敏感すぎて鈍感に、そしてまた、敏感へ - 想像力を身につける
小さい頃は世の中で起きることを自分ごとにし過ぎて、苦しかった記憶がある。
例えば、怖い話も全部信じていたし、例えばテレビで見た人が死ぬ映像ならそれを本気で、ほんとに身体で感じてた。
映像とか、ほんとに刺激が強かった。
ファストフード店の匂いとか、繁華街の音とかも、全部を全身で受け止めて、ごくたまに連れて行かれると気分を悪くしていた。
その敏感さがしんどくて、なんとか鈍感にしようと、世界に対して薄い膜を常に作ろうとして、成功して、今は生きやすくなった。
だけど、それを意識した結果、行き過ぎてしまったのかもしれない。というか、適応という必要な宿題を終えて、それだけでは通用しない新たなフェーズまで来たのかもしれない。
今では、ドラマとか映画も、刺激が強い感動するような話でも、どこか自分を外から見る位置に置くことによって自分の最深部を守るようになった。
どう反応したら普通に見えるだろうかとか、どう反応したら今まで自分が築いてきたちょっと世間を斜めにみるクレバーなやつというブランドに合致するだろうか、とかを考えて反応するようになった。
このような意識では、他人の感情を想像しようという気持ちが起きなくて当然だ。
もっと人のことや状況を想像し、自分こととして感じるようにしてみる。自分の感じたことも、素直に表してみる。それが、今の自分にできる、日々のトレーニングな気がする。
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