INFJ ドアスラムと赦しについて エナジーバンパイア HSP ミヒャエル・エンデ 鏡のなかの鏡を読んで
少し編集しました。いつもスキありがとうございます。
つい最近、身近な人を遠ざける経験をしました。
性格は合わないけれど、関係性から大切にするべきだと思ってきた人です。
その人と私の関係は、ある頃から搾取する人とされる人。エナジーバンパイアの概念を知って、ずっとあったモヤモヤした気持ちに蓋ができなくなりました。
その人は、とにかく注目されて褒められて誰よりも勝ってて、いつでも自分の話を聞いてくれて、心配してもらわないといけないような人。
話を聞いて、気にかけて。
でも、それじゃ足りない、もっとくれくれとねだる幼児のよう。
頼まれたことを、私にはできないことだと断ると、般若のような顔で怒り。
ドアスラムってINFJにとっては、してやったり、ではないんですよね。
もうちょっと頑張れないかな、見捨てるようで私は酷い人なんじゃないか、とか考えて苦しい。
救えない自分の力不足も感じる。救おうだなんて傲慢なものだけど。
ミヒャエル・エンデの
「鏡のなかの鏡」
第2章で、
迷宮を抜ける試験を受ける青年が、課題に合格できずに落ちてしまう話がある。
隠されていた課題は
服従しないこと
出会った色んな人に頼まれてたくさんのガラクタを体に巻きつけた青年は重荷を引きずって歩き、その見事な翼も使えず脱出できなかったシーン。
そう、私もなんだかいつの間にか重荷をたくさん背負ってる。
私の課題も服従しないことなんだろうか。
青年は、じゃあ、頼まれた時にどうしたらよかったんだろうか。
お断り!バタン、と切り離してしまうのは、
そのあとも自分をも許せない気持ちを持ち続けて、
自分が冷たい人間のようで。
それでいいの?
ずっと考え続けていました。
noteで記事を書くようになって、
このエナジーバンパイアに気づいた経緯や、自分がこれからどうするかの方針(距離を置くこと)についての記事も書いたのですが、なんだか心のブレーキがかかり公開できていません。
→その後、公開する決心がつきました。
でも書いたおかげで客観的に自分を見つめることができ始めました。
note内のドアスラムも検索して
こちらの記事を読んで、
私、すごくしっくりくる!と感じました。
限界まで頑張りすぎてるんですよね。
これ、たとえば私の大事な人が悩んでたら、どう助言する?
大好きだった祖母ならなんて言ってくれる?
限界まで頑張ったんだったら、もういいんじゃない?
ギリギリまでやり過ぎるからドアスラムになってしまうんじゃない?
その手前でそっと適切な距離に戻せばいい。
その人と私自身の行動のどちらをも、ただ未熟な人間同士のひとつの出来事とし、赦したらいいんです。
きっとドアスラムは完璧になれない自分をも許せないために起きる行動です。
私は神ではないよ。
私もまだまだ未熟だしな、しょうがない、ちょっとやり過ぎて失敗しちゃった。
次はうまくやろう、ぐらいに思えてきました。
それに、その人もこんなに私に思ってもらえて、完全には救えないにしても
ある意味幸せですよね。
ほどよい距離感をこれから構築していこうと思います。
今度からは、無理めなこと頼まれたら、え、ちょっとムリムリ〜ごめんなさいね〜ぐらいのノリで断ったりしてみます。
その人も、自分で自分のご機嫌を取れるようになれたらどっちも幸せだし。
モヤモヤが晴れてきました。
鏡のなかの鏡の青年は、
頼んできた人に、物自体は、飛べなくなるから持っていけないけれど、あなたの気持ちは受け取って一緒に持って行きますよ。って言えばよかったのかもしれない。
彼は迷宮から脱出できなかったけれど、
いつか彼の子供に経験を受け継いでもらって脱出させることができるかもしれない。
そんな救いのある続きを考えます。
服従しないことと、赦し、そして失敗を糧に成長することが私の人生の課題かな。
そんな話です。読んでくださってありがとうございました。
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