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  <連載小説> 沈み橋、流れ橋

―明治・大正・昭和 一族三代のものがたり―


第2章(1)


 水の都と呼ばれるだけあって大阪市内には河川や運河が縦横に走り、八百八橋と謳われた多くの橋が人々の営みをつなぐ。老松町にある廣谷の家を出て東に一町(約百メートル)も歩けば、淀川の支流である堀川とぶつかり、そこに架かる樽屋橋を渡れば天満宮までもすぐである。
 堀川はその南を東西に流れる大川に注ぐが、中之島で、北の堂島川、南の土佐堀川に分かれる。浄瑠璃作者・近松門左衛門の『曽根崎心中』や『心中天網島』にも登場する曽根崎川(蜆川)は、堂島川に注ぎ込んでいた。大火による埋め立てや自然災害によって川は形を変えていったが、揺蕩たゆたう流れはずっと、この街の風景や世情を映し、見守ってきた。そして、橋もまた。

 明治三十八(1905)年四月十二日、信太郎の弟、十三歳の誠治郎は、兄と同じ大阪府立北野中学校に入学した。三月末までが入学志願書の受付で、翌週には体格検査と学科試験、始業式を挟んで四日後には入学式であった。
 おろしたての制服に身を包み、門口から出てきた次男を、母親の美津は眩しそうに迎えた。小倉織で仕立てられた紺の詰襟の上衣には、同色の四つ穴ボタンが五つ。ズボンは一尺五寸(約33センチ)の長さの紐で、後ろから腰回りを締めるようになっている。六つの菱形で型取られた真鍮しんちゅう製の校章が光る制帽は、黒羅紗ラシャの地に幅一分五厘(約5ミリ)と定められた白線が清々しい。
 同年の子と比べてひときわ背も高く体格も良い次男坊のその姿が、美津には誇らしかった。その後から、父親の駒蔵が出てくる代わりに信太郎がぬっと顔を出した。女中のお鍋が続いて出てきて、「旦那さんは、ちょっと遅れるそうだす。父兄同伴とあるさかい、信太郎さんを名代がわりに、とのことで」と申し訳なさそうに言った。昨夜は業者との会合のあと酒宴になったらしく、まだ寝床を抜けられないのだという。半ば予想できていたとはいえ、美津は肩を落とした。息子の晴れの日くらいは一緒に行ってもらいたかったし、いくら「父兄」と言ったって、一年しか違わない在校生の兄に名代を頼むやなんて。そういえば、信太郎の入学式もあとから駆けつけたのではなかったかと思い出して長男を見れば、
「名代なんかするかい。俺はいつも通り登校するだけや」
 と彼は嘯き、すでに歩き出すところだった。
「ほな、誠治郎、気ぃつけて行ってき。信太郎、頼みましたで。ちゃんと笹部に寄んねんで」
 美津は、目の前の次男と、半身だけこちらに向けている長男にそれぞれ声をかけた。お鍋の妹分のお亀も出てきて、お早うおかえりやす、と二人声を揃える。兄弟は堀川とは反対方向の西に向かって、歩き出した。なぜ「笹部」に寄るかというと、今日は千鶴の長男、笹部謙三の入学式でもあるからだ。
「今日だけやぞ」
 信太郎が面倒臭そうに後ろを振り返って言った。今日だけ、というのが、謙三のいる京縫に立ち寄ることなのか、一緒に通学することなのか誠治郎にはわからない。まあどっちにしても一人の方が気が楽やし、と誠治郎は思った。謙三と何やかや喋くりながら歩くのは結構だが、信太郎と毎日、半里余りの道を通うのはゾッとしない。あんまり話したくないので、二人の間隔を縮めることはせず、ああー、と曖昧な返事をして、兄貴はどの道を使うのかを覚えておいて、俺は明日からは違う道を行こう、と考えていた。京縫にはしょっちゅう行くが、いつも決まった道は通らない。家の前の通りを西に進み、気が向いたところで折れて北上して行けばよい。

 お初天神の前に出たら、もうすぐだった。店に近づくと、笹部のお母さんが外に出て、すでに二人を待ち構えていたのがわかった。店の前には水が打ってある。「おはようさん。誠治郎も今日から中学生やもんなあ。まあ立派なこと……。謙三、はよ出てき」
 母の美津とはまた違う、女の人らしい高くてよく通る明朗な声が、通りに響く。やがて、店の暖簾をくぐって謙三が出てきた。気分でも悪いのかそれとも緊張しているのか、青ざめているように見える。信太郎が黙ったまま制帽を脱いで頭を下げたので、誠治郎も真似して、ついでに「笹部のお母さん、おはようさんです」と千鶴に負けないくらい声を張り上げる。対抗しようとか、出し抜こうとか、そういうつもりはさらさらないが、信太郎といるとどういうわけか、いつもこんな風に目立とうとしてしまう。
 千鶴は、父親の駒蔵がいないことに気づいているのか、気づかぬ振りをしているのか、もしくはいない理由もお見通しなのか、何の言及もせずに息子たちに二言三言声をかけてから、火打石をかちんかちんと打って、送り出してくれた。その粋な仕草に誠治郎は背筋がぴんと伸びたが、謙三は何が気に入らないのか、やめてえなと舌打ちをして、行こ、と誠治郎に自分の肩をぶつけて歩き出す。全く、辛気臭い兄弟たちや、と思いつつ、誠治郎はもう一度制帽を取って、千鶴に別れを告げた。
「お早うお帰り。今日はおめでとうさん」
 華やかで凛とした千鶴の声は、誠治郎の耳にはすこぶる心地よかった。その声をはなむけに三兄弟は歩き出した。


 濃紺の制服制帽姿の少年たちは、通りを行き交う人たちの注意を引くらしく、多くの人が三人に目を細めたり振り返ったりした。
「あれ、北野の学生さんやねえ」
 と、憧憬に似た声も上がる。そんな状況に、謙三はしゃんとしたようで、誠治郎も改めて誇らしい気持ちに包まれた。信太郎だけが冷めた目つきで、ただ通常通り学校に通う中学生の風情を漂わせていた。 
(つづく・次回の掲載は10月1日の予定です) 

*参考資料:「北区誌」(大阪市北区役所編集発行)、「北野百年史」(北野百年史刊行会発行)、「創立五十周年」(大阪府立北野中学校六稜同窓会発行)

* 実在の資料、証言をもとにしたフィクションです。





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