません。
懸垂について最低回数4回などとネット上では書かれていたりしますが0回で受かっている隊員(これはストラスブルグで予備選抜を受けたハンガリー人の隊員の話しです。)や21回もできるのに落とされている隊員もいるため選抜の1要素に過ぎないようです。懸垂のフォームについてですが明らかに反動を使われて行わているものを1回としてカウントされるので自衛隊式懸垂みたいなハードルが高いものをやる必要はありません。
シャトルランは日本の学校で行われているものとほぼ同じ要領です。最低基準回数は12往復だったと記憶しています。正直いって外人部隊の体力の基準は自衛隊と比べてそこまで高いものではありません。訓練で行われる駆け足や腕立てに関しては自衛隊よりずっと楽です。腕立てのフォームが適当でも一回とカウントされるため自衛隊でいうと不正な腕立てだらけです。ですが外人部隊の障害物走では障害物のサイズが大きいものが多く身長が低い場合は大変苦労するかもしれません。
私の同期の日本人隊員は自衛隊の基準に照らし合わせてみると体力的にとても優秀な隊員でしたが新隊員教育で行われる障害物走で障害物を超えられず級外となっていました。腕だけの綱登りなど自衛隊では安全を考慮してあまり積極的に行われていない種目も体力検定の種目としてあり私と彼は全くと言っていいほぼ登れずに苦労したものです。新隊員教育の最後のテストでやっと綱登りをクリアすることができました。

当然のごとくそこまで厳しくない体力検査に私と同期の日本人(かとり)その他数十名の志願者は合格しオーバーニュに送られることになりました

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