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11番 わたの原八十島かけて     参議篁

2018年5月21日/花山周子記

わたの原八十島やそしまかけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人あまの釣舟    参議篁さんぎたかむら〔所載歌集『古今集』羇旅(407)〕

歌意
広い海原をたくさんの島々目ざして漕ぎ出してしまったと、都にいる人に伝えておくれ。漁師の釣舟よ。

『原色小倉百人一首』(文英堂)より

参議篁さんぎたかむら。参議って、参議院を思ってしまう。実際に「参議」はやはり位の名前で、彼がこの歌を詠んだずっと後に冠された位である。彼の本当の名前は小野篁おののたかむらで、小野妹子の子孫にあたる。彼は、

若き日より才知抜群をたたえられていたが、承和五年(八三八)遣唐副使に任命された時、漏水が発見された大使の船と取り替えよと命じられ、怒って体調不調と称して辞任…

『馬場あき子の「百人一首」』

さらに、遣唐使そのものを批判する漢詩を書いたことでついに嵯峨天皇の怒りを買い、隠岐に流されることとなった。この歌はつまり彼が隠岐に流される途上で詠んだものである。

隠岐への流刑は当時死を覚悟しなければならないものであって、大使に逆らってでも壊れた船に乗ることを回避しようとした彼であってみれば、隠岐へ赴くことに恐れがなかったわけがない。しかも彼は詩才さえ非常に優れ、彼を流刑に処した嵯峨天皇はもともと彼のその才能をこそ愛していたのであり、彼はつまり今でいうインテリであり、遣唐使のいきさつを自身の個人的な体験に帰せず、漢詩によって遣唐使そのものを批判するような極めて高潔な人であり、頭脳明晰な人であってみれば、自分の価値を十二分にわかっていたはずで、根拠のあるプライドがあったはずで、無念でなかったわけがない。にも関わらずこの歌は勇ましいのだ。「漕ぎ出でぬと人には告げよ」。この重たく籠った韻律に、彼の強固な矜持がにじむ。彼はそばに浮かぶ小さな釣舟に向かって彼の渾身の見栄を切った。
「人には告げよ」。
この「人」のうちに千年以上後の世の私もが含まれているのだ。彼の見栄がこの私にまで届いている。なんてすごい人なんだろう。

大海に子供を釣りぬこの子供われが育てん楽しく育てん  花山周子『林立』   
            
これは、二〇一一年に詠んだ歌。当時は自分自身のお守りとして頭の中で唱えていたものだったのだけど、今回、大海で切る見栄の歌として置こうと思う。

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