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どうしようもないダメ人間を雪山に閉じ込めてみた

気のきく私はもともと存在しなかった

先週末、親しくしている区議会議員さんの「新年のつどい」に参加した。
区政報告会兼今春の区議会議員選挙に向けた決起会である。
場所は近所の区民センターだったが、こういう公共施設は、利用料が安い分、テーブルや椅子などの設営、後片付けは自分たちでやらなくてはならない。会の終了後に、イベントを仕切っている後援会の方々が片付けを始めたのだが、その光景を見ていて、
「これは手伝わずに帰るわけにはいかないな」
と思った。どの議員さんの後援会も同様だと思うが、後援会メンバーが高齢なのである。私も若くない、とか言っていられる年齢層ではない。
近所の知人たちと一緒に手伝ったら、あっというまに撤収作業が終わった。夜に議員さんから「片付けまで手伝ってくれてありがとう」とお礼のLINEをいただいたが、それほどたいしたことをやったとは思っていない。あのまま帰る方が心残りだったから、お手伝いしてきてよかった。

いまは「あのまま帰るのは心残り」なんて言っているが、若いころの私は本当に気がきかなかった。協調性もなく、むしろ自分だけ楽したがるような人間だった。昔の私だったら、高齢者の方々が片付けている横でそっと帰宅しただろう。まったくお恥ずかしい話である。


雪山に閉じ込めないと矯正できないダメ人間

そんな私が本人比とはいえ気のきく人間になれたのは、大学時代にスキーサークルに入ったおかげである。
サークルとはいえ体育会系で厳しかったので、体力と根性が培われ、対人関係や飲み会でのマナーも学んだ。
いま思えば、スキーではなく、マラソンを走るサークルでも良かったかもしれない。スキーはお金がかかったし、冬は他のことが何もできなかった。
しかし、私のダメ人間っぷりは、冬の間ずっと雪山に閉じ込められないと矯正できないくらい重症だった。あれは当時の私に必要な経験だった。


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雪の茂倉岳へと滑り落ちてゆくバックカントリーボーダーのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20220433105post-29023.html

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