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映画「無名」のエピソードを二つ、調べてみた - 江小姐 - 大山公爵

トニー・レオン(梁朝偉)とワン・イーボー(王一博)の主演映画「無名」に描かれる時代を知りたくて、少しずつ資料を探して読んでいる。

中国映画「無名」(英題: Hidden Blade)
監督 程耳 Chen Er
本国公開年 2023年 日本公開2024年5月

この作品の時代背景をもっと理解してから映画を見てみたい、と思うようになった。当時の歴史の勉強は簡単にはいかない。ある程度整理がついたら書いてみたいと思うものの、けっこう時間がかかりそう。

なので「無名」のエピソード二つについて簡単に書いてみることにした。ネタバレになるため、映画をご覧になっていない方はできれば先に映画を見てから、記事をちょこっと見ていただければ、と思います。


江小姐(ジャンさん)のエピソード

「無名」のパンフレットに載っているあらすじによれば、この美人スパイの運命について、何主任(トニー・レオン)は密かに彼女の命を助け、代わりに日本要人リストを入手したことになっている。

このパンフレットの説明はたぶん違う、と思っている。彼女は何主任が自分の命を助けてくれると信じ、連れて行かれた先で処刑されたと思う。

女スパイの彼女は、この映画中では唐部長の殺害に失敗し、囚われて何主任から尋問を受ける。
渡部は彼女を助けたくて何主任に相談をするが、何主任は彼女の処刑日は今日、その執行について汪先生の署名もあると伝える。彼らには選択の余地はない。

車の後部座席に座る何主任(トニー・レオン)の思い詰めた眼差し。銃声。彼の涙。そして真っ赤なドレス姿の江小姐の涙。

場面は変わり、江小姐から返風呂敷包を何主任が開くシーン。彼の脳裏に「助けてくれてありがとう」という江小姐の言葉が蘇る。

何主任は、江小姐を助けるそぶりで連れ出し、処刑場に連れて行ったはずだ。トニーの重苦しい涙には、自責の念も、哀惜の念も、込められていると思う。

江小姐のモデルとなった実在の女性、鄭蘋茹テン・ピンルーについての小説を図書館で借りて読んだ。「女スパイ鄭蘋茹テン・ピンルーの死」橘かがり著。江小姐ジャンのモデルとなった実在の女性の母は日本人で、日華混血の美しい女性。

小説の中に、実行役が彼女に悟られないよう買い物に行くと装って彼女を処刑場に連れ出す場面がある。

また、映画の中でトニーとイーボーが働く日本の特務機関(通称ジェスフィールド76号)を下支えした晴気慶胤少佐が、手記「上海テロ工作76号」を残しており、彼女の最期について伝聞を記した箇所もある。実際に晴気少佐も、彼女の正体がわかっていても助けてやりたいと考え、相談したことも記されている。

この手記は国会図書館のデジタルコレクションに入っていて、個人登録申請が通ればオンラインで無料で読めるので、ぜひ読んでみていただきたい。下記のリンクを辿ったページの下の方に、国会図書館のリンクボタンがあり、それをクリックすると該当資料のデジタルコレクションのにたどりつける。彼女の最期について書かれているのはp.186。

資料1 「上海テロ工作76号」晴気慶胤著。影佐機関の元少佐の手記。ジェスフィールド76号の立ち上げから終焉まで活写されている。

資料2 「女スパイ鄭蘋茹テン・ピンルーの死」橘かがり著。
処刑される美人スパイ江小姐ジャンのモデルとなった実在の女性を描いた小説。

手記や小説を読んでも、この時代を知るには圧倒的に知識が足りない。時代を知るために必要な知識を補ってくれる素敵な資料を見つけたので、次の記事で書けたらと思う。

貴族院大山公爵のエピソード

この映画の中で、日本と国民党の和平交渉を決裂させる要因になった「貴族院の大山公爵が上海郊外で事故でお亡くなりになる」エピソード。映画では何主任(トニー・レオン)の暗躍が光るが、この貴族院公爵大山とは一体誰なのか。検索しても、それらしき情報には今のところ行き当たらない。

どうやら二人の実在の「大山」をミックスして映画用に創作したエピソードのように思われる。

ひとりは1937年7月7日の盧溝橋事件後、同年8月9日に起きた「大山事件」。戦火の拡大につながった事件だったという。

8月9日には、上海に常駐していた海軍特別陸戦隊の大山勇夫中尉らが殺害される事件が起きました。海軍からの要請を受けた陸軍は、現地に住む日本人の保護を目的に、上海などにおよそ30万の派兵を決定。日中双方が航空機による爆撃を行う事態となりました。

NHK戦争証言アーカイブスより

この人は海軍中尉で、海軍兵学校第60期卒業とWikipediaにある。だが貴族院や公爵の身分とは関連はなさそうである。

もう一人の大山とは、有名な大山巌の二人の息子ではないかと思う。
大山高(長男 海軍兵学校第35期卒業、海軍練習船の事故で若くして1908年に他界)、そして大山柏(次男 陸軍に入るが軍隊と肌が合わず学者となる)。

大山巌は、明治期の初代陸軍大臣で著名人。貴族院の大山公爵といえばこの人。長男が若くで亡くなり、次男の大山柏が貴族院公爵を継いでいる。だが彼の母は捨松(11歳で官費渡米、その後学士号を取得して日本に帰国。津田梅子の盟友)であり、学者気質を強く受け継いだようで、父の希望で入った陸軍になじまず、のちに学者となっている。戦時中に亡くなった事実もない。

ただし。この大山家の家紋は「丸に隅立て四つ紋」なのだ。大山巌のWikipediaページに情報がある。

映画を見た人なら、丸のないほうの「隅立て四つ紋」の形にピンとくるだろう。そう、「無名」の大山公爵の葬儀のシーンで掛けられていた、あの紋である。

(追記9/20)無名予告トレイラーにこの場面があるのに気づいた。映っていたのは「丸に隅立て四つ紋」。大山家説、ほぼ確定で良さそう。

というわけで「上海郊外で亡くなった」のは大山事件の大山中尉、「貴族院大山公爵」はおそらく大山柏氏を念頭に置いて、映画の重要なエピソードとして創作した、というのがどうやら妥当な線のようだ。

当時の上海には日本人の要人もたくさんいて、狙われることもあったというのはその通りらしい。近衛文麿の息子の近衛文隆は、当時上海にいたが日本に帰国させられている。近衛文隆は、スパイとなる前の鄭蘋茹テン・ピンルーと上海で恋仲だったと「女スパイ鄭蘋茹テン・ピンルーの死」に書かれている。

逆に、工藤美代子著「近衛家 七つの謎」にはCC団スパイ鄭蘋茹テン・ピンルーの立場を文隆が利用し、蒋介石との対話の糸口をつかもうとしたのだとある。いずれにせよ、この二人の関係は有名だったようだ。21歳で処刑された鄭蘋茹テン・ピンルー。彼女は上海社交界の華だった。戦争が起こらなかったら華麗な人生をおくっただろうに、と思わずにはいられない。





最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。