昭和の消えた職業

と言う動画を見た。
そのうち俺の幼稚園くらいでは、見かけた職業幾つもあった。

三助
俺が幼稚園の頃は、家風呂無かったので、銭湯に行っていたが、まだ三助はいた。
この頃は、まだ友達の家でも風呂が無い家は多かった。

電話交換手
俺が幼稚園の頃、まだ交換手いた気がする。
そして小学校低学年の時、市内通話は自動接続だったが、市外通話は交換手がいた。これは親が親戚宅に電話するのを見ていたから、ちゃんとした記憶である。

紙芝居屋
紙芝居小屋ではなく、自転車で回ってる紙芝居屋は、幼稚園の頃は確かにいた。
飴とか買わないと見せてもらえないのだ。最初の部分は、集まった子供みんなに見せていて、話が面白くなっていくところで、飴を売るのだ。
黄金バットを見たのは、確実に覚えている。

靴磨き
花見の時期とか、会場の公演のところで、靴磨きは確実にいた。
普段はデパートとかに靴磨きがいた。これは多分俺が大学に入った頃まで、居たはず。俺は大人びて靴を磨いてもらったことあるから。
また、横山やすし氏は毎日床屋と靴磨き行ってたと記憶している。

貸本屋
これも確実に小学校中学年までは、営業していた。俺は借りていたから、確実に分かる。
小学生だから、身分証明書などない。
だから学校名とクラス、住所を書いて、本を借りるのだった。
貸本屋のババアに、「うちのお父さんは、道に詳しいから、ちゃんと返さないと家に行くからね」と脅されて、本を借りていた。
親には、貸本なんて結核が移ったらどうすると怒られて、これからは借りなくなった。

産婆
幼稚園の頃、同じ町内に産婆さんがいた。走って出かけるところを見たから、産婆さんで自宅で出産する人がまだまだいたと言うこと。

電報配達員
幾つの時かは覚えてないが、小学校入る前くらいかな?
家に電報を配達員が持って来たのは覚えている。

中には小学校低学年の時に見てたのもあるし、貸本屋は中学生になるまで借りていた。それ以降は、ほぼえちえち本屋になったw

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