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[書評…のメモ] コンビニ人間

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・エッセイスト として、
自らを定義しています。

先日「コンビニ人間」の書評を書いたのだが、
普段読まない小説ということもあって
意識的にメモを取りながら読み進めた。

通常はあまりメモは取らず、
読後感から書評を書くことが多いのだが。
(読むのが遅いから、読破までに
 思ったことをどんどん忘れそうで…)

結局は一本の書評にする上で
その多くはバッサリカットに
なってしまったのだが、 
そのまま消してしまうのも
忍びないと思ったので世に出すことにした。

あくまでメモだから
雑多に書き殴っているが、
書評には収まらなかった
思考の結果が ここには並んでいる。

ほとんど自己満足(あるいはメモの供養)
でしかないが、
もしかしたら 誰かに何かが
ちょっとだけでも引っ掛かるかもしれない。

↓ 以下、書評用メモ


コンビニ人間

主人公 古倉
アスペ気味
少女時代のエピソード
ある意味、その発想はなかった
エンジニアとしては多様な発想は大事

良くも悪くも先入観なく見れる人
常識に引っ張られない

他人のマネをして凌ぐ処世術
私もよくやる
そういうところは共感

自分のバイト経験 失敗
肉まん レジ打ち(値段読み上げ)

なぜコンビニエンスストアでないといけないのか、普通の就職先ではだめなのか、私にもわからなかった。ただ、完璧なマニュアルがあって、「店員」になることはできても、マニュアルの外ではどうすれば普通の人間になれるのか、やはりさっぱりわからないままなのだった。
(引用)

どう振る舞えばよいか迷う感じ
自身も思い当たる気がする
「自由にしていいよ」が困る感じに似ている気がする
ある意味マニュアル化されている方が気楽な感じもある

自分は人見知りだった
周りの影響を受けて、というか真似て人並みのコミュニケーションが取れるようになった。当時の周りが関西人だらけだったのも幸いした。

古倉がコンビニ人間なら、私は工場人間なのか。そうかもしれない。だが、私はそうは在りたくない。
私はこの仕事が嫌いだ。
でも、他の生き方が分からない。あるいは生き方を変える自信がない。

「中国語の部屋」を思い出す
表面上でしか判断することができない
人間なんて、所詮他人からは何を考えているかなんて分からないのだ

私も世間のいう「普通の人間」になりたかった
氏名からして普通じゃなかった
名字も名前も一度で正しく読んでもらったことはたった一度しかない

普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ。
(引用)
世界や歴史を見ても、ずっとそうなんだろうなと思う。多様性の時代といいつつ、「多様性を認めない」という選択肢は許さない。結局、「普通」である者が普通じゃない者を裁くのだ。

結婚 子ども
「普通」の人は遠慮なく土足で質問してくる。私もよく踏み込まれる。
死別や病気など、暗い事情があるなんて考えもしないのだろう。
時々思う「子どもは死にました」と答えたら、この人はどんな顔をするのだろうか、と。
私は同じことをしていないだろうか。
注意はしているつもりだが、実際にはわからぬ。だってその土足は、きっと無意識下でのものだろうから。

天職というものは他人からはよく分からないものなのだろう

最期はホッとした


メモはここまで。
お目汚し失礼しました。

お読みいただき、ありがとうございました。

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