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[書評] コンビニ人間

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・エッセイスト として、
自らを定義しています。

私は読書好きではあるが、
普段は小説の類を読まない。

読むのが遅いのに加えて
脳の容量が他人より小さいため、
スキマ時間での読書では
前の内容を覚えていられないからだ。

そんな私が久方ぶりに
小説を手に取ったのは
推しの noter さんの記事に触れたからだ。

思いのほか読みやすく、
私の脳みそでも読破できた。
ボリューム的にも さほど長くなく、
私にとってはちょうどよかった。

…が、読みやすさとは対照的に
読んでいて、読み終えて、
様々なことを考えさせられた作品でもある。


工場人間

私は小説にせよマンガにせよ、
登場人物に感情移入することが多い。

本書においては、半ば必然的に
古倉と自分を重ねながら読んだのだが、
読み進めていくうちに
こう考えるようになっていった。

「彼女が『コンビニ人間』ならば、
 さしずめ私は『工場人間』か」

さすがにケンカを止めるのに
スコップで殴りかかる発想はないが、
私も古倉や白羽のいうところの
「普通」ではない部分が多い気がする。

私は幼い頃から、ずっと
「普通」というものに
憧れてきたふしがある。

まずもって、
苗字も名前も「普通」じゃない。
三十数年の人生の中で、
フリガナなしに一発で姓名を
正しく読まれたことは
たった一度しかない。
(ちなみにその方は体育の先生であった)

今のように個性的な名前を持て囃すような
風潮ではなかったから、存在しているだけで
異質であるような気がして嫌だった。
(未だに自分の本名は好きになれない)

趣味趣向から ものの見方や考え方も、
自分の周りで「普通」とされる人たちとは
どこかズレている感覚があった。

それでも学生時代までは
気の合う友人を選んで
付き合えばよかったから、
あまり自分を矯正しようと
考えはしなかった。
「普通」から ズレたまま生きてきた。

だが就職して、会社という名の
組織の一員となると そうはいかない。
そうなったときに私が行ったことが、
まさしく古倉と同じように
「会社員」という生き物に
生まれ変わることだった。

私の職場は「工場」であったから、
周りにいる「工場勤務の会社員」から
教わったマニュアルや手順に従って、
彼らの立ち居振る舞いを学んで、
自分を「会社員」に直していった。

今では入社当時の私を知る人間も
減ってきたから、
私が「『普通の』会社員」だと考える人も
さぞ多いのだろうな、と思う。

「普通の人」たちの無神経さ

本書を読み終えて 一番印象深かったのは
「普通の人間っていうのはね、
 普通じゃない人間を
 裁判するのが趣味なんですよ。」

という白羽の言葉である。

私も古倉や白羽と比した度合いは分からぬが、
少なからず「普通じゃない」人間だから
この言葉には考えさせられるものが多い。

私は学生時代、いわゆる
「陽キャ」「リア充」のカテゴリには
属していなかったから、
異性と交際したことはなかった。

妻と出会い結婚したのは、
三十路の手前である。
不惑に近づきつつあるが、
今も 私たち夫婦には子供はいない。

そんな私に、周囲の「普通の人間」たちは
きわめて無邪気に言ってきた。

「彼女はいないの?」
「もしかして童貞?」
「まだ結婚しないの?」
「子供はまだ作らないの?」

私の答えが「普通」でないと分かると、
彼らは決まって嘲笑してくる。
そして説教や自慢話が続く。
これが白羽の言った
「裁判」というものだったのだろう。

だが 私は「無神経だな」と思うと同時に、
「この人たちは個人の背景なんて
 何も考えていないんだろうな」
と心の中で半ば呆れる。

もし不躾な質問の答えが
「私は同性愛者なので」
「妻は病気で他界しました」
「子供は交通事故で亡くしました」

といったものだったら、
そのニヤニヤ顔はどうなるのだろうか。

(事実に反して)そう答えてやろうと
何度考えたことか分からない。
意趣返しなんてものではなく、
純粋な好奇心からである。

「普通の人間」たちに、そんなことは
想像もつかないのかもしれない。
だって、それは
「普通じゃない」ことなのだろうから。

ただ、その反面では こうも思う。
「自分は同じようなことを
 無意識に言ってはいまいか?」

一言一句に神経を尖らせていては
とても身がもたないから、
軽口をいうこともあるだろう。

そんなときに、自分があれほど
辟易している無神経な発言を、
自身が投げかけてはいないだろうかと。
残念ながら、無意識の発言に
自信は持てない自分がいる。

まとめ

読み始めたばかりのうちは
「自分もコンビニでバイトをしたよな。
 懐かしいなぁー…」
などと気楽なものだったが、
読後感に楽しさは微塵もない。

私の胸に残ったのは
" interesting " 的な面白さと、
自問自答の跡だった。

本書においてコンビニの要素は、
あくまで媒体に過ぎない。

本書のテーマは
「普通とは何か」
という、問いかけなのではないだろうか。

世界中のそこかしこで
「多様性」が叫ばれる今の時代、
教科書の題材に取り上げてもいいくらい
考えさせられる作品である。
…授業で扱うには重たすぎるかもしれないが。

こんな人にオススメ!

・「普通とは何か」を考える人
・「普通」でないことに悩む人
・「自分は普通だ」と考えている人

こんな人には合わないかも…

・明るく楽しい物語を読みたい人
・「普通」と比べられることに疲れている人
 (感情移入しがちな人は特に)

お読みいただき、ありがとうございました。


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