35番⑤ 人はいさ心も知らず 紀貫之
花山周子記
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之 〔所載歌集『古今集』春上(42)〕
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日われには一生 栗木京子
現代短歌のあまりに有名な、もはや小倉百人一首に収録されていてもおかしくないような歌である(実際に古典と思われていたと作者が言っていた気がする)。
この歌の下句について小池光が、
思ひ出はわれには一生君には一日
だったらこんな名歌にはならなかった、というようなことをどこかで言っていて、本当にそうだなと思ったことがある。
順番が前後しただけなのに、「われには一生」が結句に置かれるときはじめて一首を貫く詠嘆が発生するのだ。
それはちょうど、前回の、
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける 小町
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 貫之
この二首を並べた印象と似ている。
貫之の歌はふるさとの花の不変を結句に置くことで、「親しさゆえの当意即妙」というような応答歌的側面を脱し、ただ一つの名歌として屹立しているように思うのである。
それにしても宿の主の嫌みに端を発して、どうしてこんな名歌が生まれてしまったのか。わたしにはとてもふしぎに思われる。ひとつ言えるのは、貫之の歌にはたとえば在原業平のような体臭はない。そのことが、ときにこの歌のようなシャープで高潔な歌の姿をものしていて、貫之という人物を漠然と私に想像させるのである。
以前紹介した田辺聖子の文章には続きがある。
次の三十六番、清原深養父で『古今集』の歌は最後になる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?