父は我が家の(予告なしに変更される)ルールブック
父親との関係性ってみんな良好なのだろうか。
NOTEの記事をみても、父親への感謝や愛情を表現している記事が多いように感じる。人気起業家女子やブロガーが、男性は本来優しい生き物で、女性がご機嫌でいないのが不具合の原因なんて言葉も理解はしている。
もう風の時代なんだから、こんな悩みから解放されましょうってもの理解している。
でも今ここで、私は40代にもなって父親へのイライラに心を奪われそうになる時がある。だからこそ、私と父のことや私の心を言葉にしてみる。
そして客観的に感じたり、他の人の意見調べてみたり、ただの発散にしてみよう。
我が家は5人兄弟。父母、兄、姉、私。
外面の良い父は営業の仕事をしていて多分性に合っていた。
景気も良い時代だったから、我が家は裕福な方だったと思う。
綺麗な一軒家、広い庭と大きな車に明るい母。
それから父が脱サラし、起業。
経営がうまくいかず、それはそれはボロボロの家に引っ越した。
引っ越してすぐに友達が遊びに来て「うわぁ。ボロボロだね。」と言われたのを今でも覚えている。悲しかった。
そしてそれから数年後、私が高校1年生の時に倒産し借金を抱えた。
家賃が払えなくなり、祖父母の家に引っ越した。
私は転校を余儀なくされた。
引っ越しの話をされた日は一晩中泣き崩れて、次の日は漫画みたいに目が腫れていた。
県立の高校から都立の高校に転校するために、転入試験を受けることになった。だが、転入試験は全校同一日に行われる。落ちれば留年。
親の都合で転校するのに留年の可能性があるなんて、なんて理不尽な!
試験日前日に祖父母宅に母と一緒に泊まりにいったが、その日母は混乱していたのだろう、電車に乗るときに線路に靴を片方落としてしまった。
泣きそうな顔をする母に私はこれでもかというくらいに軽蔑の目を向けた。
親にはちゃんとしていて欲しかった。あんな目で母を睨みつけたことを、後悔している。
その後無事に転校し、家族みんなで引っ越しをした。
祖母は毎日泣いていた。
母は鬱っぽくなっていて、部屋で一人何かぶつぶつ呟いていることが多かった。
そういえばその頃、何かで母と姉と外に出た際、母がランチ代を払うお金がないと呟いた。お昼代が払えないと親に言われたことが、私はショックだった。
さて、父はお調子者でありながらもとても短気だった。
母によく怒っていた。怒ると何日もしゃべらない。一人で部屋に籠る。
寝る時には泣いてる母を廊下で寝かせていたこともあった。
短気な父が嫌だった。
自分ルールを怒りを使って家族に強いる父が怖かった。
そういえば、正月の朝、準備が整う前につまみ食いをした兄に父が怒鳴ったことがあった。
「正月の挨拶もしてないのに先に食べるやつがあるか!」
その日のご飯を皆で無言で食べて、全く美味しくなかった。
早く時間が過ぎることを願った。
それから10年以上たって、父は正月の朝、準備が整う前につまみ食いをしたのだ。私にはそれはそれは衝撃的なシーンだった。(兄は若くして他界していて、その頃にはもう違う世界の住人になっていた)
なんて自分勝手な人なんだ!
私は父が家のルールブックとなっていて、そのルールが彼の気持ち一つで変わること、ルールを守らなければ怒りで従わせることが、、、ムカつくんです。
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