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決断するということと、未知への挑戦

  • 決断
    人生の分岐点において何かを選択するということは、他の選択肢を断念するということに他ならない。
    その選択が自分にとって喜ばしいことであるのか、はたまた辛い道であるのかに関わらず、どこかで「両得」みたいなことはできなくなるものだ、と思う。
    近親者がある道を選ぶことを決断した。
    その実現に向けて実務を粛々とこなすボク。
    心の奥底では、その決断がボクにとって短期的にはプラスに働くものの、中長期的にみればおそらくマイナス、あるいは負けになるとわかっていた。
    ボクの心のどこかの逡巡を見透かすように言われた。
    「そうするしか無いと私が決断したけれど、本心を言えばそんなのイヤよ」。「でも自分でそう決めたのだから仕方ないのよ」と。
    その言葉の後ろには、もう退路はない、この道を進めは思い描いたより早くに終幕が訪れる、つまりは決断した本人にとってトータルで見ればマイナスであることを覚悟している。
    人生には何度かなんらかの決断を迫られる一幕が必ず訪れる。
    歳を重ねるとその決断の向こう側にいる人達にも大きな負担がかかる。
    人生やり直しは効かない。再チャレンジできるものと、二度とチャレンジできないものがあり、自分でコントロールできることと、できないことがある。
    誰の決断を尊重し、その決断が引き起こすであろう結果をどう受け止めるべきなのか。
    女の決断は固い。
    ボクはその決断に従うしかないのだろうか。

  • 未知への挑戦
    シビアな決断を迫られるストレスに耐えきれない場合、なにで自分を保つのか?
    酒か、女か、博打か(明治大正昭和ですね)、無心にひた走るのか、ドカ食いするのか、人は様々。
    ボクはそういう時は未知への挑戦を敢行することにしている。
    これまでで一番の未知への挑戦は、何も知らない中国へ渡り仕事をしたことだった。
    未知との遭遇は、相手が宇宙人でなくとも楽しく、心が沸き立つ。
    しかし、今の世の中で未知な領域であり且つ会得しておかなければならないことはスマホの中にある。
    昔は目の前に現実として聳える壁なり山をみることができ、チャレンジの手応えも感じることができた。
    しかし情報洪水、FAKEがまかり通る今の世の中では、そこに広がるのは常に虚構であり、実在はしない。
    このからくりを見抜いてやろうと、敢えて個人としてはアグレッシブな知らない世界との交信を求めてSNSの海に漕ぎだす。

もうすでにネットの世界には虚構しかないことに、いくつかのチャレンジ(トライではない)を経て辿り着いた。

辛い決断をした日のチャレンジはものの見事に露と消えた。

しかし失敗は成功の元だと子供の頃に習った。
失敗したらまたチャレンジすればいいのさ。
致命傷を負わない限りは。

  • 結論
    人が何かを決断する時には、強い精神力が求められることを改めて知らされた。
    ボクのように、勢いと浅はかな皮算用とその場しのぎの口当たりの良い話ではダメなんだ
    未知への挑戦は、自分で完結できる、冒険みたいなもの。
    でも、冒険とよぶにはちょっと薄暗く、軽快な足取りもない。

この数週間での攻防戦は、とうてい未知への挑戦ではバランスが取れるものでもなく、むしろ状況は悪化。

さて、これまでのボクなら「負けて手ぶらで帰るわけにはいかない」を信条とし、その地を制圧するまで全戦力投入してたけど、今回はもういいかな?

  • 温故知新
    トップガン、シンウルトラマン、ガンダムなんたらかんたらと、古きを訪ねるものも多い。
    そこにある「こうなって欲しい、大円団でいいからさ」という期待を、見事に体現されている。

    未知への挑戦より古きを訪ねて本質と向き合うべき時なのかもしれない。

とはいえですよ、未知への挑戦も負け越して終わる訳にはいかない。

しばらくは極めてバランスの悪い危うい日々を送ることになるかもしれない。

初投稿なのに、完全に負のオーラで書いちゃった。

独り言なので、賛否のご意見など求めておりません。

後ろ向きと「無謀とも言える」前向きさ、無謀でも前向きが勝っているほうがマシだよね。

何かと危うくややこしい人生、そろそろ自分の好き勝手やってみたい、これまでも十分すぎるくらい好き勝手にやってきたけど



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