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イボガ マイクロドージング体験編  33日目~34日目

この記事は、イボガという植物とシャーマニズムについて、これから触れる人のために書いていますが、体験者としての記録であるため、正確性に欠ける部分が見られるかと思いますので、正確な内容が知りたい方は、Earth Medicine Center(http://www.iboga.jp/)へアクセスしてください。

33日目 

2023年 1月19日
イボガマイクロドージングの摂取を再開。昨晩に10分の1で再開した。

33日目 ボス戦の終わり

昨晩、センターのあさひさんに、再開してもいいかなという気になりましたという報告をしたところ、それが良いんですとの返答をもらい、昨日の記事に書いた「心が穏やかだ」という今の心境をお伝えしたところ、ボス戦が終わりましたよ、おめでとう との返答をもらった。
量子瞑想でぐわーと何かがあったわけでもなく、何かが解けたような号泣もなく、ボス戦が終わりましたと言われると不思議なのだけれど、言われてみれば、抱えていた重荷を手放してしたような感覚は少しある。

唐突に話を変えるが、漫画BANGアプリで公開されているヴィンランド・サガの26巻を昨日ちょうど読み終えた。(以下、ネタバレ有り。注意)

トルフィンが心を改めたことを証明するための長い長い闘いの先に、ヒルダさんが発した言葉。
「もう無理だな。これ以上はもう・・・・。怒りに縋りつくのは無理だ。
 お前の償いを たしかに見届けた
 トルフィン 私はお前を赦すよ
 お前はもう十分に償った 私の怒りは消えた
 私を復讐の呪いから解き放つためにがんばってくれた。
 見事だ・・・・・ よく戦った。 お前は真の戦士だ」
頑張ってきたトルフィンに唐突に訪れた赦しの時。

ヒルダさんの言葉に深く共感をした。そう。怒りに縋りつくのはもう無理なのだ。潜在する不安が、自分をこんな目に(内容は重要ではない。そう感じているということ)合わせたという怒りに変わり、世界に対して文句を言いながら生きてきた。それは、これはおかしい。こっちの方が良い。一見、ポジティブなようで、自分こそが正しいと証明したいだけの言葉。
ヒルダさんの台詞にある「怒りに縋りつくのは、もう無理」なのだ。
作者の雪村誠さんの深みが感じられる。素晴らしいね。もう、ここで作品を完結しても良いんじゃないかと思うくらいの名場面だわ。

ボス戦は終わりましたよ。おめでとうと声をかけられる自分。
漫画の中だが、ついに赦しを与えられるトルフィン。
これが、イボガの精霊の働きによるシンクロニシティかなと感じた。

余談だが、会社にあった古くて使えない物資も、ちょうど一昨日と昨日で搬出して減ったのである。古い錆びた足場も捨てたのだが、メタルモンスターってあれだったのだろうか。                   

33日目 量子瞑想(ひとに対しての、祈り)

不安や落ち込みに対して、鈍い感性で受け止めることで、乗り越えてきたけれど、これからはしっかりと直視し、感じて、丁寧に生きれているので、感謝や生き甲斐とかが生まれてきます。これからが、愛の自己完成のターンです。
祈りのはたらきで、ひとをサポートすることもできるとのこと。
先日の事務員さん、そして息子さんを、量子瞑想で祈りを捧げてサポートすることができますよ と言われた。

量子瞑想をしてみたところ、長い廊下のような場面と明るい光が見えたような感じがした。事務員さんと息子さんにとっては長い通路のように感じているかもしれないけど、既に、明るい兆しは見えているということかなと思った。とりあえず、今日は何も連絡は無かったが、引き続き、量子瞑想を続けてみよう。

ほぼ、昨日の出来事だけど、まぁ、33日目ということで良いか。

34日目

2023年1月20日。昨晩にマイクロMAX用量の30%で摂取。
量子瞑想では、寝落ちしてしまった。夢は見たのだが忘れてしまった。今までとは少し毛色の違う夢だったような気がする。

34日目 センターとのやりとり

昨日のヴィンランド・サガとのシンクロについて、好きな漫画を読むのも御神事と、漫画好き・おタクが聞いたら曲解して、小躍りしそうな言葉をいただいた。
ちゃんと説明すれば、自分の意識が現象化されている。目の前に現れた現象は意識=即創造 されているので、現れた情報は全て意識が現象化された御神事であり、啓示ともなるということだと思う。
自分の目の前に現れる現象には全て意味があると言われるが、量子瞑想を通じて、現象が書き換わることを観測していき、それを読み解く力を養っていくのがシャーマニズムの世界観なのではないかと思う。書き換えていくは我欲が混じると思うので、書き換わるのを観測するの方が正解かなと思う
(違ってるかもしれないが、今のところの認識。)
目の前の現象を答え合わせとして、認識する=御神事 かな。

偶像崇拝するのは、自分の一部を誰か・何かにゆだねることなので、この場合の御神事とは意味が違うように思う。

34日目 小さなシンクロニシティ

理事研修合宿の報告会&量子瞑想会の報告のラジオを車中で聞いていたら、「全て終わったら夜中の2時22分になってて、シンクロして、数字がピタッと合ってましたー」という話をしていた。以前にも書いた気がするが、流れに乗っていると、ゾロ目の数字をよくみかけるようになるらしい。ということで、時計を見たら、昼の2時22分。。。。うーん。オモシロいね。

34日目 NARUTO

ゼブラックというアプリで、NARUTOの最終章が1月末まで公開されていたので、久々に読み直してみた。
無限月読でこの世の全ての人を幻術に嵌め、幸せな夢の中で永遠に閉じ込めて、この世の全ての苦しみを解き放つという理念のオビト君とマダラ君。
このテーマって、エヴァンゲリオンの人類補完計画も一緒だったよね。分かれたれた人類を人類補完計画によって一つにする。
オビトはリンと再び出会うために、ゲンドウはユイと再び出会うために。
分離感を無くし、人類は一つになることを目指しているのだなと思った。
オビトもゲンドウもそうだが、人々の心が分離感を抱えたままで、無理やりつなげようとしても結局はうまくいかないのだ。そもそもの分離感があるから、分離しているわけだから。
結局は、一人一人が自分の心を見つめて、きちんと解き、ボス戦を乗り越えなければ、分かち合い、分かり合うことはできないのだ。

少し話を変えて、心が非常に凪いでいる。日常で気になることやどう対応しようかなという考え事はもちろんあるけれど、そこに頭も心も囚われることなく、心が平和な感じがしている。
私は、ここに居る。 これでいいのだby天才バカボン という感じ。
当初の頃は、イボガの精霊の働きで、心が変容していくと、もっとハッピー♪ウキウキ♪ワクワク♪って感じになるのかなと思ったけど、そうではなく、静かな安らぎって感じがする。
嬉しくて嬉しくて、ありがたくてありがたくて涙が溢れてしょうがないような感じになるのかなと思ったけれど、そういう感じでもなく、ただ平和なのが、これでいいのだ。と思うのである。
イボガを摂取し始める前にも内省をし、心の波がだいぶ穏やかになったと思っていたけれど、イボガ摂取をする前の自分を思い出せないくらいに、凪いだような感じになっていると思う。
誰に対してか、何に対してかもさっぱり分からないけれど、今までありがとうございました、そして、ありがとうございます。

ということで、自分を受け入れた先に、人も受け入れることができる。それが分離感を無くし、1人1人の心と魂の成長があって、人類補完計画が成るのだな思うのであった。

ということで、ここで公開

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