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テーマ投稿:#多様性を考える

精神疾患への理解

何年も前の事ですが、職場に鬱病のスタッフが一緒に働いていました。
職場はよくある町のマッサージ屋さんです。
業務委託で、お客様のいらっしゃらない時には最低限店の雑務が終わっていれば、あとは自由に過ごせる環境です。
お客様の入りには当然ですが波があり、ノーゲストの時間がある事もあります。

暇な時にはスタッフルームで雑談に花が咲くワケなのですが、鬱のスタッフが在籍していた頃はその方の悩みなどの話を聞く事になります。
私はたまたまシフトがすれ違っていてその方と話しをしたのは数回のみだったのですが、いつも一緒になり何度も話す機会があった別のスタッフは辟易していたようです。

ちなみにその方はその後入院し、期間を経て無事に退院。今は別の職業に就いたと聞いています。

この出来事で驚いたのは、鬱病を患っている方だと知っていても全く理解しない人がいた事でした。
理解のある人は辟易しながらも話しを聞き相談に乗っていたようですが、理解しない人は自分(健常者)を前提としてしか話しが出来ないようでした。
健常者どうしの会話では相手がどんな人なのかを気にしたり知ろうとしたりしながら会話するかと思うのですが、それをそのまま当てはめて「愚痴ばかりで努力もしない、アドバイスをしてもマイナスに変換して受け止める人物」と判断したようでした。

何故そんな受け止めになるのか私には全く理解出来ませんでした。今でもわかりません。
その鬱に対して理解しない方が、普段は他人とのコミュニケーションもうまくとても好感の持てる人物なのです。

知識不足としか思えないですが、鬱病の症状すら知られていないのですね。
レビーや適応障害、ADHDも知られていない部分が多いですが、多様性のある社会を目指すためには知識は必要不可欠です。
ただただみんなの特徴・障害を受け入れようと繰り返すのではなく、様々ある特性を知り自分がその人とどう付き合うか各人が心得ることが大切ではないかと考えます。

必ずしも受け入れようとする必要はないと思います。受け入れられない人がいる事も多様性のひとつと考えています。ただ知らずに差別すること、理解しようともせずに蔑むことはよろしくないと思います。

しばらく前に総理秘書の方がオフレコの場で「同性愛者を受け入れられない」趣旨の発言をして解雇されていましたが、私から見ればそれも多様性のひとつであり罰せられるような事ではなく、むしろオフレコの約束を破って騒ぎ立てた人たちの方がよっぽど罰せられるべきではないのかと不思議です。
そもそもオフレコで質問されなければ、秘書の方はわざわざ差別的発言をする事はなく当事者を傷付けることもなかったのではないでしょうか。


話しがそれましたが、私にとっての多様性とは必ず受け入れなければならないものではなく、ただ知った上で最低限傷つける事のないよう配慮したり、支援出来るのならすれば良い。
とにかくまずは自分の周りの人の事をちゃんと知る事が大切だと思います。

#多様性を考える

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