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モノの支援について。

国際協力についての話題。

『モノを支援することについての賛否。』

モノを支援することについてはよく話題になるし、賛否分かれると思う。


今回はこのことについて最近また考えることがあったので書いてみる。
ちょっと長いですが、皆さんはどう考えますか?

考えの変化

日本にいた時は、
モノを支援することはちょっと違うんじゃないか?と思っていた。現地にあるものでなんとかしたほうがいい。ボランティア=モノを与える、と思われるのも違う気がするし。継続的に支援するためにはモノではないんじゃないか、と思っていた。

カンボジアに来てからは、
モノを支援してもいいかな?と思うようになってきた。



私は体育教育で関わっているが、日本と比べるとカンボジアは体育で使いたい道具がとても少ない。

各種目のボール、ゴール、陸上器具、体操器具、体育館、プール。
ほぼない。
ボール以外はない学校が多いと思う。ボールもあっても数はたくさんない。
日本では2人に1球や1人1球使えるほどのボールがあり授業を行なっていたが、そんなことはできない。
授業に行っている学校では体育の道具はバレーボール3球だけ、という学校もある。

ただカンボジアはモノが何もないということではない。
ボールに限っては街中の市場でも売っている。1球10ドルしないくらいで売っている。
(日本のクオリティには及ばないけれど)
個人でそのようなボールを買って持っている子どももいる。
市場で売っているくらいなのにどうして学校にボールがないんだ、なんて思う。まぁそれくらい体育教育には力が注がれていないということかな。


ボールがないならないなりにできることを考えて授業をしたらいいと思っていた。でもボールがあればできることが増える、道具があれば楽しいことがもっとできるかもしれない。道具を大切に使うこと、楽しいと思うから道具を揃えようと思うことも今後のカンボジアの体育にとって必要なことなのかもしれないと考えるようになっていった。


モノの支援をすることに


カンボジアに来て私自身の考え方も少しずつ変化していき、日本にいる先輩方からボールの支援をしてもいいと連絡をいただいたのでボールをカンボジアに送ることにした。
まずは5球をJICAを通して送ってもらう。(これは何ヶ月も経過した今もまだ届いていない。どこに行ったんだ)
他にもたくさんのボールを用意してもらっていたので復活したEMSを使って送ることに。
たまたま日本に一時帰国したので自分で郵便局に行って送りました。
思っていたよりも高くなかった。日本⇨カンボジアへは1週間くらいで届いた。(1月下旬⇨2月上旬)

ボールを支援してくれた先輩が年末年始にカンボジアに来られたので、スーツケースに1球ボールを入れて持って来てもらった。
現地の人に誰がボールを寄付してくれたのか顔がわかるほうがいいのではないかと思ったから。(誰が作った野菜かわかるようにしているシステムみたいに)
「これは彼女が持って来てくれたボール。今回は1つだけど後でたくさん届く。」と伝えた。
その1球は配属先の事務所でしばらく保管されることになった。
当時は学校は長期休業中で授業はなかった。

それから約2ヶ月後、やっと新年度の授業が始まった。
ある学校の先生は配属先事務所からボールを授業に持ってくることもあった。(彼女の家は事務所の隣)
生徒たちに使わせるため、だと思っていたら、授業に連れてくる自分の子供に遊ばせるためだった。
「え、そのボール日本から持って来てもらったボールやん。授業で使って欲しいのに、まさかの教師の子供の遊び道具。そんな予定じゃなかった。」
悲しいというか、ショックというか、怒りというか。なんとも表現し難い気持ちだった。

EMSで送ったボールを渡す場所についてはよく考えようと思った。
使ってもらえるならどこでもいいんだ。いいんだけど、できるなら授業で使ってほしい。大切に使ってほしい。


同僚に相談してボールの行き先を決めようと思っていた頃、隣の家の子供達が家の前でバレーをして遊んでいるところに遭遇した。
子供2人、蹴鞠のような小さいボールを使い、2人の間に小さな椅子を置いて1対1をしていた。
そこに混ぜてもらってバレーをしていた時、
「家にバレーボールあるやん」
と思い出し、ちょっと待って、と言って取りに行った。決して綺麗ではないボールだけれど、バレーボールでバレーが出来る喜びを満面の笑みで表現してくれた。
その表情がとっっっっても嬉しかった。
バレーで遊んだ後、家に戻る前に
「これは日本から送ってもらったボール。大切に使ってほしい。」
と彼らに伝えた。
うんうん、と頷いてくれた。
彼らのような子たちにボールを使ってほしいと思った。

翌日、ある学校の授業へ行くと昨日ボールを渡したあの子がいた。
私が授業に行く学校の生徒だったとは。
現地の先生が授業に来ないのでバレーして遊ぼうよ、と何人かに誘われた。
すると、あの子のリュックから昨日渡したボールが出てきた。
え、リュックにボールを直接入れてるの?めっちゃ大切にしてくれてるやん。
昨日自分が彼に言った言葉にとても反省した。
わざわざ大切に使ってな、なんて言わなくてよかった。そんなこと言わなくても彼なら大切に使ってくれる。そんなことはボールを渡した時のあの表情から簡単に想像できただろう。

なんで恩着せがましく、大切に使ってななんて言ってしまったのか、考えた。
・前回配属先にボールを渡したけれど、大切に使ってくれていないように感じたから。(事務所に転がっている。教員の子供の遊び道具になっている。)
・これまでのカンボジア生活で、カンボジア人がモノを大切に使っていると感じたことがないから。(ポイ捨て多い、置きっ放し多い)
・彼らにとっては自分で買ったモノも人からもらったモノも何も変わらないのかな?と思う。
・日本では使用済みのボールとは言え、カンボジアに送るために準備してもらったボールだから。(私のものではなく、人のモノを私が譲り受け、それをカンボジア人に渡した、という感覚がある。)
要因として考えられるのはこんなとこかな?

それにしても自分の発言の不用意さが情けなかった。
ボールを渡した彼は私の発言に対してそんなに深く考えてはいないだろうけれど。
彼とたくさんバレーボールで遊ぼうと思う。
彼は今中学1年生。高校生になったら部活?としてバレーをしたいらしい。
頑張れ!サッ!


EMSで届いたボールの行き先はまだ決まっていない。
家で眠らせておくのも勿体無いので早く行き先決めないと。


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