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健康マインド(七五三のはにかみ❗)高浜虚子と河東碧梧桐

正岡子規の後継者二人。高浜虚子と河東碧梧桐❗

まず河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)。
「赤い椿白い椿と落ちにけり」の一句が有名です。

自由律と呼ばれる今までの定型音律を破壊して鮮烈な調べを作った❗

🔴「空をはさむ蟹死にをるや峰の雲」

「思わずもヒヨコ生れぬ冬薔薇」

「ひたひたと春の潮打つ鳥居かな」

「弟を裏切る兄それが私である師走」

「曳かれる牛が辻でずつと見廻した秋空だ」


高浜虚子の作品


「遠山に日の当たりたる枯野かな」

🔴「去年今年貫く棒の如きもの」

「道のべに阿波の遍路の墓あはれ」

「波音の由井ガ濱より初電車」

「子規逝くや 十七日の 月明に」

高浜虚子は子規が没した1902年に俳句の創作を辞めたが、1913年俳壇に復帰→碧梧桐に対抗するためと言われる。
その時の作品が「春風や闘志抱きて丘に立つ」です。
それ程、親しくもあり反目もある二人でした。

 (左)河東碧梧桐・(右高浜虚子)

二人は正岡子規と同郷の愛媛県松山市生まれです。
子規は(与謝蕪村)を評価していました。 
蕪村の俳句
「さみだれや大河を前に家二軒」と、
松尾芭蕉の作品
「五月雨をあつめて早し最上川」の作風の差に言及した評論があり、蕪村の俳句の方が(情景が一瞬で浮かぶ!)と評価します。 
(写実)が基本でその切り取り方に情感を込める方法論でした。それを継いだのが高浜虚子で、河東碧梧桐は生活の情感をそのまま言葉にした、と比較されていますが、正直私にはよくわかりません。

今、何が心に刺さるかで決めると、🔴の句でした。
続く




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