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【ジャーナリズム】“メディアごっこ”にならないためのプロ意識と倫理観

「一億総メディア時代」という言葉がある。

勘のいい方ならすぐピンとくると思うが、要はSNSの台頭によって誰もがメディアを運営できる時代になったということである。

認知度の高い言葉ではないと思うが、私自身この言葉を初めて知ったときは「言い得て妙だなぁ」と感心させられた。

いつ頃から「一億総メディア時代」という言葉が世間で口にされたのかはわからないが、2016年に出版された「ガケ書房の頃」という本には既に一億総メディアという言葉が記されている。該当文を引用してみる。

ここ数年、本を読む人や買う人が減っているのに、本を作りたい人、売りたい人が増えてきているという現象がある。一昔前は、一億総アーティストとか一億総評論家などと世間では謳われたものだが、今は一億総メディアという感じになってきた。自明のことだが、これは誰でもメディアごっこができるSNSなどの手段が普及したからだ。

「ガケ書房の頃」山下賢二

「という感じになってきた」と書いているあたり、おそらくそのような言葉はまだ世間では口にされていなかったことが推測できる。

また、著者の山下氏は続けてこのように書かれている。

プロの仕事とアマチュアの仕事との差は、はっきりと存在する。しかし、原石となるアイデアは、アマチュアが手段を手に入れたことによって、より具体的に広範囲に世に放たれる時代になった。ただ、流行りの出版物をアマチュアが模倣して世に放つことほど無意味なことはないと思う。

同上

この記事を読んでくださっている方たちの中にも、実際に自分でnoteに記事を書いている、またはIsntagramやYouTubeなどでコンテンツを発信しているという方も数多くいらっしゃると思うが、なかなかにドキッとさせられる言葉ではないだろうか。


そこで考えたいのが、メディアごっこにならないためのプロ意識と倫理観とは何であるか、である。

メディアに携わるプロというのは「人様からどう見られているか」というのを、自意識過剰という意味でなく、きちんと論理的に考えられる人だと思う。

正確かつ有意義な情報を発信するという倫理観も、そこから生まれてくるものだろう。

身の上話をすると、私も少し前まで地方のインテリアメーカーの広報として、自社のWebページの運営に携わっていたのもあって、曲がりなりにも”メディア”にコミットすることは多かった。

当然であるが、そのようにメディア運営に携わっていく中で、この本で言うところのプロ意識(プロになる、プロとはどうあるべきか考えると言うのか)は意識していたつもりだった。

ただ、今考えればそのプロ意識も「エセ・プロ意識」としか言えない稚拙なものでしかなかった。

当時の自分が考えていたこと、というか”考える”以前に”感じていた”ことは、「人様からどう見られるか」を考えることで自分が本当に追求したいこと・伝えたいことが書けないといったもので、結局のところ自意識過剰に留まっていたように思う。

要は”きちんと考える”というレベルにすら到達できていなかったのだ。

しかし、その会社も数ヶ月前に退職し、メディア運営における「プロ意識」を考える必要はなくなった。考えるのはとにかく次の就職先である。

ただ、現在もこのように”メディアごっこ”に現を抜かしている私である。往生際が悪いことこの上ない。そんなことしてる暇があったら就職先を探せと言うものである。

とはいえこのnote、どうせやるなら出来るだけ多くの人に見てもらいたいし、タメになったと感じてもらえたら多幸であると思っている。

それはある意味、ごっこであったとしても、メディアを運営する側の責任だろうと私は考えている。たとえ自己満足であったとしても。

そうなると結局、「プロとはなんぞ」「アマチュアとの違いはなんぞ」「ごっこにならない方法とはなんぞ」とあくせく考えることになるわけである。

一億総メディア時代も、楽じゃない。

メディアごっこにならないためのプロ意識と倫理観を考えると殊勝に書いてみたものの、ただの愚痴になってしまった。

タメになればいいと、思ってる。

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