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イボガ マイクロドージング体験編 16日目~17日目

この記事は、イボガという植物とシャーマニズムについて、これから触れる人のために書いていますが、体験者としての記録であるため、正確性に欠ける部分が見られるかと思いますので、正確な内容が知りたい方は、Japan Iboga Center(http://www.iboga.jp/)へアクセスしてください。

トップに選択した写真はレコードの回転する様子。回転、円環、循環。上昇する螺旋のエネルギーの象徴か、閉じた輪の中をまわり続ける象徴か。

マイクロドージング開始 16日目

2022年12月18日(日)
今日も朝から、MAX用量で、出勤。今日は少し遅く出金できる日だったので、摂取をして、量子瞑想をやりつつ、内観をしてみた。
量子瞑想は、夜の方が次の予定の心配もしなくて良いし、集中しやすい気はするものの、少しずつ慣れてきていると思う。

16日目 イボガへの奇縁

センターからの案内で、イボガのマイクロドージングプログラムを12月いっぱいで締め切るとの案内がでていた。センターからの「イボガ」そのものの周知・案内を始まってから、2カ月も経っていないくらいだと思う。一般社団法人の設立を来月に・・・などの話もあり、驚きの展開の早さ。
仕事がかなり休みづらかったが、イボガという植物がどういうものかを知った時、どうしても初回のリトリートに行きたい・行こうと思い、無理をしてリトリートに飛び込み、そのままマイクロドージングプログラムをスタートし、今日に至るのだけれど、イボガの扉が開いていたのが、2カ月だけだったのだなと思い、そこのご縁に飛び込んだ・導かれた、この奇縁を感じ、なんとも言えないありがたい感じの気持ちが湧いてきた。
イボガに至るまでに、カンボに出逢って、その前に量子瞑想の本を読んで、その前に普通の瞑想会に参加して、その前に「数字」の勉強をする機会があって、その前に陰陽の勉強をする機会があって、その前に普通の瞑想会に参加するための出会いがあって、その前にスピリチュアルと向き合う下地の数々があって、その前に自分と向き合う機会・ご縁が数々あって・・・
と、このイボガに至るまでの前置きは書きだすと、異様に長くなるので書かないけれど、振り返ってみると、導かれてきて、人生のストーリーが紡がれているのを感じる人生の不思議さ。
でも、みんな、自分の人生を振り返ると、そうなんじゃないかな。
あの時のあれがあったらから、今のこれがある みたいなの。
※注意 マイクロドージングを締め切ると言っても、摂取する人が、イボガに向き合うまでの前準備がたくさん必要なので、必要なステップを踏んだ人に順に提供をしていくことらしいので、完全に締め切るというわけではないみたい。ただ、超希少なメディスンとのことなので、いつ提供がストップされるかは分からないとは、前々から言われている。
(本日の2022年12月18日の時点の情報です。)

16日目 視力低下のこと

昨日、センターのあさひさんから、見なければならないものから目をそむき続けているうちに、サードアイのチャクラは閉じていき、視力まで低下します。急激に視力低下した時は、霊性を抑制を続けて、封印が進み、封印があるのが当り前という状況を作り出していく。それが、コンフォートゾーンとも呼ばれる。だから、視力低下があった時期は、ヒントがあるはずとのこと。
そのお話を聞いて、中学3年の誕生日頃にやむなく眼鏡を買った記憶が蘇ってきた。目が悪くなっちゃいけない(視力を低下させちゃいけない)と、母に、謎の無茶を言われていたので、目が悪くなったのでメガネが欲しいと伝えて怒られるので言えないとずっと思っていた記憶も蘇ってきた。中学2年頃から視力が少しずつ急激に低下していったような記憶がある。
その頃は、もともと明るく朗らかで知性溢れる美少年だったワタクシ(自己申告)は、思春期に入り、今思えばであるが精神を病んでおり(中二病ともいう)、人は何故生きるのかという疑問を感じて哲学の本を読み漁ったりしていた。内容は覚えてないけど、ソフィーの世界という本がベストセラーになった時期で、すごく分厚い本を読んだという記憶がある。同年代の人とか、懐かしい人居るんじゃないかな、この表紙。

あの頃に、今も続く、妙に自分を抑圧する癖をつけたのは間違いない。視力の低下とも関係があったとは。
小学校の頃の父の居ない寂しさや母のイライラへの反発などが、爆発したということだと、今は、理解ができる。イボガリトリートも含めて、そこを解くことをずっと取り組んできている。

16日目 アトピーについての発見

昨日は、時間が有ったので、内省を進めていたのだけれど、自分を抑圧する癖を掘り下げてみた。
寂しい → かまってほしい → 一人で居る → ツライ気持ちを口に出さず我慢する → 強くあろうとする仮面を被る
という流れで、自分の仮面(ペルソナ・自動人形)が形成されているのを発見した。
かまってほしいのに、一人で居るという全く逆の選択をするという心の不思議。
他の人はどうか分からないが、集団の輪の中には入るのを躊躇する傾向がある自分は、集団の輪の中に入らずに、遠くで一人で居る人が居ると、あえて話しかけたりする傾向がある。誰かにしてあげたいことは、自分がしてほしいこと。つまり、自分は、(一人で寂しくしているので)話しかけてよ。かまってよというアピールをしている、ということに気が付いた。
寂しさを押し殺して、助けを求めたいのに、平気ですよという仮面を被り、あの人は強いから平気でしょと思われて、ますます人から離れていく循環。
押し殺した心が、僕を見てよ、かまってよ、助けてよ、というアトピーという皮膚症状となって現れる。口には出せないけど、自分は辛いんだよと、身体を使ってアピールする。皮膚症状は、自分と他人・世界との境界線のイメージが一致していないことによる不具合として現れるという話らしいけど、やっぱりそうなんだなと感じた。僕を見てよ!かまってよ!と叫んでいたエヴァのシンジ君のようだな。。。
もう30年以上苦しんできたアトピーだけれど、自分の心の叫びだったのだなと気が付いたのが、今日の気づき。自分の心の何が皮膚症状として現れているのか、ようやく理解できた気がする。
「寂しいよ、かまってよ」と感じる根っこには、父が家に居なかった寂しさがあると思うのだけれど、父との関係はリトリートで解消できたので、あとは、自分が「寂しさを選択している」ことを受け入れるという問題だな。
以前も書いたけれど、女性が言う「わけもなくさみしい」みたいなものは、イボガの精霊の働きでかなり減っているのだけれど、この根源的な部分は、仮面を強固に形成しているラスボス。

マイクロドージング開始 17日目

2022年12月19日(月)
マイクロドージングMAX用量で、朝に摂取。

17日目 断捨離スタート

断捨離を進めてみてるのだが、メタルモンスターとは遭遇していない。
片付けをした方なら分かると思うけれど、古い使わなくなったものを手放すと決意して捨てると、そこの空間が物理的に空いて、実際に見た目も心をすっきりする。創造に使われていたエネルギーが、分解・解放に向かうからなのかな。
もう使わなくなったものをたくさん抱えていることに、改めて気が付いたが、断捨離はまだまだ終わらない。引き続き、取り組もう。
年末までにある程度、キレイにできると良いな。

17日目 イボガ―ル推薦の著書

イボガのマイクロドージングを同時期に実施されているイボガ―ルさんのnote記事を読んでいたら、見たことが無い本が推奨されていて、早速、Amazonでポチっとしてみた。年末年始に読んでみよう。
イボガ―ルさんも、心理学やスピリチュアルや代替療法等の道を辿りつつ、この著作を通してパラサイト(エゴ)を退治(受け入れ)する過程を通して、今に至りイボガと出会うことになったと書いてあり、私とは違う道だけれど似たようなルートで、イボガで出会うことになったと知り、とても親近感が湧いた。(Zoomでお顔は拝見しているが、喋ったことは無い)

17日目 仕事と命とお金と切り分け

1日のマイクロドージング用量を少しずつ摂取するパターンでやってみてください。1日の中で複数回、イボガのスピリットコールを感じたら、その都度ごとに追加で摂取するという方法でやってみてください。とのセンターからの摂取方法の指示があった。

今までは朝に少し早起きして、瞑想をして、1日をスタートという流れだったので、仕事をしながら、1日の中で複数回の摂取をする運用の仕方は難しいと思います との返答をセンターに返したところ
「仕事の時間」という分けて考えて、イボガの精霊との接続をばっさりと切っています。それはイボガの精霊と信頼関係とは言えない関係性です。仕事、お金、愛が、それぞれ分断して、切り分けられており、命と一体になっていません。それが完成形なのかは、魂がご存じでしょう。
と、返答があった。

素直であれば、たしかにそうですね!と素直に言えるのだろうが、
今日の自分は、「すごくイヤな返答の仕方」だなと思った。
飾らぬ言い方で言えば、その言い方は無いだろう、と腹が立った。
何故、イヤだと思ったのかと言えば
自分の仕事の仕方では、この案が難しいのであれば、こういう方法はどうですか?と別の提案するのが当り前である。(自分は常にそういうやり方をしている。それが当然だと思っている)
魂の成長を目的としているのであれば、仕事のやり方くらいは工夫して、イボガに合わせるのが当り前でしょう。そういう分断している考え方だからは、あなたはダメなんですよ。
私こそが正しいです。あなたは間違っています。
という意味に変換して受けとった ということ。
別の言い方をすれば、人の都合も考えずに、自分の正論だけを押し付ける。自分が人にしたらイヤだと思っていることを、自分がされたように感じて、それがイヤだと思ったということ。
正論とは、自分の方が間違ってると心では分かっているからこそ、人から間違いを指摘されることで、防衛本能が働いて、腹が立つのだww

が、イヤだと思ったということは、イヤだという思考・感情を生み出した自分の課題なので、「イヤだと思ったこと」と「運用は難しいと感じたこと」に対して、量子瞑想をしながら向き合うことにする。
自分に湧いた思考と感情を1㎜も相手のせいにしてはならない。
イヤだと思ったことを受け入れると、イヤだと思ったことこそが、エゴである自分そのものであり、イヤだと思ったこと自体が愛おしい経験に変わる。
・・・はずなので、夜に量子瞑想をしてみる。α波が深くなったところで寝てしまったが、なんとなく「解けた」感じがある。昨日のことは、もう「過去の出来事」という感覚になった。

17日目 イボガの精霊は感情を分解する

上の出来事の別の気づき。
イヤだと思ったという怒りやもやもやした感情は、今までの自分であれば、長い時間、下手をすれば数日間続いて、イヤな気持ちを再生成し続けることがよくあった。
どうしても、頭で何度も何度も考えてしまって、抜け出せなくなる状態。
その出来事はもう過去の出来事のはずなのに、どうしても頭から離れない状態。
今回は、感情の分解スピードが早かった。
瞬時とはいかないが、1時間くらいの間に、どんどん怒りやもやもやの感情が減少していくのを感じた。
これもイボガの精霊の働きかなと思う。

明日は、分水嶺

明日は、12月20日の冬至の日。
クリスマス前くらいまでが勝負と言われているが、冬至の明日が分水嶺のように感じる。

忘年会やら出張やらが続くので、しばらくはイボガの摂取が滞るので、次の更新は1週間後くらいになると思う。




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